初代松本白鸚二十七回忌追善二月大歌舞伎 夜の部

一、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)

二、初代松本白鸚二十七回忌追善
  口上(こうじょう)

三、一谷嫩軍記
  熊谷陣屋(くまがいじんや)
  作:並木宗輔、 浅田一鳥 初演:宝暦元年(1751年)12月 大坂豊竹座 (歌舞伎)宝暦二年(1752年)

四、新歌舞伎十八番の内
  春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2008/02/post_22.html

寿曽我対面

これぞ、歌舞伎。しかし、ひきこまれるような筋もなく、退屈なストーリー。観るとつまらないけど機会があれば観ずにはおれない、不思議な演目だ。

この演目は沢山、不思議なところがある。いつも気になるのは、梶原景時、景高親子。荒事の役なのに(初めて観たときは暴走族かと思ったが)、飾り棚の人形のように、並び大名と同列で座っているだけで、曽我兄弟をけしかけるような台詞はあるものの、特に動いたりしない。そもそも、この演目はほとんどの登場人物がただ座っているだけで、割台詞など、誰が言っているのか判別しにくく、きょろきょろして口元だけパクパク動いている人を探してしまう。しかも、台詞は大抵、ストーリー展開上、重要な言葉はほとんど無く、入ったそばから、どんどん頭から抜け出ていってしまう。唯一、小林朝比奈だけは、東国訛でちょっと面白い台詞だ。

三津五郎丈の五郎が良かった。三津五郎丈は、荒事風の台詞で決めていた。昼の部の独鈷(とっこ)の駄六と曽我五郎では、同じ荒事の役でも義太夫風と江戸弁風という全く違う言い回しを使い分けていて、さすがだ。

芝雀丈は、昼の部でおかるとして幕切れまで舞台にいながら、昼夜入れ替えを経て、25分後には、傾城姿の大磯の虎になって出ている。大忙しだ。


熊谷陣屋

開幕と同時に床の盆が回って葵大夫と三味線の寿治郎さんが出てきて、手を叩きそうになったが、そうだった、歌舞伎は床の出には特に拍手はないのである。文楽と歌舞伎は微妙なところで観客のプロトコールが違っていて、時々混乱しそうになる。

幕があくと、若木の桜の前に人が集まっており、制札の内容であり、かつ、この段のテーマである、「一枝を伐らば、一指を剪るべし」を観客にそれとなく知らせる。また、これは、義経がこの花を惜しみ弁慶に書かせたものだともいい、このキーワードが、義経から出たものであることも明らかになる。もしこの言葉が全くの創作だったら、このような物語を作り出すことは難しいのではないかと思い、調べてみたところ、須磨にある須磨寺に伝弁慶筆の「一枝を伐らば、一指を剪るべし」という趣旨の制札があった。
http://www.sumadera.or.jp/atumori/wakagi.html
もともと、この制札は、光源氏だ手植えた桜のために弁慶が書き起こした、となっているそうだ。そもそも弁慶は実在したかどうか不明の人物であることを考えると、弁慶の真筆か否かは怪しいにしても、もし、この制札が浄瑠璃が出来る前からあったものであれば、大坂の観客が既に須磨寺若木の桜と弁慶の制札の話を知っていることを前提の上で、ここから話を膨らませたのだろう。並木宗輔をはじめとするこの時代の浄瑠璃作者達の、事実と事実を想像の細い糸で繊細につなぎ合わせて、現実と虚構がない交ぜにして、現実よりも大きな物語を作ってしまう技に、舌を巻くばかりだ。
(余談だが、上記の須磨寺のホームページをみてみると、本当に青葉の笛が現存していた。)

幕切れで、頭を坊主にして墨染の衣を身にまとった熊谷が一人、幕外の花道に佇み、涙ながらに頭を抱え、「十六年は一昔、夢だ、夢だ」と嘆き、大薩摩の哀しい音色に送られて去っていく。これは、九世團十郎の演出だと言われるが、この演出はすごいと思う。なぜなら、熊谷の、他人を寄せ付けない程の深い無念の思いが浮き彫りにされるからだ。この熊谷と同じくらい孤独なシチュエーションにおかれた歌舞伎の登場人物は、俊寛を除いて、ほとんど見当たらないのではないか。この時、熊谷は、相模、小次郎諸共、過去とも決別し(過去は既に定式幕で覆い隠されていて戻ることは出来ない)、花道の先の未来にも、何も見えない。ただただ、小次郎と源平の合戦の修羅道に苦しめられた人々を弔うことのみを頼りに、あてどなく歩くしかないのだ。しかし、熊谷は、余生を回向の役に、と思うことができるだけ、まだ救いがある。相模は一人、帰るあても救いもなくなってしまった。相模はこの團十郎型の優れた演出の隠された犠牲者だ。

魁春がいつもながら上品で美しかった。熊谷の持つ扇と義経の持つ扇に興味が引かれた。熊谷は日の丸の扇で、義経は三日月と星の扇なのだ。この二つの扇には意味があるのだろうか?


春興鏡獅子

染五郎丈の小姓弥生がとても綺麗。鏡獅子は、もともと枕獅子という傾城が前シテの舞踊を九世團十郎の発案で、お小姓に変えたものだという。特に、道成寺などのように引き抜きがあったり、獅子頭と扇以外には取り立てて小道具を使ったりもしないのに、全然、飽きない踊りだ。胡蝶の精が可愛かった。梅丸君はおっとり、錦政くんはキレのある動きだった。