国立能楽堂 普及公演 素袍落 善知鳥

解説・能楽あんない
能の描く地獄  増田 正造
狂言 素袍落(すおうおとし) 茂山七五三(大蔵流
能 善知鳥(うとう) 組落シ(くみおとし) 松野恭憲(金剛流

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1780.html

解説

本日は増田正造氏急病のため増田氏の解説はキャンセルということで、7分前に指名されたという恐らく地謡の方?が急遽、解説をされた。

曰く、お能の曲を地名でプロットしてみると、南端は鬼界ヶ島(俊寛)、北端は青森(善知鳥)とか。偶然かどうか、中世の頃の日本の南端、北端と一致している。


善知鳥はハトぐらいの大きさの鳥で、親鳥が「善知鳥」と鳴くと雛鳥が「安方」と鳴くというが、誰が「善知鳥」と言っても雛鳥はすぐに「安方」と鳴くおばかさんなので、すぐに捕獲できるそうだ。が、その様子を空から見た善知鳥は血の涙を流し、その血の涙を浴びた人は死んでしまうため、血の涙を浴びないよう、笠を被るのだという。で、今回の「善知鳥」のシテは、生業として漁師をやっていたので、善知鳥の雛鳥もとっていた。

※善知鳥&雛鳥
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%88%E3%82%A6


小書にある「組落シ」は、[カケリ](緩急の激しい囃子と共に舞台を約三周することで、心の異常な様子を示すとのこと)の最後でシテが足拍子を踏むのだが、その直前に全てのお囃子が止み、足拍子がより一層印象的になるという。普通はお囃子は止まないで、そのまま足拍子を踏むのだそうだ。


素袍落

伊勢参りを思い立った主人(茂山逸平師)は、太郎冠者(茂山七五三師)を伯父のところに遣いに出そうとする。太郎冠者は主人が明日伊勢参りに出立することを告げに伯父(網谷正美師)のところに行く。太郎冠者の報告を聞いた伯父は、太郎冠者のために上等の酒を振舞う。気前の良い伯父は、さらに太郎冠者に素袍を渡す。太郎冠者は主人に餞別を貰わないように言われていたのでいったんは断るが、伯父は参拝する時に素袍を着てこの自分の代参をしてくれという。それなら、ということで、すっかり出来上がった太郎冠者は、主人のもとに戻るが。。。という話。


大曲というだけあって、とても面白かった。今まで見た狂言で一番面白かったかも。以前、歌舞伎で松羽目物に移した演目を見た時は、特別面白いということもなかった。しかし、今思えば、素袍落の面白さは、狂言の様式に則っていながら、その虚構の中にリアリズムを見い出せるところであり、歌舞伎のように演劇性の高いジャンルに移しても、狂言の時ほど面白くないのは当然な気がする。今回の素袍落は、七五三師の、たとえば、お酒を飲む様子、酔って最初は上機嫌になるところ、そのうちだんだん愚痴っぽくなるところ、同じ話を繰り返し出すところ、酩酊して千鳥足になるところ等々が、狂言の話法や所作の形式を守っているのに、まるで本当にお酒に酔っているようで、楽しかった。

ところで、お伊勢参りというのは、江戸時代に盛んになったとどこかで読んだが、このお話はかなり江戸時代に近い時期にできたのだろうか。しかし、村で集団で行くという話ではないようなので、江戸時代のお伊勢講とは性格が違うものなのかもしれない。


善知鳥

最初に囃子方地謡の方が入ってくると、ツレの漁師の妻と子方の千代童が入ってきた。後場に出てくるかと思ったら最初から居た。


まずは、諸国一見の僧(福王茂十郎師)があらわれて、外の浜(青森県外ヶ浜)を見に行こうと思うが、その前に霊山の立山富山県)を見よう、という。そして、立山に着くとその地獄のような有様に驚く。すると、老人(松野恭憲師、三光尉)が橋掛りに現れ、外の浜に行くなら、去年の春に亡くなった猟師の妻子を訪ね、蓑と笠を手向けてくれ、と伝言してくれという。何故、蓑と笠かというと、先の解説の方によれば、死出の旅路マスト・アイテムであり、地獄で善知鳥の血の涙を避けるのに便利なので、ということだった。また、パンフレットに拠れば、蓑と笠というのは、猟師を象徴するアイテムだそうだ。ふむ、そう言われてみれば、仮名手本忠臣蔵の五段目で、猟に出た勘平は、蓑と笠をつけているなあ…と思ったが、あれは雨の中という設定だからだろうか。


