初代松本白鸚二十七回忌追善二月大歌舞伎 昼の部

一、小野道風青柳硯(おののとうふうあおやぎすずり)
  柳ヶ池蛙飛の場
  作:二世竹田出雲、近松半二、三好松洛他 
  初演: 宝暦四年(1754年) 大坂竹本座、 (歌舞伎)宝暦五年(1755年)

二、菅原伝授手習鑑
  車引(くるまびき)
  作:竹田出雲、並木千柳、三好松洛、武田小出雲
  初演:延享三年(1746年)8月 大坂竹本座、(歌舞伎)同年9月

三、積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)
  作詞:宝田寿来、作曲:初代鳥羽屋里長 初演: 天明四年(1784年) 江戸桐座

四、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
  祗園一力茶屋の場
  作: 二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳
  初演: 寛延元年(1748年)8月 大坂竹本座、(歌舞伎)寛延2年(1749年)2月 森田座
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2008/02/post_22.html


小野道風青柳硯

三蹟の一人、小野道風の話。

小野道風といえば、蛙が柳の枝に何度も飛びつこうとするのを見て、努力の大切さを悟ったというエピソードがあるが、そのエピソードは、この狂言が元で広まったという。

蛙はどんなものが出てくるのかと思ったら、言うまでも無く、差し金の先にあった。差し金愛好家の私としては、差し金の先の蛙が無心にピョコピョコ飛ぶところ、柳を見つけ、差し金を離れて柳に何度も飛びつこうとし、とうとう成功して客席からおーっという声が上がるところ、せっかく柳に飛びついて休息していたのに、無情にも、道風に叩き落とされて客席から、あー、という声が漏れるところなど等、大変興味深く拝見。この差し金の蛙くんに、小野道風の人生には負けずとも劣らない波乱万丈を見た。

独鈷(とっこ)の駄六の三津五郎丈が、義太夫風の台詞が上手い。また、道風に投げられて池に落ちるのだが(この時の水しぶきも素敵)、その後の、池を泳いで岸に這い上がり、まとわり付いた水草を取り払い、身体を振って水を切る等の仕草が、さすが、坂東流のお家元、おかしみがあった。朝一番の狂言で、客席も若干ノリの悪かったが、ここではじめて、眠りから覚めたように笑いがあがった。独鈷とは、密教法具らしい。そういえば、東博で見たこともあるような。

実は、観劇前に一番興味があったのは、小野道風の出で立ちだった。まず、何かで小野道風は怪力の持ち主だったというのを読んだ気がしていて(ひょっとして、この狂言のことだったのかもしれない)、大柄な人かと思っていた。一方、この前みた、東博の陽明文庫の展示の中に、小野道風肖像画があったのだが、それが、たいそう貧相な容貌で、書道に熱中しすぎで、おかしくなってアチラの世界に行ってしまった人という様子で、大変ショックを受けた。それで、今回の狂言でどのような小野道風になるのかが、この狂言の最大の関心事だったのだが、出てきた梅玉丈は、いたって普通に、白い狩衣を着て烏帽子を被ったお公家さん風で、着肉も特に着ているようには見えなかった。

気になって、家に帰って、もう一度、宮廷のみやび―近衛家1000年の名宝展の出品リストで小野道風像について確認してみると、鎌倉時代の作とのこと。ということは、この像を描いた人は、本人を見て書いたのではないのであった。とすると、本当の小野道風はどういう人だったのだろう。同じ一族の小野小町が絶世の美女だったという伝説や、先祖の小野妹子が有能な人だったことを考えると、それなりに、知的で好ましいタイプだったのではないかと想像され、その意味で、梅玉丈の(というか、初代吉右衛門の)設定が一番近い気もするが。

ちなみに、この演目は義太夫が入るのだが、三味線が、場所によっては、まるでモーツアルトかと思うくらい手の多い、素敵な曲だった。梅玉丈は、あまりノリの台詞を三味線に乗せないで言っていたが(歌舞伎の場合は不自然になる場合が多いからだと思う)、もし、文楽や素浄瑠璃で聴けば、結構楽しい曲なのではないだろうか。


菅原伝授手習鑑 車引

松王丸、梅王丸、桜丸、の三人については、当時、大坂で三つ子が生まれて話題となっており、それに当て込んで創られた狂言という。三人の名前の由来については、イヤホンガイドによれば、松、梅、桜は、当時、流行った花札の絵柄から来ているという。花札といえば、柳と蛙という絵柄もあるそうで、それは、明治時代、小野道風青柳硯からとられた図柄だそうだ。

松緑丈の松王がかっこいい。仕丁の衣装が、文楽に出てくる仕丁のツメ人形と同じで、いかにも文楽からとったという感じで興味深かった。亀蔵丈の金棒引きというのは、警護に当たっている人のことらしい。


積恋雪関扉

前場後場のような構成になっていて、前場は、恋人の良峯少将宗貞(橋之助丈)を尋ねる小野小町姫(福助丈)と、逢坂の関の関守、関兵衛(吉右衛門丈)の三人のやりとりと踊り。後場は、小野桜の精、傾城墨染(福助丈)と関兵衛が見顕しの大伴黒主との所作ダテ。 
吉右衛門丈が良いのはもちろんだが、福助丈が素晴らしかった。前場小野小町姫は可憐だし、後場の傾城墨染になってからは表情から指の先まで美しかった。しかも、大伴黒主との立ち回りは迫力。昼の部で一番ひきこまれた場面だった。最後は墨染めが二段に乗るのだが、筋書の芝翫丈のインタビューによれば、女方が二段に乗るのは、三段にのる立役に遠慮してとのこと。

そういえば、お正月の国立劇場の復活狂言菊五郎丈が大伴黒主時蔵丈が小野小町だった。関扉の話が縦糸になっていたということか。何故、大伴黒主が天下を狙う人になったのかは謎。もし名前の印象だけなら、黒主は草葉の陰で泣いていそう。


仮名手本忠臣蔵 祗園一力茶屋の場

一番印象的だったのは、芝雀丈の演じるおかるが勘平の死を知ったところ。芝雀丈は天を仰ぎ、全てが瓦解した、という表情を見せた。その後も勘平が三十になるやならずに死ぬることになったのは自分のせい、という後悔が見えて、この後、彼女はどうなってしまうのだろう、と心配になった。去年観た玉三郎丈のおかるは、七段目の後、山崎に帰った後も、母のおかやと結構たくましく生きていくのでは、という気がしたが、全く演じ方が違って面白いと思った。好みが分かれるだろうが(私はたくましく生きてほしいけど)、ストーリー上、どちらのおかるも破綻は無いように思う。

幸四郎丈の由良之助。幸四郎丈と吉右衛門丈は、ニンが被っているので、多くの持ち役が共通している。由良之助もその一つだが、こと七段目のようなものになると、二人の個性の違いが出て面白い。