東京国立博物館 「フランスが夢見た日本―陶器に写した北斎、広重」&「平常展」

日仏交流150周年記念 オルセー美術館コレクション特別展
「フランスが夢見た日本―陶器に写した北斎、広重」

http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=D01&processId=02&event_id=5558&event_idx=1&initdate=2008/06/01&dispdate=2008/07/06

平常展
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=D01&processId=00&initdate=2008/06/01&dispdate=2008/07/05


フランスが夢見た日本―陶器に写した北斎、広重


「フランスが夢見た日本」を楽しみにしてきた。有田焼の展示で伊万里を写したマイセンとかを見ることがあるが、浮世絵を写したものについては、あまり観た記憶がなかったからだ。

さらに、興味を引かれたことがあった。
6月中に日経本紙の最終面(文化欄)に、この展示のための陶器と浮世絵の照らし合わせ作業を行った、元東博学芸員で今は歴博にいる方の苦労談が載っていて非常に面白かったのだ。
不注意なことにその新聞を既に資源ごみに出してしまったので、確認することができないのだが、その学芸員の方は、オリジナルの浮世絵を求めて、友人のつてを頼ったり、図書館でマイクロフィルムを見て目が回って気分を悪くしながら、7割の元絵を見つけていったのだという。最後は、東博の担当者の方から、「もうカタログの校了に間に合わないから見つけないで下さいね」と、冗談めかして言われた、というような話だったと思う。そこまでして探すとは、と、研究者魂に熱く感じ入ってしまった。


実際、見に行ってみると、テーブルウェア自体は、1863年以降に商品化されていたものだけに、このテーブルウェアの展示に1,000円と言われればちょっと疑問がわくが、とにかく、元絵を探し出した執念がすごい。むしろ、そこが見どころだと思う。それには1,000円払っても、ちっとも惜しくない。


展示は第1章が「セルヴィス・ルソー」のテーブルウェア、第2章が「セルヴィス・ランベール」という構成になっている。


セルヴィス・ルソーの方は、黒い線と斬新なオブジェの組み合わせが特徴だ。殊に虫がお好きなようで、中心主題は魚だったり海老だったり、鳥だったりするのだが、蜂、カマキリ、バッタ、蝶、蛾と沢山の虫がさりげなく添えられている。私は虫が全く駄目なので、このようなお皿は、ちょっとパスだ。たとえば、もし、ソースをパンで拭ってみると、お皿の底に北斎による写実的な蝶の絵が出てきたら、、、もう一度ソースでその絵を隠して、そのお皿の料理とソースを拭ったパンには二度と手を付けないだろう。
私としては、ルソーの感覚を疑いたいところだが、思い起こせば、ガレも写実的な虫を沢山扱っているし、フランス人は意外に虫愛づる国民なのだろうか?


一方のセルヴィス・ランベールの方は、上品な色合いの、濃淡のきいた美しい絵が特徴だ。梅と蝉といったように季節がごっちゃになっているものもあったが、基本的には、日本的主題を上手く取り入れているデザインだった。
また、興味深かったのが、浮世絵の風景画を取り入れていることだ。フランス人の選択眼を通してみると、改めて、浮世絵の斬新さに気がつかされる。たとえば、平坦な画面なのに、大胆な近景のクローズアップや大胆な色遣いで、普通の遠近法以上に印象的に画面に奥行を持たせている。19世紀末の欧州の美術界の状況を思い起こすと、このような絵が新鮮に受け取られたことが分かる気がした。


これらの浮世絵を見ていたら、ちょうど、ほぼ同時代の渡辺崋山のことを思い出した。写実性にこだわった彼は、日本画の技法と西洋画の技法の挟間にとらわれ、政治上も立ち行かなくなり切腹することになる。武士という立場にあったため、時代の閉塞感をそのまま背負ってしまった部分もあるのかもしれないが、日本画の限界を軽々と飛びぬけてしまい、欧州の文化に大きな影響を与えた北斎暁斎のような人達もいた。政治的なことだけでなく、文化においても日本的なるものが、大きな曲がり角にさしかかっており、その圧力の中で光を放っていた時代だったのだ、ということを改めて考えさせられた。


平常展

特集陳列 平成19年度新収品 本館特別1室・特別2室 2008年6月17日(火)〜7月13日(日)

これがまたすごい品々で目の保養になりました。

古筆手鑑 毫戦(奈良〜江戸時代)
まず、下記のWebページにあるとおり、表紙が美しいのだが、収載の古筆もなかなか。とはいえ、観たそばから失念してしまい、今思い出せるのは、道風とか、佐理ぐらい。。。ちゃんとメモっとけばよかった。
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B06&processId=00&event_id=5578&event_idx=1&dispdate=2008/07/06


北野天神縁起絵巻(建治本)断簡鎌倉時代・建治3年(1277))

またここにひとつ北野天神縁起絵巻が。内容は、牛車の牛が天神様の怨念により転んで動かなくなってしまったの図。道明寺天満宮のホームページによれば、仁和寺神罰という場面らしい。
http://www.domyojitenmangu.com/senmen53.shtml


