Bunkamura ザ・ミュージアム ヴェネツィア絵画のきらめき

第1章 宗教・物語・寓意
第2章 統領(ドージェ)のヴェネツィア
第3章 都市の相貌
会期: 07年9月2日(日)〜10月25日(木)
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/07_venezia/index.html

はるばるヴェネツィアから来た絵達を見ていたら、真剣にヴェネツィアに行きたくなってしまった。最近はお江戸大好き・日本大好き人間になってしまって、国外脱出欲求がすっかりなりを潜めてしまったのだが、ヴェネツィアはそんな人間でさえ惹きつける魅力のある都市のようだ。

しかし、もし行くなら数日じゃ駄目だし、観光客でも駄目だ。どう考えても、近隣にも足を伸ばすことを考えれば数日や数ヶ月ではとても主要な美術品を見れそうにないし、第一、多くの美術品が個人宅にひっそりとあって、観光客の目には触れないのだ。この展示会の出展目録を見ても、カタログNo.86までの一覧のうち、ざっと見て約三分の一は個人蔵となっている。当然今回見たよりもっとすごい絵が門外不出として個人の邸宅に眠っているだろう。嗚呼。


第1章 宗教・物語・寓意

展示作品の大体二分の一近くがこの分類に属す絵。
印象に残ったのは、まず、ジャンバッティスタ・ティエポロ作「カプチン修道会士の死」(1756-57年、アンディキタ・ピエトロ・スカルパ蔵)。年老いた修道士の臨終の様子なのだが、死にゆく修道士、傍らで祈る修道士達、共にあまりに貧しい身なりなのだ。その部屋のベッドをはじめとする調度もあまりに粗末。その清貧の凄まじさに胸打たれる。作者は何を言おうとしたのだろう。

それから、アントニオ・ザンキ作「善きサマリア人」(1670年、個人蔵)。荒野に倒れる若者の腕の傷に薬を垂らし治療を施す老人の絵だ。善きサマリア人といえば、医師の職業倫理に関する「善きサマリア人の法」。救急医療等で善意で人を救おうとする医師は結果がどうであれ、責任を問われない、という医師の積極的な救命活動を後支えするための不文法だ(詳細はこちら)。この絵を発注した人は、恐らく医師であったに違いない。そしてこの絵をいつも見える場所に飾り、どんな状況でも人を助けなければと、心を新たにしたのだろう。その高い職業倫理に頭が下がる。ひょっとしてこの絵の持ち主の子孫は代々医師をしていて当代も医師であるが故に、今でも邸宅に飾っているなのではないだろうか、などと想像してしまう。

また、ロザルバ・カッリエーラという女性の描いた少年と少女のパステル画(「弦楽器を持つ少年」、「タンバリンを持つ少女」、共に1760年、個人蔵(ミラノ))も興味深かった。この時代に女性で肖像画家というのは、よほど才能のあった女性だったのだろう。確かにそのパステル画は、油絵かと思うほど、丁寧な出来だった。少年少女は彼らの目線と同じ高さから書かれている。ベラスケスの肖像画に現れる幼い王女・王子達のようにちょっとおすましした紅潮した表情とは違い、あどけない表情は安心しきっている。温かい女性ならではの視線を感じた。


第2章 統領(ドージェ)のヴェネツィア

全作品中、7作品のみがこのカテゴリに属すドージェおよびその家族の肖像画。カタログNo.が記載されておらず参考作品とされている「統領の木」(代々の統領の似顔絵と紋章が樹形図のような木に描かれているもの)もあった。


第3章 都市の相貌

残り半分近くが、肖像画と、ヴェドゥータと呼ばれる、(恐らく金持ち)外国人旅行者のお土産用風景画。まずヤコボ・ティントレットによる肖像画(「元老院議員の肖像」1572年、個人蔵、「若い男の肖像」1553-60年、個人蔵)が素晴らしい。なんということはない肖像画なのだが、構図・デッサン・配色の安定感、人物の性根(美術の世界で性根というのは少し変かもしれないが)の捉え方が、素晴らしい。肖像画を描いてもらった人も大いに満足したに違いない。

風俗として面白かったのは、ジローラモ・フォラボスコの「コルティジャーナ」。高級娼婦らしいのだが、高いヒールのぽっくりのような靴を履いて、お付きの女性の肩に掴まってやっと立っている。まるで花魁道中だ。

そして最後に私個人にとっての一番の収穫は、ガブリエル・ベッラの絵を見れたこと。というよりは芸術新潮の10月号でこの絵を見て、これは実物を見に行かねばと思ったのだ。ベッラは、要するにヘタウマ風景画なのだけど、もうもう、アンリ・ルソーにそっくり。ベッラの絵を見るや否や、ルソーのこの絵が頭の中にひらめいた。ルソーはベッラの絵を見て影響を受けたに違いないと思った。ルソーの趣味にぴったり合う絵だと思う。私も好きだ。絵の中に小さな人が沢山描かれていて、一人ひとりを眺めたくなる。ルソーもベッラの絵を見て、じっと一人ひとり眺めて楽しんだに違いないと、勝手な想像を膨らませてしまった。