サントリー美術館 KAZARI 日本美の情熱

会期: 08年5月24日〜08年7月13日
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/08vol03kazari/index.html

今日は家でおとなしくしているつもりだったのだが、朝、新日曜美術館を見たら、居てもたってもいられなくなって、見に行ってしまった。期待にたがわず大変面白く、時間が経つのを忘れて鑑賞した。気をよくして図録を買って家でも眺めたのだが、これが不思議と展覧会で見たほどの高揚感を追体験できない。展示の仕方がよかったのだろうが、そもそも飾りというものには、ひとの気持を高揚させる作用があるに違いない。



(1)イントロダクション かざりの源流

浄瑠璃物語絵巻(伝岩佐又兵衛筆江戸時代(17世紀)、MOA美術館、重要文化財

過剰な男、岩佐又兵衛の筆と伝えられる、牛若丸と浄瑠璃姫の物語。予想以上に絢爛豪華な絵で、又兵衛くん、さすがじゃん!と思ったが、案の定、牛若丸は全然ハンサムではないのだった。浄瑠璃物語は浄瑠璃節の始まりとなった物語とされ、小田信長の侍女、小野お通が、不眠症?の信長のために、この十二段の物語を作ったという。この浄瑠璃姫の話は文楽の現行曲には、残っていなさそうだが。。

金銀鍍宝相華唐草文透彫華籠(平安時代(12世紀) 滋賀・神照寺、重要文化財
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kin/item06.html

華籠とは、散華の際、紙で作った花びらをまいて仏を賛嘆する時に使用する花びらを入れる籠だという。おお、そうだ、この前、国立能楽堂で声明を聴いた時(この日)、紙でできた花びらを籠から撒いている御坊様がいた。「宝相華(ほうそうげ)」とは空想上の花とのこと。籠の底に透かしで入った唐草模様が美しかった。

刺繡種子両界曼荼羅図(鎌倉時代(14世紀) 兵庫・太山寺

自分の髪の毛で梵字曼荼羅を刺繍しているのである。すごすぎ。

春日神鹿御正体(鎌倉-南北朝時代(13〜14世紀) 細見美術館重要文化財
春日龍珠箱(南北朝時代(14世紀)、奈良国立博物館重要文化財

春日龍というのは春日龍神のことだろうか。今年の冬、東博で見た「宮廷のみやび―近衛家1000年の名宝」には、近衛家の陽明文庫の所有として「春日権現霊験記絵巻」と明恵上人の夢記があったが、お能の春日龍神という曲にもあるとおり、明恵上人が天竺への渡航を思い立ち春日明神に暇乞いの参詣をしたところ、春日龍神が夢に出て渡航を諦めさせたというエピソードがあるので、すっかり、春日権現=春日龍神と思っていた。が、この箱に付けられた解説によれば、この箱が伝わったとされる室生寺近くの龍穴神社が龍神崇拝の拠点であるらしい。つまり、春日大社ではないのだ。

むしろ、春日大社は、「春日神鹿御正体」が鹿の姿をしている通り、また、「宮廷のみやび」展で見た「春日鹿曼荼羅図」の通り、鹿が神使、シンボルだ。

神様と神社、お寺の関係は複雑である。


第二章 場をかざる

秋草流水図屏風(江戸時代(19世紀) 板橋区立美術館

屏風は二曲で、すすき、芦、桔梗、流水の絵が余白を多くとって描かれている。そして、中央には、格子が埋め込まれており、格子越しには、竹屋町という裂が見える。この竹屋町というのは、もともと古田織部がプロデュースしたものだそうで、ごく薄い紗に金糸で文様を刺繍したもの。この屏風では唐草のような文様が施されている。織部は今回、他に陶器もあったが、あらためて彼のデザイナー/アート・ディレクターとしての才能に感服する。

鉄絵兎文向付(美濃江戸時代(17世紀初期) 京都市考古資料館)

このうさちゃんは、耳が体の三倍ぐらいあって、足がむちゃくちゃ細いのだ。ちょっと虫っぽくって、100%手離しで可愛いとはいいきれない。そういえば、以前、東博伊万里と京焼の特別展を見たとき、その図録にうさぎの文様の変遷について解説があり、うさぎは当初は写実的だったのに、江戸時代ごろ、一時期、図案化するにつれて、どんどん耳が長くなっていったという趣旨の解説があった気がする。

色絵透文重箱(京都・古清水江戸時代(18世紀) 個人蔵)

透かしが多く入った六角形、三段の重箱で、青色がベースとなっている。東博でも似たものを見たと思う。

色絵亀甲文壺(古九谷江戸時代(1640〜50年代) 個人蔵)

