国立能楽堂 2月普及公演 伊文字 藤戸

解説・能楽あんない  
狂言 伊文字(いもじ) 野村万蔵和泉流
能   藤戸(ふじと) 本田光洋(金春流

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1105.html

伊文字

申し妻をするお話。中世には、この話題は好まれたもののひとつとのこと。

妻を申し受けたいと思った主(野村扇丞師)が、太郎冠者と共に清水寺に行く。すると観世音菩薩より「西門の一の階(きざはし)に立った女を妻とせよ」という。ここまでは、この前見た、清水座頭や印旛堂と全く同じ展開。
西門の階に行くと、果たして、お告げの女性が立っているのだが、「恋しくは問うても来ませ伊勢の国伊勢寺本のに住むぞわらわは」と詠うと、さっと立ち去ってしまう。
ところが、太郎冠者も主も肝心の地名を最初の「い」の文字までしか聞き取れなかった。それで、太郎冠者の発案で、「歌関(うたぜき)」をつくり、下の句の地名を通り掛かりの人に考えてもらおう、ということになる。

人に考えてもらうより、自分で考えた方が確実なのでは?大体、伊のつく国の名前なんて、そんなに沢山は無いのだからちょっと考えてみれば分かるのに、などと思ってしまう。しかし、万葉の昔から「辻占(つじうら)」というものがあり、道に立って、通行人の言葉を神からの託宣と考え、自らの運命を占うということがあったのだそう。全くの通り掛かりの人に託すなんて、面白い。道で急に問いかけられても即興で何か気の利いたことを言わなければいけないのだから、あせってしまいそう。

話を元に戻すと、そこで通りがかった使いの者が、歌関にかかる。使いの者は文句をいいつつも、いくつか伊の付く国の名を挙げてみようという。
そこから先が、ダンスのような様式性があって面白い。
まず太郎冠者と主は「伊の字のついた国の名」という文句や、「思いも付かぬ国の名」という文句を、タタタタ | *タタタ |タタタタ | + (*は四分休符、+は全休符)というリズムでリズミカルに何度も繰り返し唱え、使いの者は、リズムに合わせて歩きながら、考える。そして、使いの者は、思い付くとクルっと一回転して、答える。これを何度か繰り返して、「伊勢」という国名が判明し、更に「伊勢寺本」という里の名も分かり、めでたし、めでたし、となる。

全然、「思いも付かぬ国の名」じゃないじゃん!などとも思ったが、考えてみれば、伊勢の名を全国に知らしめているお伊勢参りは江戸時代のものだ。当時の洛中の観客には思い出せないのも不自然ではなかったのかもしれない。

また、和歌は、平安時代には、主に貴族のコミュニケーション・ツールだったというが、ここでは、清水寺の西門の一の階に立っていた女性も詠っている。時代が下ると、庶民も和歌を嗜んだ、ということなのだろうか。

野村萬師、野村万蔵師もさりげない動作が美しいし、キビキビとしている。全然キビキビしていない自分を思い出し、反省。


藤戸

源氏方の佐々木盛綱に漁師の息子を殺された母と、その息子のお話。
盛綱は、文楽や歌舞伎に出てくる盛綱陣屋の盛綱とは、かなり性格付けが異なっていて、興味深い。浄瑠璃の方は、真田信幸を佐々木盛綱に、幸村を高綱に仮託しているためだろう。
お能の方は平家物語の藤戸の段に依拠した作品。

藤戸にて先陣を切った盛綱は、報奨として児島を得る。そこで自分の領土となった児島に入部して、「皆々訴訟あらんずる者はまかり出でよと申し候へ」と臣下に命じて、訴訟のあるものを集めさせる。
すると、出てきたのは、曲見の面をつけた、漁師の母が現れる。彼女は、盛綱の顔を見てさめざめと泣くので、盛綱が不思議に思い尋ねると、盛綱がわが子を波の底に沈めてしまった、という。

盛綱はやぶへびとなったわけだが、まずはしらをきり、覚えが無い、という。ところが、母は、何故隠すのか、と強く訴えると、仕方なく、盛綱はそのいきさつを話し出す。
曲見の面はあまりに悲しそうな顔をしているので、手を揃えて目の当たりに持っていっただけで、泣いているように見える。ましてや、正座して少し前かがみになって、手を目の当たりに持っていけば、泣き伏しているようにさえ見えるのだから、不思議だ。ここまではミニマムな動きで母の悲しみを表現していたのに、急に盛綱に襲い掛かり、びっくりした。

盛綱はその母を家につれて帰り、息子を弔ってやるようアイの従者に命じる。アイの従者は、母を橋掛かりを通って揚幕まで送り、戻りながら、母が可愛そうだ、とひとりごつ。しかし、流石に盛綱にそうとは言えず、盛綱に対しては、波風立てない対応で家に帰したことを報告する。さすがに盛綱も、管弦講と十七日間の殺生禁断を言い渡し、弔いの読経を執り行う。

後場は、当の漁師の側から、また、殺されるところについて述べるところは、鬼気迫った迫力があった。面も痩男で年齢こそ若いが、苦しみから這い上がってきたような表情で恐ろしい。漁師は、恨みをなさん、とするが、弔いをしてもらったお陰で成仏して、帰っていく。

当時は、平家方、源氏方の内部でも各々の武士がライバル状態にあったという。そこで、そこから抜きん出るためには、主に、敵の著名な人物の首を取るか、先陣を切るかの方法をとるのが一般的だったそう。なるほど、文楽や歌舞伎でおなじみの首実検というのがあったり、今でも「先陣争い」などと言う言葉が残っているのだなあ。