横浜能楽堂 「源氏物語―それぞれの恋心」第4回「落葉−愛を拒む女の哀しみ」

源氏物語千年紀 横浜能楽堂企画公演「源氏物語―それぞれの恋心」
第4回「落葉−愛を拒む女の哀しみ」
平成20年12月13日(土) 14:00開演 13:00開場
「落葉」は金剛流固有の曲。亡夫・柏木の親友である夕霧の大将を恋慕しながら拒み続けた落葉の宮。

案内人 馬場あき子
謡曲朗読 加賀美幸子
能「落葉」(金剛流
 シテ(女・落葉ノ宮)豊嶋三千春 ワキ(旅僧)森常好 アイ(所ノ者)三宅右近
 笛:一噌仙幸 小鼓:曾和正博 大鼓:柿原崇志
 後見:豊嶋訓三 豊嶋幸洋、重本昌也
 地謡:松野恭憲、豊嶋晃嗣、田中敏文、坂本立津朗、片山峯秀、元吉正巳
 見越文夫、田村修
http://www.yaf.or.jp/nohgaku/

解説 馬場あき子

落葉宮の名の由来は「もろかづら落葉を何にひろいけん 名はむつまじきかざしなれども」(加茂の祭りで挿す桂と葵の両鬘(もろかづら)のうち、どうして劣った落葉の方を選んでしまったのか)という柏木の歌。ひ、ひどい…。

柏木は女三の宮に恋心を抱くも、女三の宮は源氏のものとなってしまったため、結局、女二の宮(落葉宮)と結婚する。先の柏木の歌はこのことを言っている。柏木はその後亡くなり、落葉宮を源氏の子息、夕霧大将に託すが、落葉宮は柏木との関係に傷付き、小野の里に居を構えて隠棲する。小野は、平安貴族の別荘地だったとか。また惟喬親王が剃髪して居を構えたところでもある。伊勢物語の第八十三段では、突然剃髪した惟喬親王を正月に小野に見舞った業平が、「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや ゆきふみわけて君をみむとは」と詠んでいる。その寒々とした様子に、落葉宮の心証風景が重なる(実際、小野に住んでいた人に聞いた話では、かなり寒い場所らしい)。

ところが、夕霧大将は、雲居雁という正妻がいるにもかかわらず、落葉宮に心惹かれ、強引に関係を持ってしまい、結婚してしまうことになる。

馬場さんの説によれば、中世には、落葉宮のように慎み深い女性に同情する女性が多かったため、このような曲が出来たのだろうということだった。確かに考えてみれば、時代毎に活躍した女性には、それぞれ特長がある気がする。例えば、紫式部清少納言和泉式部等々、華々しく文学的な才能をもって活躍をする女性の平安時代。女ながらに男性顔負けの活躍をする静御前巴御前北条政子等がいる鎌倉時代。良妻賢母が多い印象がある室町時代…。どうも私の歴史の知識の無さでは手に負えない。今後の宿題としよう。

また、馬場さんの話で面白かったのは、昔の仏教的な思想では、女性は女性であるが故に罪業を持つという考えがあったということ。なぜなら、男性を惑わす存在であるから。したがって、美しければ美しいほど、罪深いことになる。例えば、お能の「定家」で、式子内親王が定家にまとわり付かれるというのも、そのような発想から来ているとか。そういえば、以前、お能「求塚」を観たとき、二人の男性に愛され選ぶことが出来ず生田川に身を投げたた菟名日処女(うないおとめ)が、どうして地獄で苦しまなければならないのか分からなかったのだが、そういった「男性を惑わす美しい女性は罪」という思想も背景にあるのかもしれない。より一層罪深くなってもいいので私も美しく生まれたかったが、求塚のように、あそこまで恐ろしい地獄を味わうのはちょっとなー。


能「落葉」(金剛流

ということで、お能が始まったのだが、ここのところ忙しくて疲れきっていたせいか、ほとんど覚えておらず。横浜まで何しに行ったのやら。やっぱり、観る方も体調を整えないといけませんね。

豊嶋三千春が選んだ装束は、前場が「唐織 紗綾形地菊枝に七宝地夕顔文様 金茶地」、後場が「長絹 桧垣地夕顔に菫小菊文様金茶地」。同じ金茶地でも、前シテの装束はゴールド&茶のイタリアン・マダム的ニュアンスの装束。後シテは、卵色という感じ。何故に落葉なのに夕顔の文様かと思ったが、お能では、季節を合わせない場合があるがあるとか。過度に説明的になり過ぎないという武士の美学によるものだそうだ。また、唐織で金茶というのは珍しいそう。面は「孫次郎」。

豊嶋三千春師がパンフレットに寄せた「何故この装束を選んだか」というコメントには、能装束は上品で主張しないものを選んだ、という趣旨のことが書かれていた。山口能装束研究所所長の山口憲氏によれば、お能の装束の条件を端的に言い表した言葉だという。そして、装束を選ぶ様子を見ると、その人の能楽師としての実力が分かってしまうとか。恐ろしいものです。ちなみに豊嶋三千春師はパッと迷うことなく選ばれたそう。結局、いくら実力があるように装っても、その人の本性は振る舞いの端々に表れてしまうのだ。我が身を省みて、恥ずかしきこと、はなはだし。