古九谷で壺というのは、珍しいということ。そういわれてみれば確かに古九谷といえばお皿というイメージがある。

土製小壺(つぼつぼ)(江戸時代(17世紀前半〜19世紀) 京都市考古資料館)

すごく気に入ってしまった。こんなものがあったなんて。しかも名前が「つぼつぼ」とは、かわいすぎ。この「つぼつぼ」は、10円玉ぐらいの直径の釉薬も塗っていない素朴な土器の小さな壺で、ここでは、100個くらい並べてあった。千宗旦は、つぼつぼを二、三、エイシンメトリーに並べた替え紋を好んで付けたらしいが、これがまた可愛かった。つぼつぼは、茶懐石で、なます等を入れたりするのにも使ったらしい。


第三章 身をかざる

様々な兜

奇抜な兜がたくさん。子供の頃、弟が一心不乱に色んな形のロボットを描いていたことや、小学校の時のクラスの男の子たちが、自分の野球帽を競って自分仕様にカスタマイズしていたことを思い出した。村上春樹ではないが、男の子は永遠に男の子なのであった。

他人事ながら、こんな重そうな兜をかぶって戦は出来るのかいな、と思ったら、これは和紙の張りぼてで形を作り、その上に漆を塗ってあるのだそう。なるほど。

諸将旌旗図屏風(江戸時代(17世紀) 個人蔵)

前々から、どうして大概の会社は、いちいち会社のマークを持っているのだろう、ロゴだけでいいのでは、と思っていた。しかし、すでに、戦国時代から、いろんなマークをかたどった旗を持って武士は戦っていたのだった。ロゴなどより、マークの方がずっと先に出来ているのである。だから、平成にもなって、そんな疑問を呈しても無駄なのだ。

瓢紋鳥毛陣羽織(豊臣秀吉下賜、桃山時代(16世紀) 個人蔵)

茶の地の陣羽織で、背中に白抜きで秀吉が好んだ瓢箪の文様が大きく描かれている。これを着たら、秀吉派です!と叫んで歩くようなものだ。ちなみに陣羽織は鎧の上に着るものだと書いてあった。あまり時代劇も見ないし、気にしたことも無いので、半被のように普通の着物に羽織るものだと思っていた。なお、瓢箪は、よく実がなることから武勲増大、子孫繁栄につながる吉祥文様なのだという。秀吉が剽軽(ひょうきん)者だからということではないのだ。


第四章 動きをかざる

石見神楽
http://www.city.hamada.shimane.jp/kankou/kagura.html

石見神楽という神楽舞の装束の展示とビデオの上映があって、興味深く見た。舞は、最初、お能や三番叟的のものを想像していたら、銅鑼やチャイナ・シンバルこそ使わないが、横浜や長崎の旧正月で行われる舞のように絢爛たる衣装に早い動きで、中国風という印象だった。明治時代に神楽を神職が行うことを禁じされて氏子が引き継いでから、そもそも白だった装束が、どんんどん派手になっていったらしい。中国風・歌舞伎風になっていったところが面白い。

光悦謡本 『梅枝』『二人静』『定家』『舟弁慶』『浮舟』『鉄輪』『三輪』『大原御幸』『殺生石』(江戸時代(17世紀) 三井記念美術館

今日は、「梅枝(うめがえ)」の表紙が展示されており、鶴の図案。梅枝は今年の1月、国立能楽堂で見た(この日)。そして、隣に置かれた開いた本の方は、何だったのだろう?源氏物語光源氏が云々とあったけど。この光悦の書はとても美しかった。

いくつもの肩衣(江戸後期(19世紀))

茂山千五郎家伝来の肩衣が何点もあった。すり切れており、当て布がされていたり、ほころびを繕っているものもあった。文楽の人形の着付けは人形遣い本人が行うというが、狂言の方も狂言役者本人がほころびを直すのものなのだろうか?糸目がかなり大きかったので、普段裁縫をしなれない人のように思えたから、そんな推理をしている。

中でも面白かったのは、子方用の肩衣、「猿猴捉月模様肩衣」。青地に白抜きで、左上に松の枝にぶら下がるかわいらしい子猿が懸命に左手を伸ばして、右下の水面に照らし出されている満月を取ろうとしている。狂言の「靱猿」を思い出したけど、 靱猿の子方は肩衣は着ていないなあ。どんな曲で着たのだろう。

注連縄飾り門松羽子板模様裲襠(六世尾上菊五郎所用昭和初期(20世紀) 株式会社 三越

言わずと知れた助六の揚巻の衣装。そういえば、早稲田の演博で来週まで六世 尾上梅幸展をやっているんだった。サントリー美術館のこの展示の後期には、五世歌右衛門の政岡の衣装が展示されるようだ。