大阪市立東洋陶磁美術館「中国工芸の精華 沖正一郎コレクション−鼻煙壺(びえんこ)1000展」

受贈記念特別展「中国工芸の精華 沖正一郎コレクション−鼻煙壺(びえんこ)1000展」
《同時開催》
特集展 「古染付の魅力」
平常展 安宅コレクション中国・韓国陶磁、李秉昌コレクション韓国陶磁、日本陶磁
会  期 : 平成20年7月19日(土)〜9月28日(日)

http://www.moco.or.jp/jp/exhi/index_0806f.html

去年、何気なしにここを訪れて、安宅コレクションを見て、言葉に言い表せないほどの感銘を受けた。


静かな美術館の建物自体も好きだし、何といってもその時開催されていた「美の求道者 安宅英一の眼」という、安宅英一氏のコレクション展が素晴らしかった。そのコレクションは、安宅氏の美に対する強いこだわりがひしひしと伝わってくるものだった。日常、私などは、美しいものはただ美しいと思うだけだ。しかし、安宅氏は、彼の考える「美」というものを、彼の審美眼に適った器を収集することで、「何を以って美とするか」を示した。ひとつひとつの品々が名品、優品で、東博のコレクションにも勝るとも劣らない品々だし、なんといっても、コレクションという総体が、安宅氏の哲学を物語っており、コレクションそのものがアートと言って良いほどだ。


また、館長の伊藤郁太郎氏の、安宅氏とこのコレクションに対する深い理解と愛情にも、胸打たれた。この方は、大学で美学美術史を専攻された後、そのまま、安宅産業社長の安宅氏の右腕として、このコレクションの収集にずっと関わられ、更には、安宅コレクションを中心として設立された大阪市立東洋陶磁美術館の館長になられた、安宅コレクションと共に生きたといっていいような方だ。去年の「安宅英一の眼」展も、伊藤氏の安宅氏に関するエピソードを交えた説明プレート無しには、私は理解し損ねていたかもしれない。安宅氏とコレクションを形成していった当事者である伊藤氏が、順序を追って、どういう来歴でそのコレクションが発展していったかについて、丁寧に解説をつけられていたのだ。それはまるで、伊藤氏と美術館のソファに対坐して、コレクションを一つ一つ手にとって、コレクションの歴史を追体験させてもらっているような心地のする文章だった。伊藤氏の解説と共に、コレクションが成長して行くのを喜び、ある皿が東博のものより優れていることを誇らしく感じ、安宅産業の衰退と共にコレクションも命がけのものとなるのに胸がつまった。また、何と言っても、解説文を通して透けて見える安宅氏とそのコレクションに対する温かい眼差しに心動かされた。


その後、この安宅コレクションが東京の三井美術館に巡回してきた時も観に行ったが、大阪のホームグラウンドで観たときほどの感銘はなかった。展示方法が、韓国、中国の陶磁器の優品を時系列で紹介するという形だったため、コレクション全体の発する魅力というのは、薄まってしまっており、あの安宅氏のコレクションを追体験するぞくぞく感というのが無かった。それはそれで一つの展示方法だし、三井美術館には三井美術館の展示方法があるのはもっともだと思う。が、一方で、安宅コレクションは伊藤氏という代弁者があってのコレクションなのだ、と強く思った。


「中国工芸の精華 沖正一郎コレクション−鼻煙壺(びえんこ)1000展」

長々と過去の展示の話を書いてしまったが、今回の特別展は、沖正一郎氏という元伊藤忠商社マンの方の鼻煙壺のコレクション展だった。


鼻煙壺とは鼻で吸う形の煙草の粉末を入れるための容器で、ぱっと見は香水瓶のようだ。解説によれば、

15世紀末にアメリカ大陸からヨーロッパへ伝えられ、17世紀には王侯貴族などのあいだで大流行しました。嗅ぎタバコの習慣は、17世紀半ば頃にヨーロッパから中国へ伝わったと考えられています。その後、清朝の宮廷で大流行し、次第に社会全般に普及していきました。当初はタバコを保管するために、ヨーロッパ式の箱形容器が使われていましたが、やがて、湿潤なアジアの気候にあわせた、密閉式の中国独自の壺形容器が生まれました。これが鼻煙壺と呼ばれるものです。
http://www.moco.or.jp/jp/exhi/index_0806f.html

ということだそうだ。とにかく、嗅ぎ煙草を入れる容器という条件を満たすことができる、ありとあらゆる素材・技術を駆使して小さな壺という制限の中で、美しさを競っている。


小さいものだから、すいすい見てしまえるかと思ったが、ひとつひとつ、面白く、つい時間をかけて観てしまう。何故なら、その小さな5cmほどの壺に、職人の、ありったけの技術、美意識、人生が込められているし、また、これを所有していた人の、この小さな美しい壺への愛情、共に過ごした人生を感じることもできる。恐らく、ある壺はその美しさ故に本来の役目を果たすことなく大事に飾られ所有者や家族、客人の眼を楽しませ、またある壺は常に所有者の傍らにあり、所有者の心が揺れた時、無意識に何気なく、頻繁に手の中におさまっていたことだろう。これらを収集した沖氏が魅せられてしまった訳も良く分かる。


沖氏のホームページにもいくつか素敵な画像があるので、リンクをはっておく。
http://www.itochu-shayukai.org/collection/oki1951/oki1951.html


平常展 李秉昌コレクション韓国陶磁


平常展は、前回の安宅コレクションで出会った陶磁器達との再会。そして、李秉昌コレクションは、私は初めて見るか、前回は時間が無くて飛ばしてしまったところにあったのだろう。どれも、名品揃いで大阪に来ないと観れないのは悔しい。東洋陶磁美術館の東京分室でも作ってほしいくらいだ。


李秉昌コレクションの中で、面白い壺を見つけた。高さはかねがね30-40cm位のぽってりとした染付の磁器で、白一色の中、肩の部分を取り巻くように漢詩が書かれている。その詩の英訳がふるっていて、

  「Don't leave me alone to gaze at the moon(月を見るのに一人にしないで)」

というものなのだ。もし、「"Moon River"の歌詞にこんな一節があってね」などと言われても、フムフムと信じてしまうだろう。この壺が似合うシチュエーションは、、、などと、楽しい妄想を膨らませたくなる一品だ。


安宅コレクションは、どの品も間違いなく美しいが、反面それは、憂いを含んだ美で、心が締め付けられるというか、涙が出そうになるというか、そういう種類のものが多い。そんな中で、このような洒落た壺が澄まし顔で鎮座していたりするから、つい、長居をしてしまう。本当に大好きな美術館だ。