歌舞伎座 芸術祭十月大歌舞伎 夜の部

歌舞伎座百二十年 芸術祭十月大歌舞伎
一、本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)
  十種香
  狐火

二、雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)
  直侍
  浄瑠璃「忍逢春雪解」

三、英執着獅子(はなぶさしゅうじゃくじし)
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2008/10/post_31.html

甚だ遺憾ながら今月の歌舞伎座は夜の部のみにて候。しかし、大満足でした。


本朝廿四孝 十種香 狐火

正直なところ苦手な演目なのだけど、今回は面白かった。何故、玉三郎丈の十種香は面白く感じたのかと考えてみると、玉三郎丈の所作ゆえだろうと思う。動きが複雑で、逐一きれいに見えるよう計算されているので、つい、目が行ってしまうのだ。

狐火は、人形振りがあるかと思ったら、無かった。ただし、クドキも立ち回りも面白かったので、特に文句は無し。そもそも、人形振りはあると観る前はうれしいけど、観ても「ふーん」という以上の感想はない。恐らく人形振りで初演された時は、衝撃的に面白い趣向だったのだろうとは想像がつくが。ちなみに、「人形振り」という以上、その型が生まれたのは、少なくとも人形浄瑠璃誕生後、もっといえば、三人遣いになってから、とは思っていたが、どのくらい前からなのか調べてみたら、あっさり、見つかった。三代目雀右衛門明治8年(1875年)1月2日 - 昭和2年(1927年)11月15日))の型だという。意外に最近のものでびっくり。古風な型だと思っていた。
http://www.kabuki-za.co.jp/info/alacarte/no_17.html

それから、前回、文楽で奥庭の段を見た時、何故、狐が出てきたのか疑問だったのだが、イヤホンガイドによれば、諏訪大社の使わしめが狐なのだという。また、諏訪湖が氷結する際、一部が道筋のように盛り上がり、そこを狐が通ると人間も通ることができるようになるという。「御神渡り」というそうで、写真を見ると、確かに、狐か何かが飛び跳ねながら湖を駆け回ったように氷の山脈ができている。狐火の段は、この御神渡りを上手く組み込んで出来上がったのだ。
http://www.city.suwa.nagano.jp/scm/dat/special/omiwatari/index.htm#1


雪暮夜入谷畦道 直侍

菊五郎丈の直侍も良かったのだが、菊之助丈の三千歳の一途さが強く印象に残った。

この話に出てくる蕎麦屋は入谷にあることになっていて、「町と違って入谷じゃあ」「食い物店はそば屋ばかり」という台詞もある。河内山のモデルである、河内山宗春1800年頃の人だからこの描写はその当時のものということになる。黙阿弥は1816年生まれの人で宗春の時代に近いから当時の様子を正確に描写するのは難しくないはずで、1800年頃の入谷が、かなり寂しい田舎だったということは間違いないだろう。

そこで思い出すのは、乾山だ。彼が江戸に下向したのが1731年(69才)、没したのが1743年だから、その頃も、同じように畦道の続く田舎だったのだろう。入谷時代の乾山は、京都の、二条家に仕えていた鳴滝時代や京の人々のために大量生産を行った二条丁子屋時代とは違い、孤独感の漂う静かな作風だが、それには、彼の年齢ばかりではなく、身近な環境も影響していたのかもしれない。


三、英執着獅子(はなぶさしゅうじゃくじし)


ここ一年ぐらいの間に観た福助丈の踊りでは一番、素敵だった。毛振りは大サービス。囃子方の太鼓がいったん留に至る前の拍子(留撥?)を打ちかけたが、終わらないのでまた演奏が始まったりして。考えてみれば、通常の演目では女形が自分のペースで舞台を作るという状況はあまりない。大体において、それは立役の専売特許だ。女形にとって、踊りはとても重要なものなんだなあと再確認。