東京国立博物館 平常展

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=D01&processId=00&initdate=2008/07/01&dispdate=2008/08/16

東博行きたい症候群を発症したので、行って参りました。


本館

3室  仏教の美術 ―平安〜室町

当麻曼荼羅図(鎌倉時代・14世紀)

当麻寺に伝わる中将姫が蓮糸で作ったという曼荼羅を基にしているという。

法華経(久能寺経)(平安時代・12世紀)

1142年、賢待門院が出家の際に逆修供養(げきしゅうくよう、生前に死後の供養をすることらしい)として、納経されたもの。鉄舟寺他に27巻あるという。鉄舟寺とは、元久能寺で、廃寺となっていたのを山岡鉄舟が再興したものだそうだ。ここは、静岡県清水市にあり、こんな遠方のお寺にまで納経したというのは、当時、賢待門院と何かの縁があったのだろうか。
傘をさした貴族の男性が二人描かれているもの、蓮の花が描かれているもの、金粉・銀粉が霧のように装飾されているものなどがあった。貴族の男性二人は何の寓意なのだろう。源氏と頭中将?

拾遺古徳伝絵巻 巻第二(鎌倉時代・元亨3年(1323))

法然の故事を描いた絵巻。独特のかぶり物をした僧形の人や、ポニーテールをした童が出てくる。開いてある一番最初の絵は、童(法然?)がお参りをしていて、近くに数人、僧形がいるという図。また、法然が剃髪している様子なども。
なお、僧形の人がしている被り物は「袈裟を用いた裹頭」らしい。こちらのURLに詳しい話があった。
http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/headgear/huhaku.htm
そういえば、先日観たお能の天鼓では、天鼓の父、王伯は、角帽子をかぶっていたが、私の記憶が正しければ、髪は白髪の長髪をそのまま垂らしていたような。どういう立場ということなのだろう。
細野善彦氏の本(「日本の歴史を読み直す」等)の中にも僧形のかぶり物をした人の話が出てきて(犬神人)、このあたりは知れば知るほど面白い。

3室 宮廷の美術 ―平安〜室町

類聚歌合(伝藤原忠家平安時代・12世紀 )

最初に開いてある部分は寛平御時の菊合から始まっているが、きちんと、和泉の菊、伊勢の菊、奈良の大沢池の菊等々、菊の産地とその菊にことよせて詠んだ歌が書かれていて、面白かった。そして、その後の菊合では、歌だけになっているのだ。

時代不同歌合絵巻断簡(在原行平)(鎌倉時代・14世紀)

行平の似絵と三首の歌。説明プレートに謡曲「松風」云々と書いてあったから、よくよく読んだら、「立ち別れ」の歌が書いてあった。他の二首は読めず。松風にある行平の歌「わくらはに問う人あらば須磨の浦に」の歌かと当たりをつけて凝視したが分らず。残念無念。


3室 禅と水墨画 ―鎌倉〜室町

仙女図(良祐筆 室町時代・16世紀 )

何が気になったかというと、風呂敷様の布で円筒形の桶のようなものを包んでそれをここ↓でいうお買いもの包みにして、それを肘に掛けていた。
http://homepage2.nifty.com/futava/furosiki/method/bag/bag2/bag2.htm
最近エコ流行りでいろんな雑誌に風呂敷のおしゃれな包み方が載っているが、室町時代から既に風呂敷の包み方のバリエーションは色々あったのだった。


7室 屏風と襖絵 ―安土桃山・江戸

瀟湘八景図屏風(狩野尚信筆 江戸時代・17世紀 )

瀟湘八景とは、様々な八景の元になったものとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%9F%E6%B9%98%E5%85%AB%E6%99%AF

蘭亭曲水図屏風(与謝蕪村筆 江戸時代・明和3年(1766) )

