東京国立博物館 陽明文庫創立70周年記念特別展「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」

平成館 2008年1月2日(水)〜2月24日(日)
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=4814

とても充実した特別展だった。藤原鎌足不比等道長、彰子、信尹、行成、家熙、近藤文麿まで、歴々と日本を代表する人物を排出してきたお家だけある。この前、同じ東博で大徳川展を見たけれど、出展品目の美術的お宝度では、徳川家、敗れたり。

全体的に和歌の書が多い。例えば歌合で天皇から拝領したものとか、古筆を収集したものとか。去年見た、お坊さんの京都五山展、武士の大徳川展には、和歌は、ほとんど展示されてなかった。なるほど、近衛家が代表する貴族は王朝文化の担い手だ。展示は、解説文や活字への書き起こしが添えられていて、親切な展示形態になっていた。

それから、家熙のマルチ・タレントぶりにも、驚かされた。彼は、摂政や太政大臣であっただけでなく、学識が高く、書、画をはじめとして、茶道、華道、香道に精通していたという。その礎は、所蔵する書や庭の草花など何でもそっくりに筆写していくことで形成された。書などは、オリジナル・テキストと家熙の臨書が比較できるように並べられていて楽しい。また、家熙は春日権現霊験記絵巻、宇治拾遺物語絵巻、賀茂祭絵巻の写本を作ってるのだが、彼自身、画も得意であったのに、敢えて本職の渡辺始興に画をまかせ、自分は書を担当している。彼の前向きな好奇心、独力で研鑽を深めていく知性、飽くなき探究心には感服してしまう。

以下、興味深かったのは;

御堂関白記藤原道長筆、平安時代、寛仁2年(1018)、寛弘4年(1007)、寛弘5年(1008)、寛弘5年(1008) 、長保6年(1004)、京都・陽明文庫蔵)
藤原道長の日記。道長といえば、「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」と、栄華を極めた人(今、書いてみて、「この」でないことに気づき、改めて、すごいなあと思ってしまった)。あの菅原道真を追いやった勢力の統領だし、独裁者的イメージがあったが、日記は、普通の筆跡で拍子抜けした。もっと勢いのある字や、癖の強い字を想像していたのに。むしろ、政治的な圧倒的地位を保つための合従連衡、駆け引き等で大忙しであったと思われるのに、あれだけ几帳面に、日々の行事などを書き続けているのは偉いなあ、と逆に感心してしまった。


「粘葉本和漢朗詠集(伝藤原行成筆 2帖 平安時代・11世紀 宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
「倭漢抄下巻 」( 伝藤原行成筆 2巻 平安時代・11世紀、京都・陽明文庫蔵)

ただ単に、和漢朗詠集が好きなので、出会えて感無量なのです。


池坊専好立花図巻」( 1巻 江戸時代・17世紀 京都・陽明文庫蔵 )
池坊専好が実際に行った立花のスケッチだが、今にも通じるスタイリッシュで大胆な構成で、興味深い。


「夢記」明恵筆 1巻 鎌倉時代・13世紀 京都・陽明文庫蔵 )
明恵夢日記を書いていた。日付に続けて、夜に見た夢、というような始まりで、その日にみた夢について書いてある。結構ストーリーがある夢ばかりのよう。河合隼雄の「明恵 夢を生きる 」のテーマ(残念ながら積読状態)。俄然、私も夢日記が書きたくなった。という訳で、まだまだ書き足りないけど、オヤスミナサイ。

(追記)何故、明恵の夢記がコレクションにあるのだろうと思っていた。河合隼雄の「明恵 夢を生きる」を読んだところ、明恵が三十一歳の時に、春日明神の夢の神託により、天竺行きを取りやめたことがあったということが判明。ひょっとしたら、展示にも解説が書いてあったのを見なかったのかもしれない。ともあれ、備忘録として、メモしておこう。