国立能楽堂 定例公演 無布施経 天鼓

狂言 無布施経(ふせないきょう) 野村万之介和泉流
能   天鼓(てんこ)弄鼓之舞(ろうこのまい) 観世恭秀(観世流

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とてもドラマティックなお能だった。台風のように観客の心を鷲掴みにして去って行き、終わっても頭がしびれるような感覚が残った。暑いし、街もお盆休みのゆるい雰囲気が流れているし、お気楽な気分で観に行ったのに、予想外のカウンター・パンチをくらってしまいました。


無布施経

住持(野村万之介師)が毎月お経をあげる施主(野村万作師)は、いつも布施として十疋(ひき、お金の単位で100疋で1貫)をくれる。今月も、施主の家にて読経をするが、途中、来客にとりまぎれて、施主はお布施のことをすっかり忘れてしまう。住持は、とりたてて十疋が無くとも困らぬものの、かといって、このまま受け取らないで帰ると、今後もお布施がなくなってしまうかもしれない、と思い、さりげなく、お布施を催促する。しかし、すっかり忘れてしまっている施主は、全くお布施のことを思い出す気配が無い。そこで、住持は様々に工夫して、何とか布施のことを思い出さそうとするが…というお話。

お経は「妙法蓮華経…」と唱え始めたので、おおっ?このまま行くか?と思ったら、すぐに「にゃむにゃむにゃむにゃむ…」という、お経の"つもり"バージョンになって、笑ってしまった。

あからさまにお代を請求するのは、ためらわれる。しかし、貰えるものはしっかりもらっていきたい、と葛藤する住持の気持ちは今の時代でも十分共感できる。お布施のことを思い出してもらおうとして話す言葉は、仏教の無欲の教理に基づいたものなのに、その話をしている住持はお金をもらおうと内心七転八倒しているというのは、何とも滑稽だ。今よりずっとお寺と縁が深い時代には、観客は身近なお寺の住職を思い出して、もっとうけたことだろう。

最後には、施主がお布施を思い出すが、思い出せば思い出したで、今度は、今までの催促がすべてそうと知れてしまう。住持は、気恥かしさからとぼけてしまい、容易に布施を受け取ることができない。なかなか鋭い人間観察に基づいた狂言なのだった。


天鼓(てんこ)弄鼓之舞(ろうこのまい) 観世恭秀(観世流


息子の形見である鼓が音がしなくなり、父が打つと音が出て、息子の霊が現れて喜びの舞を舞う、というお話。お能の「藤戸」と「梅枝」に似た話だが、音のしない鼓と親子の情により音が鳴るというモチーフは、浄瑠璃義経千本桜」の四ノ切にもある。この義経千本桜はどの段も何かしら史実を核として想像の羽根を広げているのに、四ノ切だけは、全く史実に依っていなくて、一体どうやって思いついたのだろうと思っていた。こうしてみると、きっと千本の作者達は天鼓も参考にしたに違いない。


さて、天鼓についてだが、話自体は日本ではなく唐土後漢の時代のお話。天鼓とは、老父王伯の子供の名前だ。生まれる前に母が夢の中で天から一つの鼓が降り下り、胎内に宿ったので、そのように名付けられた。

後に本物の鼓も降り下り、その音色が素晴らしかったので、帝が鼓を召し上げようとしたが、天鼓はその鼓を抱いて山中に逃げ隠れてしまう。しかし、結局、天鼓は見つかり、呂水の江(ろすいのえ)に沈められ、鼓は阿房殿雲龍閣(あぼうでんうんりゅうかく)に据え置かれた。その後、鼓は鳴ることはなかった。

そのようなことをワキの勅使(村瀬純師)が語った後、勅使は王伯を呼ぶ。王伯が登場して橋掛りに坐すると、勅使は参内して続いを打つように言う。王伯は「自分が打っても鳴るわけがない」一度はと断るが、わが子の形見を見に行こう、と思い直し、参内することにする。

王伯は、小尉(だったかな?)の面、浅黄の水衣で、袖には蔦のような葉と蔓の文様があった。この葉はうっすらと青または白の色が付いていたので、葛の葉で恨みを象徴させていたのかも。

