出光美術館 王朝の恋 ―描かれた伊勢物語―

http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/schedule/200704.html

俵屋宗達の「伊勢物語」が一挙に見られて、楽しかった。展示方法も、主に、(1) それぞれの絵と、(2) 絵中に書かれた文章を活字に書き出したもの、(3)該当する段のストーリーをシンプルに提示する形式になっていて、伊勢物語を読んでいるようで、楽しめた。


特に面白かったのは次の三点。


まず、岩佐又兵衛の絵と俵屋宗達の絵が似ているのが面白かった。
そのことが面白いと感じたのは、個人的な、辻邦生の「嵯峨野明月記」の影響だ。というのも、嵯峨野明月記の中で、俵屋宗達をモデルとする絵師が、俵屋にふらっと現れた、野卑な、おどろおどろしい絵を描く下働きの絵師と、絵に対する自身の哲学をぶつけ合うシーンがある。その下働きの絵師が、岩佐又兵衛を髣髴とさせるので、そのシーンは辻邦生の想像の産物なのに、なんとなく宗達と又兵衛の二人の違いを象徴するエピソードのように私の頭に刻み込まれていたのだ。問題のその場面では、物事の突き詰めたエッセンスを描こうとする宗達と、自分のドロドロした感情を絵にぶつける又兵衛(と思しき絵師)の対峙が面白かったのだが、こうやって並べると、二人、似てるではないの。しかも、二人とも、在原業平はハンサムなモテ男ということを、無視してませんか。
嵯峨野明月記のその場面は、相対する哲学・画風を持つ二人、というイメージで読んでいたけど、実は、一種の近親憎悪的なものだったのだろうか。


それから、話を今回の展示に戻すと、俵屋宗達伊勢物語の二十段以上の絵を描いていたということも興味深かった。私のようにド素人でも絵は描けるが、二十段以上描いたら流石に飽きると思います。飽きずにひたすら描き続けるところが、天才なのだなあ。


更に、伊勢物語の各段の絵の構図というのが、決まっているのが、興味深かった。
例えば、「西の京の女」といえば、寝殿造りの家の張り出した縁側に座って庭を眺める平安貴族の絵、「くたかけ(鶏の鳴き声の意)」は、田舎の家の庭先で家を出ようとする平安貴族の男性と小姓のような少年、それを見守る女性、「東下り」といえば、野原で座って歌を読んでいる数人の平安貴族(あの八橋の付近で杜若の五文字を読み込んだ和歌を作って都が懐かしくなりしみじみする話ですね)、「芥川」(男に盗まれた少女が夜露を見て白玉かと問うた話)は、少女を背負う男性、「富士山」は峰三つ&カヌレ型富士山と、馬に乗る貴族+お供の者共、「むさし野」は、草叢で逃げようとする二人の貴族の男女、それを松明等をもって追いかける男達、「禊(みそぎ)」なら、川辺で紙垂(しで、注連縄についているヒラヒラの紙です)を持ったり飾ったりしている神主?に禊をしてもらっている平安貴族、「井筒」でば、男の子と女の子が井戸の両側から井戸の中を覗き込んでいる様子、等等。
宗達の絵がその発端なのか、それとも宗達以前に既にこれらの構図は出来上がっていたのか分からないが(知りたかったら図録を買うべし、私)、とにかくこれらの構図を見たら、あ、伊勢物語の○○の段、と分かる、という仕組みなのだ。展示は前半で一段一段見せてくれるので、後半、伊勢物語の場面をちりばめた伊勢物語図屏風やその意匠をかたどった文様のある工芸品を見ても、どの段だか分かる様になっている。
つくづく、日本美術というのは、前提知識がないとその意図を理解しにくい、ハイ・コンテクストな美術だ。ともあれ、伊勢物語はお洒落なラブ・ストーリーだし、各段のストーリーはきちんと解説されているので、伊勢物語を知らない人も十分楽しめる展示だと思います。


以下、今回の展示とは異なるが、伊勢物語の奈良本というのがWebで公開されていたので、自分の備忘録のためにリンクを張っておこう。
http://herakles.lib.kyushu-u.ac.jp/nara/ise/txt/f002.htm