国立能楽堂 普及公演 釣針 羽衣

解説・能楽あんない  
天人の舞楽  三宅晶子
狂言 釣針(つりばり) 三宅右近和泉流
能   羽衣(はごろも)舞込(まいこみ) 香川靖嗣(喜多流

http:/www.ntj.jac.go.jp/performance/1111.html


能舞台の桁(?)に注連縄が張り巡らされていて、お正月の雰囲気。
三宅晶子先生の話が、分かり易く、興味深かった。

釣針

歌舞伎の常磐津の舞踊「釣女」と、どのあたりが違うのか、興味津津でみてしまった。結論から言うと、大体同じなのだけれど、歌舞伎の方が、舞踊として整理されていてテーマがすっきりしている。一方、狂言の方は、素朴な味わいがあって面白かった。

まず、大名が嫁取りの願を掛けるために太郎冠者と西宮神社に行く。三宅先生の解説によれば、西宮神社は関西ではほとんどの人が知っている、夷(えびす)様を祭った大きな神社だという。そして何故、妻を釣るという話になるかというと、夷様の釣竿を持つ姿から想像が付くとおり夷様は漁業の神様だからだということだ。ちなみに何故夷様は釣竿を持っているのかというと、夷様というのは、海外から来た神様(東夷(あずまえびす)とか、外国の人をエビズという)で海から来たから、釣竿ということらしい。「妻を釣る」という荒唐無稽な話に、こんな理由付けがあるとは知らなかった。つまり、流石、豊漁の神様の夷様だけあって、妻を授けるにも「釣れ」と言うところが既に最初の笑いのポイントなのだ。と、説明してしまうと全然面白くないけれど。

夷様のお告げで西門にいってみると、確かにお告げ通り釣竿がある。大名は恥ずかしがって太郎冠者に妻を釣ってくれという。また、ここで、太郎冠者が、大名に、どんな妻が良いかリクエストを聞くのだが(!)、大名は、年の頃は十七、八で、大見目(おおみめ)は釣る理由が無いので、見目がいいと、リクエストする。大見目は顔の造作が大作りという意で、転じて醜女のことをいうとか。確かにお能のお面は小面も増も顔立ちが小作りだ。なるほど、それが当時の美人の条件か。ここは歌舞伎ではたしか大名が自分で釣る。狂言では、太郎冠者が大名の代理で「釣ろうよ、釣ろうよ、見目がよいのを釣ろうよ」などと、のどかに唱えながら揚幕まで行き、大名の妻ばかりか、腰元四人まで釣り上げて来る(歌舞伎舞踊では妻だけ)。ちなみに歌舞伎と違い、妻(及び腰元)は、被衣は最後まで取らないで舞台から出て行ってしまう。

更に自分の妻まで釣り上げたのだが、妻の被衣(かつぎ)を取った後は歌舞伎と同じ。興味深かったのは、太郎冠者の妻が乙(おと)という面をつけていて、お多福のような醜女であること。歌舞伎でもいかにもお面という感じの醜女の顔をするが、この様子をとったものなのだろう。

太郎冠者演じる三宅右近師の水衣(?)の背に大きな鯰の絵があったのが面白かった。鯰のような奥さんを吊り上げてしまうということだろうか。


羽衣

三宅先生の話で興味深かったのは、天人は月の人だということだ。はっきり月の人とは言っていないが、以下の詞章から判るという。

しかるに月宮殿のありさま。玉斧の修理とこしなへにして。地「白衣黒衣の天人の。数を三五にわかつて。一月夜々の天乙女。奉仕を定め役をなす。シテ「我もかずある天乙女。

つまり、月には白衣黒衣の天女が十五人おり(三五にわかつて)、自分はその一人だという(我もかずある天乙女)。なお、何故、十五人かというと、月齢と対応していて、新月から満月までの月の満ち欠けを白衣・黒衣で表しているということらしい。まるでオセロか碁みたいで、発想が美しい。

また、羽衣の作者は、世阿弥といわれてきたが、後世の能に詳しい人の作と考えられるとのこと。というのも、これだけ人気演目にもかかわらず世阿弥の頃に羽衣に関する記録が無いからとか。また、世阿弥が、「東遊(あずまあそび:神楽の舞で東国地方の風俗舞)のひとつ、駿河舞の元となった天女の舞を知らない」と書いており、それを踏まえて、作者が、世阿弥が知らないという駿河舞の元となった天人の舞が伝承されたエピソードを創ってしまおう、と考えたと推論されるらしい(詞章の「月の桂の身を分けて仮に東の。駿河舞。世に伝へたる。曲とかや」の箇所)。駿河舞というのがどういう舞なのか、良く分からないが、動きの少ない上品な舞だという。確かに羽衣の舞も序之舞、破之舞と呼ばれる幽玄な舞で、動きも少ない。

シテの香川靖嗣師の天人は、純真な少女という感じがして良かった。揚幕から出てきた時から何と可愛らしいのだろうと、ため息をつきたくなった。面は小面で、紅地の長絹、天冠には薄桃色の大きな牡丹のような花がついていて、愛らしさが強調されている。何故、獅子とか鬼神を象徴する牡丹の花の天冠なのかはちょっと不思議だ。人間ではない、ということだろうか。

ワキの殿田謙吉師の白龍は、存在感があった。特に舞込の小書で、天女が舞いながら揚幕に入っていく様子を、シテ柱の付近で「行ってしまった。。。」という風情で佇んで見つめているところが、情感があってよかった。

地謡は、音程、謳い方に統一感と力強さがあって、グレゴレオ聖歌のようにグルーヴィな感じで聞いていて心地よかった。


<出演者データ>

■解説: 三宅晶子

■釣針(和泉流
シテ/太郎冠者 三宅 右近
アド/主 高津 祐介
小アド/申し妻 吉川 秀樹
立衆/女 河路 雅義
立衆/女 前田 晃一
立衆/女 大塚 出
立衆/女 倉田 周星
小アド/乙 三宅 近成

■羽衣(喜多流
シテ/天人 香川 靖嗣
ワキ/漁夫白龍 殿田 謙吾
ワキツレ/漁夫 坂苗 融
ワキツレ/漁夫 梅村 昌功
笛 藤田 次郎
小鼓 曾和 正博
大鼓 佃  良勝
太鼓 三島 元太郎
後見 内田 安信
佐々木 宗生
地謡
塩津 圭介/大村 定
内田 成信/塩津 哲生
金子 敬一郎/友枝 昭世
大島 輝久/出雲 康雅