東京国立博物館 特別展 「大琳派展」

尾形光琳生誕350周年記念 
特別展「大琳派展−継承と変奏−」
平成館 2008年10月7日(火)〜11月16日(日)
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=5705

琳派展」、しかも前に「大」がつく。すっごーい!と思っていたが、観てみると、結構、すでに見たことがあるものも多い。でも、好きだから何度見てもいいのだ。

でもって、こうやって改めて眺めてみると、やはり私が好きなのは、乾山ぐらいまでだろうか。抱一、其一が嫌い、というわけではないのだが、彼らの琳派としての絵は、どこか、個性の発露というよりは先人へのオマージュという感じがしないでもない。実際、彼らは琳派の先人の描いたテーマも描くが、それ以外のテーマや手法を試す時、琳派的片鱗を残していない。

更に、もうひとつ感じたのは、光悦、宗達光琳、乾山が、王朝文化の影響を色濃く宿しており、和歌や謡曲漢詩等と絵、文字を融合させた、総合芸術となっている点だ。抱一、其一になると、絵に重点が移っていて総合芸術という面は弱まる。どちらが良いというわけではないが、それぞれの置かれた立場、個性、生きた時代が要求するものが違った、ということなのだろう。


■ 第1章 本阿弥光悦俵屋宗達

「月に秋草図屏風」(伝俵屋宗達筆、6曲1双、江戸時代 17世紀、東京・出光美術館蔵)

宗達の初期の作品、または宗達の弟子の作品という。そう言われれば、後の宗達の絵に比べると、確かに技術的に劣る部分がある。しかし、萩の葉っぱを見て、ノックアウトされてしまった。辻邦生の小説「嵯峨野明月記」の中に、宗達をモデルとする主人公が、葉っぱを描く代わりに葉っぱを型にして絵具を付け紙に型押しする、という場面があるのだ。この絵の萩の葉は、いかにも形の良い枝を取ってきて、絵具をつけて押してみました、というような風情。ああ、あの辻邦生の「嵯峨野明月記」は、私にとって印象が強烈過ぎる。宗達に関しては、どうしてもあの本の宗達が創作とは思えず、つい、小説の場面と絵を紐付けたくなる。

ところで、この六曲一双の屏風図について、説明プレートには、左右入れ替え可能と書いてあり、今回の展示では、月が右端に来るように置いてあった。が、私は月が真ん中に来るように配置する方が圧倒的に好きです。以前、この屏風を、月を中央に置く配置にした形 ―― 萩、薄、桔梗等の秋草が上風に揺れている武蔵野に、上弦の朧月が上る形 ―― にしたものを出光で見て、雷に打たれたように宗達を好きになったのだった。

樵夫蒔絵硯箱(重文、本阿弥光悦作、1合、江戸時代 17世紀、静岡・MOA美術館蔵)

薪を担いだ樵夫の蒔絵が施されている。この樵夫は大友黒主だという解説がなされており、歌舞伎舞踊の「関の扉」を思い出した。あの舞踊の中では、大友黒主は関守にやつしているのだが、見た目は薪と大きな斧を持った姿だ。今まで何故、樵夫姿なのか、というところまでは考えが至らなかった。それで、調べてみると、どうも謡曲「志賀」に関係あるようだ。「志賀」は、前場のシテが樵夫だが、実は大友黒主という内容らしい。この硯箱や「関の扉」もその説話を引いたものなのだろう。

(11/10追記)…と思ったが、どうも謡曲「志賀」で大伴黒主が樵夫姿になったのは、古今和歌集の仮名序の大伴黒主に対する評からきているようだ。紀貫之曰く、

大伴黒主は、そのさまいやし。いはば、薪負へる山人の、花のかげに休めるがごとし。

と、手厳しい!

