国立能楽堂 定例公演 太子手鉾 松風

狂言 太子手鉾(たいしのてぼこ) 松田高義(和泉流
能  松風(まつかぜ) 寺井良雄宝生流

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1785.html

太子手鉾

太子とは聖徳太子のこと。また、手鉾とは、武器の矛(ほこ)の一種で、狂言の中では長い棒の先に刀の鍔(つば)のようなものがついていて、さらにその先に、短い、細く尖った錐(きり)のようなものがついた小道具として表現されている。

太子手鉾というのは、太郎冠者(松田高義師)の持ち物なのだが、当然、聖徳太子ゆかりの手鉾などが、太郎冠者のものであるはずはない。実は、太郎冠者の家は雨漏りがする。「太子手鉾」は、その雨漏りの箇所の穴を塞ぐ道具なのだ。

なぜ、太子手鉾という名前かといえば、雨漏りするという「漏り家(もりや)」と、聖徳太子が討伐した「守屋物部」の「もりや」を掛けた洒落ということなのだ。

主(野村小三郎師)は、旅行から戻って挨拶に来ない太郎冠者に文句を言いに来る、そのついでに以前から気になっていた、太子手鉾を見たいと言うのだが。。。というお話。


主と太郎冠者の関係が、少なくとも主の方はかなり厳しく捉えていて興味深かった。主人の家に挨拶に行かなかった理由を雨が降ったからなどというが、それに対して、主は、「雨の降る日ほど主人の家に来て、忠義を見せるものだ」という趣旨の反論をしたり、主の言うことに従わなかったら「手討にする」などと言う。もっとも、太郎冠者は、内心はあまり相手にはしていないようだったが。


松風


在原行平が、須磨を離れる時に詠んだ「立ち別れ いなばの山の峯に生ふる まつとし聞かば 今帰りこむ」という歌から出来た曲。


歌舞伎でも同テーマの舞踊「汐汲」があり、汐汲みの桶を天秤で担いで現れた松風一人が優雅に踊る。お能の「松風」の方は、妹、村雨も一緒だ。


今回、松風を観て一番印象的だったのは、松風村雨が、とにかく何度も泣く所作(シオリ)をすることだ。あっち向いてシオリ、こっち向いてシオリ、向かいあってシオリ、syncronized シオリ、という具合。歌舞伎の汐汲は、優雅な踊りだし、松風の詞章を事前に読んだ時も、そんなに泣くところがあるとは、思わなかった。


何故、そう思ったかというと、「立ち別れ いなばの山の峯に生ふる まつとし聞かば 今帰りこむ」という歌の持つ、音楽でいえば、切なさのスパイスがちょっぴりかかってはいるが基本的には長調の響きが、どうも涙涙の松風&村雨のとしっくりこない気がするのだ。この歌からは、今、正に去ろうとしている土地や人への愛惜の念を感じる反面、やっと京に帰ることができるという喜びがにじみ出ている。その行平の言葉を心の支えに、いつまでもいつまでも涙に暮れながら帰りを待っているというのは、なんだか不思議な感じだ。


シテ&ツレは、前半、泣く所作以外に大きな動きはなく(前半一番活躍するのは後見の人なくらい)、ただただ、静かに行平を追憶し、思慕するのみ。ところが物着で松風が行平の狩衣を着た後は、松風が物狂いの様相を呈して、舞台が動き出す。松風は思わず、松の立木に行平の面影を見て飛びつこうとするが、妹の村雨が、さながらバスケットボールでゴールしようとする松風を妨害するが如く(!)、止めに入る。すると、松風はふと我に返り、また嘆く。


しかし、しかしである。ふと考えてみれば、この松風&村雨は、すでに亡くなって久しい亡霊なのだ(このことは、話の最初から種明かしされる)。つまり、行平はこの世の人ではないし、松風&村雨もこの世の人ではない。ということは、この舞台上で起こっているドラマは、この世で起こっていることではないのである。ところが、松風&村雨の嘆きの所作から生まれるアフォーダンスによって、行平を恋い慕う狂おしい思いというのは、確かにそこに感じることができる。その場合、私が確かに感じているものは、一体、何なのだろう…そんなことを考えていたら、頭がくらくらしてきた。


よくもこんな合わせ鏡を覗きこむような話を考えられるものだ。私の頭は未だくらくらしている。