三越劇場 三越・松竹提携 三越劇場十月公演三越歌舞伎

傾城反魂香(けいせいはんごんこう) 二幕
   序 幕 近江国高嶋館の場
       同 館外竹薮の場
   二幕目 土佐将監閑居の場
初演: 宝永五年(1708年) 竹本座(文楽) 享保四年(1719年)(歌舞伎) 江戸中村座
作: 近松門左衛門 補綴・演出: 石川耕士 脚本・演出: 市川猿之助
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/2007/10/post_6.html

澤瀉屋一門の出演。三越劇場は劇場内全体がロココ調の美麗な装飾に彩られた、小さいが居心地の良い劇場。そこに定式幕、御簾内、揚幕などが仮設されていると何か不思議な気がするが、お芝居途中は全く違和感無し。

近松の作品だけあって、人物、舞台の設定がリアルで面白い。傾城反魂香は通常、吃又と呼ばれる土佐将監閑居の場のみが上演されるが、今回は、その前の「近江国高嶋館の場」、「館外竹藪の場」がついて、「土佐将監閑居の場」の発端となるお家騒動・虎騒動の意味が分かるようになっている。また、現在では、吃又の演出を大幅改良した六代目菊五郎音羽屋型が主流とのことだが、今回は猿翁の澤瀉屋型との折衷型だという。筋書の猿之助丈の寄稿文によれば、澤瀉屋型は、又平が袴を着けていないところ、手水鉢の絵が肩衣を付けていること、将監の鬘が違うなどの違いがあるという。

復活された前半は、近松らしからず歌舞伎のお約束事満載の内容で、腰元藤袴実ハ銀杏の前の狩野元信への猛アタック、ホンモノの藤袴の三枚目ぶり、狩野元信の描いた絵がこじつけ解釈され元信、大ピンチ、狩野元信の描いた虎と不破入道道犬の滑稽味を加えた楽しい立ち回り、雅楽之助の立ち回り(これは義経千本桜の小金吾討死のよう)等々、飽きさせない内容。

特に立ち回りは、こんな小さい舞台でどれだけ出来るのだろうと思ったが、見ごたえたっぷり。近江国高嶋館の場では、獅子舞のように二人が着ぐるみに入った形になっている虎と、大きい猿弥丈がゆうに舞台面の半分を占領しつつも、激しく立ち回り、館外竹薮の場でも、とんぼまで切る大立ち回り。私が見たときは館外竹薮の場の最後、段治郎丈の膝から血がにじんでいたように見えた。出演者の皆さんも大奮闘である。近くに座っていた小さな子供も大喜びしていた。

話が前後するが、近江国高嶋館の場に出てくる狩野元信の誂え、鬘は、金閣寺の狩野直信に袴を着けたようになっていた。イヤホンガイドからの豆知識によれば、狩野元信は法眼を名乗ったが、法眼とは権威ある称号で天皇(だったかな?)から拝領するものとのこと。そういえば、先日サントリー美術館の展示「BIOMBO」で見た屏風にも、探幽"法眼"筆、晴川"法眼"筆とある屏風があった。歌舞伎では、「法眼」といえば、「鬼一法眼三略記」の鬼一法眼、「義経千本桜」の川連法眼と、共に、キレイな奥庭付き豪邸に住む白髪の怖いおじいさんなので、そのようなおじいさんに付ける名前かと思っていたが(そんな訳無い!)、そういうことか。

後半の土佐将監閑居の場は、ちょっぴりジミー大西がかった又平(右近丈)が主人公。大津絵を描いて糊口をしのぐ又平は土佐将監(寿猿丈)に土佐の名を許して欲しいと訴えるが、将監は許さない。以前は将監が何故許さないのか、若干腑に落ちない部分があったが、先日見た大津絵を思い出して納得。由緒正しき土佐の名を、土産物屋等で売られる大衆画を描いてしのいでいるような弟子には許すことは出来ないという訳だ。「絵師としての衿持を保て」ということもあろうし、「そんな仕事で自分の才能を浪費してはいけない」ということもあるかもしれない。どちらにしても、将監の師としての弟子を思いやる気持ちから、敢えてつらく当たっているのだ、ということがやっと理解できた。寿猿丈も、厳しい一方ではなく、親心のようなものを見せながら演じていたように思う。三越歌舞伎の筋書には、大津絵のことが詳しく紹介されている。

又平女房のおとく(笑三郎丈)は、絵のことしか頭に無い又平を母親のように慈しみ甲斐甲斐しく世話する、世話女房。最後まで又平と一緒に悲しみ一緒に喜ぶ女房で、この夫婦が二人でひとつということが良く出ていて良かった。

お話の最後は幕外のおまけ。花道が無いのを逆手にとって、客席を通って引っ込み、楽しい幕切れだった。