出光美術館 西行の仮名

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西行という人は本当に興味の尽きない人だ。

先祖は、将門を討伐した武者、俵藤太秀郷で、斉藤実盛やら佐藤継信・忠信兄弟が同じ家柄、義経が実父のように頼った平泉の藤原秀衛も遠い親戚で、実際に面会しているという。また、西行は自身の生きた平安末期の様々な人と会っており、たとえば、彼の人生に大きな影響を与えた、鳥羽天皇中宮だった待賢門院璋子や、待賢門院の子であり、保元の乱の原因となった崇徳上皇平清盛木曽義仲明恵、そしてもちろん藤原定家などとも交流があった。また文覚上人、源頼朝にも面会していた。

特に、文覚とのエピソードは面白い。文覚という人は、暴力沙汰を起こして伊豆国流罪にされたその先で頼朝に会い、「平家の小松殿(重盛)が亡くなった今、将軍の相を持つのはあなただけだ」などと口説き、源氏再興のために挙兵を促したりした、ちょっと胡散臭い人だ。で、この人は、西行に会う前には、「数寄をたてて、ここかしこにうそぶきありく条、にくき法師也」、会うことがあれば、目にものを言わせてやる!などと言っておきながら、実際に会うと丁重にもてなした。その態度の変わりようを疑問に思った弟子が訳を尋ねると、「あらいうかひなやの法師どもや。あれは文覚にうたれんずる物のつらやうか。文覚をこそうたんずる者なれ」などと、あっけらかんと言放ったという(「井蛙抄」)。

明恵西行のエピソードもなかなか面白い。明恵西行と交流があった時は歌を作っていたが、西行が亡くなると、ぱったりと歌を作るのを止め、あの夢記を書き始めたという。

そもそも、西行という人、そのものが魅力的だ。もともと、出家する前は容姿端麗な男性を集めたという北面の武士であったし、蹴鞠や弓の名手だったといい、女性にも、非常にモテたとらしい(何となく分かる気がする)。一方で、結構、短気で怒りんぼだったようで、自分が出家する時は、幼い娘を庭に蹴落としたとか、若いころからの友人で西行を追うように出家した西住という人が家族と久々に会って涙すると、そんなやつと一緒に修行はできん、と怒って一人で旅に行ってしまったとか、そんな逸話にも事欠かない。

これだけ、様々な人の人生と交錯していて、かつ本人も様々な面を持つ魅力的な人物とあらば、西行を主人公とした浄瑠璃などあってもよさそうなものだけど、残念ながら、無いようだ。お能には西行は出てくるが、たいてい、ワキだ。語るべきものを持っている西行はシテでもいけそうだけど、物見高く、自分自身で確かめに行く側面が、シテの話を聞き出すワキという役割に合っているのかもしれない。とはいえ、浄瑠璃、特に歌舞伎の演目に西行を主人公としたものがないのは残念だ。このように万華鏡のようにとらえどころのない自由奔放な人格を持つ人の話なら、きっと、同じ演目にも、音羽屋型、団十郎型、成駒屋型、松嶋屋型等々、様々な演じ方が発達した面白いものになったのではないかと思う。


で、前置きがながくなってしまったけれど、今回の展示会では、西行の真跡と認められている4点と、伝西行筆と言われる古筆の数々、それから俵屋宗達西行物語絵巻が展示されていた。

西行筆となっているものには、私のような素人でも明らかに、これは本人じゃないでしょう、と判断できるようなものも含まれており、真贋云々というよりは、西行派一派とでも呼びたいくらいだ。それでも、これだけ伝西行筆の古筆があるということは、それだけ、人々が西行に魅力を感じていて、「この目前の古筆こそあの西行の筆であれかし」と思った人々が沢山いたということの表れなのだろう。


特に私が気に入ってしまったのは、実は、この展覧会のメインではないのだけれど、古筆手鑑の「見努世友」(みぬよのとも;国宝)という、古筆切を集めた折帖だ。これは、伝西行の古筆を展示するのがメインの目的なのだろうが、それ以外の帖もそうそうたる能筆のオンパレードで、例えば、菅公、貫之、道風、俊寛僧都などと続いて、びっくりしていると、そのままでは終わらず、行成、佐理、文覚上人、寂蓮、寂然等等と続いていくのだ。垂涎の古筆切ばかりで、ため息が出る。想像してみてください、例えば、自分が苦労して方々から収集してきた名立たる古筆切を豪華に装丁した折帖に一枚一枚、貼っていき、右上に「菅公」、「貫之」等と但書を付けていく時の気分を。(ただし、後からよくよく考えてみれば真筆とは書いてなかったけれども)


もうひとつ、気に入ったのは、宗達の描いた西行物語絵巻だ。西行物語絵巻のオリジナルというのは、行方不明になっており、宗達他、何人かの手による写本が残っている。これを見て、また、辻邦生の「嵯峨野明月記」の宗達を思い出してしまった。嵯峨野明月記には、貴族の持つ絵巻の写本を作るよう宗達に注文が入り、今まで大和絵の絵巻には興味のなかった宗達がその絵に魅せられ、「自分なりのやり方で」描いてみようと決心する場面がある。この宗達西行物語絵巻は、その場面をほうふつとさせるものがある。参考に出展されている宗達以外の写本と宗達の写本を見比べると、明らかに宗達の絵は琳派的に単純化、デザイン化されているのだ。なんでも宗達ナイズしてしまう彼の絵を見て、愉快な気分になった。結局、宗達は、写本というよりは、オリジナルの絵巻へのオマージュである宗達自身の西行物語絵巻を作ってしまったようなものだ。また、ささいなことだけど、興味をひかれたのは出家後の西行は、この前見た伝宗達筆の在原業平よりもすっきりとしたお顔。まるで文楽の良弁様の首のよう。やればできるじゃないの、宗達。なぜあの業平は変な顔になっちゃったのだろう。


さらにおまけで、また展示には関係ないことを、ひとつ。西行を主人公とした浄瑠璃はないけれど、住大夫が西行役をやったラジオドラマ(辻邦生原作「西行花伝」)のCDがあるらしい。西行花伝の西行のイメージと住大夫のイメージは、私的には、あまり被らないのだけど、ものすごく興味がある。買おうか、買うまいか。。。