帝鑑図屏風狩野山楽筆、江戸時代・17世紀 )

とても素晴らしい屏風図。宮殿が描かれているのであるが、その絵が、今年1月に文楽で観た「国性爺合戦」の楼門や甘輝館にそっくりだった。あの時は、当時の竹本座の人々が想像力を駆使してあのような形の大道具を作ったのかと思ったが、実際には、帝鑑図などを参考にしたのかもしれない。


唐織 茶地向鶴菱模様(江戸時代・17世紀)
金春流および金剛流では、道成寺で向菱の文様の唐織の装束を付けることになっているという。


2室 国宝室

国宝 華厳宗祖師絵伝 巻第二高山寺蔵、鎌倉時代・13世紀)

前回のリベンジでもう一回、観に来た。どうも竜宮の場面らしい。


3室 仏教の美術―平安〜室町

北野天神縁起絵巻(甲巻、乙巻)鎌倉時代・13世紀)

私は前回、どうも、説明プレートをよく読んでいなかったらしい。

甲巻には、紅梅別離、時平抜刀、配流(牛車)、安楽寺埋葬が記載されており、乙巻には、綾子託宣、女房盗衣、仁俊(にんしゅん)潔白、船出配流が記載されていると書いてあった。すると前回観たとき意味不明だった乙巻が、少し、分かってきた。
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?&pageId=E16&processId=02&col_id=A29&ref=&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=&Q5=&F1=&F2=

まず、祠に向かって坐しているのは、乳母の文子ということだろうか。女房盗衣は、道明寺天満宮のホームページによれば、こんな話だという。待賢門院がまだ皇后だったころ、女房が衣をなくし、疑いをかけられた女は北野社に祈願して、思い出づやなき名立つ身はうかりきと荒人神になりし昔を」という歌を詠んだ。すると、すぐに敷島という女が盗んだ衣を着て狂い出てきた。仁俊潔白は、「世尊寺阿闍梨仁俊は、ある女房の讒言に遭い、心を痛めていた。そして天満宮へ参篭していると、その女が半裸で錫杖を振って躍り狂い始めた。仁俊は呪法でその女を助け、薄墨という名前の馬を鳥羽院から賜った」という話だということだ。
http://www.domyojitenmangu.com/senmen50.shtml
http://www.domyojitenmangu.com/senmen51.shtml
http://www.domyojitenmangu.com/senmen52.shtml


8部屋 書画の展開―安土桃山・江戸

犬追物図屏風(筆者不詳 江戸時代・18世紀 )

犬を放してそれを馬上から弓で射る競技を行っている。残酷!


9室 能と歌舞伎 特集陳列 能「善知鳥」の面・装束

狂言絵巻 上巻の内「善知鳥」

お能の善知鳥の装束や面などが展示されていて、今とおんなじだーと思っていたが、面白かったのは、この絵巻。ちょうど、前シテが旅僧に片袖を渡しているところで、そこは今と同じ。しかし、異なるのは、まず、地謡座に12人もいること。しかも紋付袴ではなく、みな思い思いの服装。さらに、不可解なのは、お囃子方の後にも10人近くいるのだ。この人たちは何だろう。地謡なら、そーとー迫力のある謡だろう。そーゆーの、聞いてみたい。興味津津。


10室 浮世絵と衣装

四条河原図屏風(右隻)(筆者不詳 江戸時代・17世紀 )


四条河原の舞台で、踊りのようなものを皆が見物するの図。舞台中央に置かれた椅子に座り、三味線様の楽器を弾く人がいて、回りを女性が取り巻き、盆踊りのように踊っている。お囃子連中もいる。興味深いのは、庶民だけでなく、十二単を着たやんごとなき御身分の女性も見物していること。彼女たちは、舞台と同じ高さに設置された見所で御簾の中から観ている。十二単を着るような女性が四条河原までお出ましになっているというのは、ちょっと意外だ。


浮世絵

今回は役者絵が全く無くて、スーパーつまんなかったです。四条河原図屏風の展示で割を食ったか。


根付

私は根付、お守り、キーホルダー系の、ぶらぶらぶら下げるものの必要性が全く分らない。なぜ、ケータイとかにジャラジャラいろんなものをつけたいのか、理解不能である。だから、この根付コーナーはいつも素通りしていたのだけど、たまたま今回ふと目をやると、象牙の柔らかい白色の、まんまるなうさちゃんや、二匹でじゃれる丸々した小犬がいて、あまりにも可愛らしい。一瞬、根付に開眼しそうになった。

ところで、日本の絵画に出てくるわんちゃんはある時期まで、狐やイタチと区別がつかないくらい、やせっぽちだ。例えば、8室の犬追物図屏風などはイタチ系の犬だ。ただ、江戸時代のある時期になると、まんまるの子犬が登場する。いつから、なぜ、わんちゃんはまんまるになるのだろうか。知りたい。

一方、猫はどうだろう。江戸時代も末まで、今の猫とは違う様子だ。犬と区別がつかないことが多い。三角の耳と丸い目に細い瞳という絵は一体、いつから広まったのだろう。。。ひょっとして、ニャロメ先生から?