王伯が舞台まで来ると、天鼓への哀惜の情で、緊迫感のある舞台になる。いきなり後場を見ているような盛り上がりなのだが、考えてみれば、王伯にとっては、亡くした子供の形見と対面する、人生最大といってもいい場面であり、いくら嘆いても嘆ききれない振り絞るような感情の吐露があって、当然だ。

王伯が促されて赤絵の瓢形徳利のような形の鞨鼓台に載せられた鼓を打つと、何と今まで音のしなかった鼓が鳴った。まさに親子の情が鳴らしたもので、王伯は泣き伏せてしまう。見ていて胸が締め付けられるような気持ちになった。ここでは、瓢箪のような形の作り物に紅い細い布(紅緞[こうだん]というらしい)を巻きつけた太鼓台の上に鼓があって、シテはそれを撥を持って打つ所作をするのだが、音は立てず、観客がその音色を想像するようになっている。以前、梅若六郎師の梅枝を観たとき、鼓を叩く時、実際に太鼓で音を鳴らす、という演出があったけど、本来、音を鳴らさず観客に想像させるというのは、非常にお能らしい演出なんだろう。

泣き崩れてしまった王伯をアイの勅使(石田幸雄師)が家に送り、管絃講にて天鼓の供養をすることになる。

後場の囃子が始まると、大鼓の柿原崇志師が大鼓を別のものに変えていた。小書の「弄鼓之舞」というのは、楽が高い音程となる盤渉調となるらしいので、そのために替えたのかもしれない。そういえば、この前見た葵上でも亀井忠雄師が大鼓を変えていたなあ。


後場では、帝の命によって管弦講を執り行っていると、天鼓の亡霊が現れる。最初、天鼓の面は良く見えないのだけど、橋掛りでゆっくりと、見所の方を向くと、黒頭の下に慈童のほっそりとした白い顔立ち、伏目がちの眼元、うっすらと笑みを湛えているようにも見える口元に思わずどきっとする。とても色気があるのだ。蝋燭の面明りに照らされた仁木弾正、花道に現れた白拍子花子にも通じる色気で、一瞬、天鼓が歌舞伎座の花道にいるような錯覚を覚えたくらい。装束は亀甲紋の半被に秋らしいクリーム色の地に鼓の文様の厚板。

天鼓は、舞台につくと、うれしさから、舞を舞う。この部分は詞章はほとんど無くて、主に囃子による舞が中心。囃子は大鼓が中心となって引っ張っていく時もあるけど、今回は、藤田六郎兵衛師の笛が色彩豊かな音色で全体を引っ張っていた。私は今のところ、この方の笛が一番好きだ。高い技術と表現力が随一だと思う。笛と小鼓、大鼓、太鼓はどんどんテンポを速めながら、華やかで祝祭的な響きとなる。

そのような音楽の中、天鼓はまずは鼓のところに行き、撥で鼓を鳴らしたり、撥を持って、歓喜の舞を舞う。一度橋掛りに行ってまた戻って鼓を打つというのも、小書の「弄鼓之舞」の演出のひとつらしい。この舞自体も繊細で軽やかでありながら力強く、何よりも色気もあって、本当にうっとりとしてしまった。うっとりとした、というようりは、もう、ハートを鷲掴みされてしまいました。お能でこんなに色気があってよいのだろうか。もしこんなお能を見たら、為政者なら、即、お能のスポンサーになってしまうだろう。足利義満お能好きというのはどういうことだったのだろう、武士にしては教養を重視していたからかだろうか、などといつも疑問に思っていたが、きっと義満は、こんな風に世阿弥に心を奪われたのだろう。

最後、「袖を返すや、夜遊の舞楽も時去りて、五更の一点鐘も鳴り、鳥は八声のほのぼのと、夜も明け白む時の鼓、数は六つの巷の声に、又打ち寄りて現か夢か、又うち寄りて現か夢幻とこそなりにけれ」という地謡と共に、常座に片膝を立てて座り袖を被いて、消えてしまうことで終わった(これがまた、かっこよかった!)。

ああ、心の準備もなしに、素晴らしいお能を体験してしまった。またお能が一段と好きになった。