国立能楽堂 特別企画公演 声明 柿山伏 鵜飼

◎特集・祈り
高野山の声明 唄 散華 対揚 真言声明の会
狂言 柿山伏(かきやまぶし) 茂山あきら(大蔵流
能   鵜飼(うかい)空之働(むなのはたらき) 観世清和観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1098.html

高野山の声明 唄 散華 対揚 真言声明の会

歌舞伎を観ていると丸本物という文楽から歌舞伎に移した演目があり、歌舞伎役者も、「浄瑠璃本文を読むと」「文楽では」云々などとインタビューで答えたりしている。で、文楽を観てみると、義太夫節能楽を父とするとか母とするとか言う。で、お能を観てみると、お能の謡は声明の影響を受けているという。というわけで、この日は、声明とお能を一緒に鑑賞できることを楽しみにしていた。

声明というのを、きちんと聴いたのは初めて。要は、チベットやインドの仏教のお寺をTVのドキュメンタリで観たりすると、裏声ではない、いわゆる地声で唄うように唱和されるお経を聴くことがあるけど、あれと同様のものだ。

最初に銅鑼のようなものの音が幕内から鳴って、お坊様方が、そろそろと橋掛りから出てきた。「僧にて候」とか言う能楽師が出てくるときは、あくまで能楽堂なのに、本物のお坊様が出てくると途端にお寺の中のように感じるのだから、能楽堂ってすごい。お坊様方が中正面の座席と相対するゆように横一列に座ると、一番左のお坊様が独唱をはじめ、他の人がユニゾンでそれに続いた。

唄っている(「引いている」というらしい)言葉自体は、他の読経と同様、とても聴きとって意味を理解できるようなものではない。が、音楽的に豊かで技巧が凝らされた華麗な旋律をもつ、驚くほど美しい音楽だった。意外にも、キリスト教の教会音楽、特にオルガンをほうふつとさせるものだった。たとえば、トリルなどが多様されていているのだが、このトリルは、最初ゆっくり始まって、だんだん速くなるというものだった。こういうのは、西洋音楽でも使われる奏法で、洋の東西で同じことをやっていて面白い。このような歌唱法は、日本の後に出てきた歌唱では、あまり聴いたことがないので、どうして引き継がれなかったのか、興味深かった。でも、考えてみたら、義太夫節とかはトリルこそないけど、音を採譜したら、細かい音符がぎっしりの、すごい真っ黒な楽譜になりそうだ。

ちなみに、今回の声明は、短縮バージョンだったようだ。曲の構成は、「唄(ばい)」、「散華(さんげ)」、「対揚(たいよう)」という三曲の構成で、「二箇(にか)法要」というらしい。三曲なのに二箇とはこはいかに、というと、対揚が散華に含まれる故だそうだ。《唄》では、「どうしたら永遠の生命や絶対に損なわれる事のないからだを得ることができるのでしょうか」という問題提議を行い、《散華》では、「もっともふさわしい教えは密教であり、その教えに心から帰依し、諸仏に対し薫り高い花で供養する」と応えるものであるという。そして、一人のお坊様が、紙で作った花びらの載ったお盆を持って立ち上がり、花びらを撒く。最後に《対陽》で、仏の功徳を賛美し、祈願などを行う。ここの文言は適宜変わるらしい。弘法大師の名前が織り込まれていて、さすがにここは聞き取れた。。。声明は、サンスクリット語で行う梵讃と、中国語で行う漢讃と日本語で行う和讃の三種類あるそうだが、この場合は、漢字を日本語で読んでいたから和讃だったのかしらん。

唱和や花びらを撒く様子を観ていると、美しいものを仏に捧げるという、素朴な宗教音楽の意味というのを実感できるきがした。

最後、唱え終わると、お坊様方はしずしずと橋掛りを戻って行った。ありがたや〜、南無&合掌。


柿山伏

狂言が始まる前に、お囃子があった。何だったんだ。面白い。

中学校の頃、狂言クラブというのがあって(私は入っていない)、文化祭では必ず柿山伏をやっていた。が、まあ、素人の狂言とプロのそれとは全く別物ですね。あれは本当に同じ演目だったのだろうか。当時、昔の人はこの演目の一体どのあたりを面白いと思ったのか激しく疑問だったが、今回はもちろん、しっかり笑った。


鵜飼 空之働

はじめて観世清和師のお能を観た。この日、初めて、心の底から、お能って面白いと思った。

正直なところ、今まで、心の底から突き動かされるものというのは、能楽に関してはあまり無くて、私には難しすぎてお能は理解できないのかも、などと思ってきた。でも、千番見ないとお能は分らない、と誰かが言ったらしいし、白洲正子のように、子供の頃から晩年までずっとお能を見て、お能のお稽古をした人でさえ、分らないというのだから、まあ、こんな初心者のくせに分からないなどと言うのはおこがましいと思って、とりあえず、まずは観続けようと思っている。

この日は、鵜飼で、みやびだったり華麗だったりする演目ではないので、そんなに期待していなかったのだけれども、松明を振り回す浦島太郎スタイルの前シテにも、激しく舞う閻魔大王の後シテにも、釘づけになってしまった。とにかく、その所作のひとつひとつが―例えば、前シテが扇を使うところ、扇を落とすところ、橋掛りで思い詰めた様な表情をするところ、閻魔大王の頭をきっと地謡座の方向に動かすところ、袖を返すところ等等―その意味するところがダイレクトに心に響き、その効果に驚かされ、素晴らしい囃子や地謡と相まって、物語の絵巻に入り込んでしまったような気分だった。

最後、閻魔大王が橋掛りを帰って行く時、その後ろ姿を観ながら、帰らないで!と思ってしまった。そして、ワキ方も、地謡も、囃子方も、みな消えてしまった。名残惜しい、と思ったと共に、お能の面白さを少し垣間見させてもらった春の夜だった。