平家納経 願文 化城喩品 嘱累品(国宝、表紙 見返し:俵屋宗達筆 3巻 安土桃山時代 慶長7年(1602) 広島・厳島神社蔵)

いやはや、これも詳しくは「嵯峨野明月記」を。。
表紙が鹿で、藤原氏でも春日大社でもないのに、何故に鹿?と思ったが、厳島神社でも鹿が神使とされているらしい。行ってみたいなあ。

風神雷神図屏風(国宝、俵屋宗達筆 2曲1双 江戸時代 17世紀 京都?建仁寺蔵)

解説によれば、風神雷神図は、実は、北野天神縁起絵巻、弘安本(?)の雷神を元にしているらしい。北野天満宮の祭神、菅原道真が死んでから大宰府から飛んできて雷神になって雷を落としたというあの場面だ。なるほど。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=66282

白象図杉戸(重文、俵屋宗達筆、2枚、江戸時代 17世紀、京都 養源院蔵)

高度にデザイン化された象の絵で、かつ、特徴をよくとらえており、宗達は象を見たことがないだろうによくぞここまで描いたなあと思った。が、その後、本館の16室、特集陳列「医学―博物館の医学資料―」 を見ていてびっくり。「證類本草」だったか、薬の一種として象牙について述べてある項目で、宗達の象の絵にとても良く似ている挿絵が添えてあったのだ。この本は、17世紀、明の国の伝来。ということで、宗達も、この手の本も参考にしたのかもしれない等と想像してしまった。

西行法師行状絵 巻第四(重文、俵屋宗達筆 1巻(3巻のうち)、江戸時代 寛永7年(1630) 、東京・出光美術館蔵)
西行法師行状絵 巻第三(重文、俵屋宗達筆 1巻(6巻のうち) 江戸時代 17世紀 文化庁蔵)

久々に見れてうれしかった、宗達の描く西行法師。最初に北面武士時代の義清、同じ北面武士で親友だった憲康の死、娘を縁から下へ蹴落とす等の絵。だったかな?本館平常展の方の宗達西行物語絵巻の記憶とごっちゃになってます。


■第2章 尾形光琳尾形乾山

立葵図屏風(尾形乾山筆、2曲1隻、江戸時代 元文5年(1740)、個人蔵)

珍しい、乾山の屏風図。初めて屏風図を見たと思う。


■第3章 光琳意匠と光琳顕彰

小袖 白綾地秋草模様(尾形光琳筆、江戸時代 18世紀、東京国立博物館蔵)

なんと光琳は雁金屋の次男坊にして、小袖のデザインはこの一点のみなのだとか。大胆なデザインかと思いきや、藍のグラデーションで描いた繊細な秋草の絵。


今回はまだ展示期間に入っていなかった、光琳の白楽天図(11/5〜)、中村内蔵助像もみたいなあ。どうしよう。。。


<おまけ>

平常展 本館8室 書画の展開 ―安土桃山 江戸

ここのお部屋も大琳派展別室状態になっていた。ある意味、大琳派展の出展作品より興味深いものも。

紅葉に菊流水図(尾形乾山筆、 江戸時代 18世紀 )

この絵は素晴らしい。乾山、屏風図よりこっちを特別展に出展した方がよかったのでは。

西行物語絵巻(渡辺家本)(巻上 俵屋宗達筆、江戸時代 17世紀)

もうひとつ西行物語が。記憶がごっちゃになってきた。どの場面だったか。。

和歌巻 (尾形宗謙筆、江戸時代 寛文4年(1664) )

これは、雁金屋ブラザーズのパパの書。光悦流で上手い!ただし、かれの達筆は子どもたちには引き継がれなかったようだ。。とはいえ、その流麗な筆さばきは光琳の絵を髣髴とさせるものがあります。雁金屋ブラザーズのファン必見。

<おまけのおまけ>

特集陳列 仮面 本館特別1室 2008年9月17日(水)〜2008年10月26日(日)

これがものすごく面白かった。

今の能面というのは、額の生え際、頬、顔の顎先が隠れるくらいのものを使っているが、ここに展示された平安時代あたりのものは、顔の前半分を覆うくらい大きいのだ。白洲正子のエッセイで、金剛氏正という能楽師がお寺の不動の頭を切り取って能面として使ったため、罰が当たって鼻が大きくなった、というエピソードを読んだことがある。仏像の首を能面の代わりにするなんてことが出来るのかなあ、と疑問に思っていたのだが、ここにある行道面などは、正に仏像の首の前半分という感じだ。実際、そのひとつは快慶作となっている。

さらに奈良時代の伎楽面 酔胡従に至っては、頭からすっぽりかぶってしまう形だ。ここまで来ると、面という言葉の定義が変わってくる。


本館7室 屏風と襖絵 ―安土桃山 江戸

朝顔狗子図杉戸(円山応挙筆 江戸時代 天明4年(1784) )

これは、本年度東博Kawaii選手権の優勝最有力候補と言っていいのでは。この子犬ちゃん達、かわいすぎ!