さらに、老人は、頼んでいるのが本人であることを証明するために(ということは、早くも亡霊であることが判明?)、自分の袖を引きちぎって僧に渡す(引きちぎる袖は、仮留めされているだけですぐに外れるらしい)。そういえば、歌舞伎や文楽でも袖が本人の証拠として詮議のネタになったり、夏祭の団七と徳兵衛がお互いの片袖を交換して義兄弟の契りを交わしたりして、何故に袖なのか…と思っていたが、パンフレットに拠ると、「着物の袖に霊力が宿る」という古代信仰があり、そこから来る発想のようだ。
ともあれ、老人はそのように僧侶に頼むと消えていってしまう。


浦人であるアイ(茂山逸平師)が出てきて、妻子の住家を教える。すると、すぐに戻ってしまうので、あれ?シテのお色直し時間はこれで終わり?と思ったら、まだワキの僧とツレの妻(工藤寛師、曲見)との問答があった。

僧は立山でのことを話し、懐から猟師の茶色い麻の袖を出す。すると、ちょうど同じタイミングで切戸口から後見の方が先程まで前シテが着ていたのと同じ水衣が妻に手渡す。猟師の妻はその水衣を僧の差し出す片袖に近付けて、確かに夫の袖であることが分かり、あっと驚く。僧は蓑と笠をたむけて回向をすることを勧める。


ここから後シテ(痩男、黒頭)の登場。対面できた親子は懐かしがり、漁師は千代童の頭をなでようとするが、所詮、あの世とこの世に分れているため、千代童の頭をなでることができない。


そしてシテは職業として猟をせざるを得なかった自分の境遇を嘆く。


全然お能の流れから離れるが、「(シテ)とても渡世を営まば、士農工商の家にも生まれず (地謡)又は琴棋書画を嗜む身ともならず」という詞章が興味深かった。士農工商って江戸時代のものと習った気がするけど、このお能の作者の世阿弥の時代から言葉自体はあったのだー、と思って、wikipediaを見てみた(wikipedia:士農工商)。すると、言葉自体は中国の春秋戦国時代の民の分類法を示した言葉らしい。すると、その後の詞章の「琴棋書画」(文人の理想とされる生活)と共に、江戸時代の「士農工商」というよりは、中国の古典から引いてきた言葉として用いられているのかも。他にも和歌や漢詩に典拠がありそうな詞章が数多く出てくるのだけど、私には分らず、残念。


そして、カケリとなり、シテは杖で善知鳥の雛を打ち据える型を場所を変えて三回ほどする。鬼気迫る様子でかなり残酷。これじゃあ地獄に落ちるのも仕方ないよね、と思ってしまう。で、最後にお囃子が止まって、足拍子が踏まれて、さらに緊張感が最も盛り上がる場となる。


この後、地謡は地獄の恐ろしい様子を語り、シテはその様子を舞い、最後はそのまま橋掛りに行く。そして、お幕に入る前に、僧の方を振り返り、助けて賜べ、と救いを求めて消えていく。怖〜!!


なお、この善知鳥と聞いて文楽・歌舞伎で私が最初に思い出したのは、今年一月の文楽公演、住大夫が語った「傾城恋飛脚 新口村」の終盤近くの詞章、

裏道見やつて伸上がり、「オヽそふじゃ/\その道じや。ソレその藪をくぐるなら、切株で足突くな」と届かぬ声も子を思ふ、平沙の善知鳥血の涙、長き親子の別れには、やすかたならで安き気も、涙々の浮世なり
(鶴澤八介メモリアル「文楽」ホームページ 床本集より)

だけど(しみじみ、良かった!)、歌舞伎舞踊の「忍夜恋曲者(将門)」にも関係あるとか。実は、この将門は、「世善知鳥相馬旧殿(よにうとうそうまのふるごしょ)」という歌舞伎の演目の一部なのだそう(天保7年(1836年)江戸 市村座初演)。Webを検索してみたら、「相馬旧殿」の原作となる読本「善知烏安方忠義伝」(文化3年(1806)初編)について解説されているページがあった(こちら)。どうも、お能の善知鳥をベースに東北つながりで将門を引っぱり出してきてとっても複雑な筋立てにしたものらしい。