蘭亭曲水図なのだが、曲水に流れてくるお酒が、お猪口に入っているのだった。前に東洋館で見た蘭亭流觴図並蘭亭諸帖墨拓巻は杯だったような。妙に江戸前な曲水図で笑いそうになってしまった。


8室 暮らしの調度 ―安土桃山・江戸

秋草桐紋蒔絵手拭掛、秋草蒔絵柄鏡箱、秋草蒔絵楾、秋草蒔絵角盥、秋草蒔絵耳盥(安土桃山〜江戸時代・16〜17世紀)

ひょっとしてこれらは秋しか使わないんですよね。

青磁瑠璃釉蓮鷺文三足皿(伊万里 江戸時代・17世紀)

伊万里にこういうものがあるのは初めて見た。真ん中に錆釉と白で鷺のシルエットが描き出されているほか、外側は蓮の葉が描かれている。


9室 能と歌舞伎  特集陳列 能「三井寺」の面・装束

狂言絵巻 下巻の内「三井寺」(筆者不詳 江戸時代・18世紀 )

最近、装束だけでは無くて絵も展示してくれるので、分り易い。


10室 浮世絵と衣装 ―江戸  浮世絵

岩井半四郎・団扇持ち遊女(勝川春章筆 江戸時代・18世紀)

伊勢音頭恋寝刃?

市川門之助・鯉つかみ、大谷広治の鯉つかみ(勝川春章筆 江戸時代・18世紀 )

この「鯉つかみ」というのは観たことが無い。本水を使うらしいので夏狂言なのだろう。鬘が車鬢という、いわゆる暫のやつで荒事のようだ。
(09/4/26追記:歌舞伎座でもらった歌舞伎座掌本春季号によれば、「鯉つかみ」は市川斎入(1843年〜1916年、市川右団次の父)というケレンを得意とした上方の役者が初演した演目で、本物の水槽の中で着ぐるみの鯉と大立ち回りをするという、スペクタクルな演目らしい。九州巡業中に乗っていた人力車がため池の中に陥り込んだ時のことをヒントに考案したという。また、城の崎の温泉の湯槽で1ヶ月にわたって、毎晩、弟子達と水中芸の練習をしたという。)


東洋館

第2室 アジアの考古遺物 銅鼓

いつも通路に鎮座ましましているので横目でちらっと見るだけだったが、これってあの北京オリンピックの開会式で鳴らしていたものと同じ楽器?

第5室 特集陳列 「名物裂」にみる文様 II ―禽獣文―

紫地向鳳凰丸文金襴(二人静金襴)(明時代・14〜15世紀)

足利義政二人静で着用したとあった。


濃萌黄地花兎文金襴(角倉金襴)(前田家伝来 明時代・15世紀 )

室町時代の豪商で、嵯峨本を作ったほか、ベトナムとの通商や治水事業も行った角倉了以が好んだ裂という。角倉了以といえば、角倉素庵のパパ。角倉素庵は私にとっては辻邦生の「嵯峨野明月記」。「嵯峨野明月記」に出てくる了以は、大人物という印象だけど、こんなうさちゃん柄がお好みだったとは、意外にお茶目な人物だったのか。


第9室10室 北東アジアの考古遺物  朝鮮の考古・金工

勾玉があって、勾玉は朝鮮から渡ってきたものなのか?と思ったが、こちらのWikpediaの解説を読むと、古代日本の勾玉が朝鮮に渡ったらしい。ふむふむ、この時代、双方が影響を与えあっていたのだなあ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%BE%E7%8E%89

第10室 北東アジアの陶磁  朝鮮の陶磁

鉄砂草花文壺(朝鮮時代・17世紀)

何となくは思っていたのだが、朝鮮のこの手のものは、唐津とそっくりだ。今まで、唐津の素朴さが好きだなあぐらいにしか思ってなかった。けど、この唐津の手法は、元々、唐津は朝鮮系の人たちが始めた窯だと思うが、手法も朝鮮のものを取り入れたんだろう。そう思って比べてみると面白い。