国立能楽堂 定例公演 内沙汰 龍虎

狂言 内沙汰(うちさた) 野村万蔵和泉流
能  龍虎(りょうこ) 出雲康雅(喜多流

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1808.html

内沙汰

伊勢詣に行こうという右近(野村万蔵師)と、歩くのは嫌だという妻(野村扇丞師)。右近は、「それであれば、近くに住む左近の牛を上手く手に入れて、妻はそれに乗るのが良い」という。なぜなら、左近の牛が領地を越えて作物を食べたので、そのことで訴訟を起こして牛を上手く手にいれられるからだというのだ。早速、妻は訴訟に備え、地頭の役となって模擬訴訟を行うのだが、、、という話。

右近はのほほんとした天然な旦那さん。一方の妻は世慣れたわわしい妻。訴訟の練習でも、鋭くつめよる地頭役の妻に対して、右近は緊張しすぎて気を失ってしまうような夫で、そーゆーオチなのね、と思いきや、さにあらず。右近は、地頭役でちょっと調子に乗った妻に対して反撃しようとして、妻は左近と浮気してる、などと言い出すのである。実際、右近が動かぬ証拠を提示すると、妻は「腹立たしや」とわめきながら去っていく。それでも右近は「右近とおのれとは夫婦じゃ」などと言いながら、同じように去っていくのである。

狂言なので、現代劇などのようにcatastropheで終わるのではなく、明日もまた二人は相変わらず時々夫婦喧嘩をしながら日常生活を送りそうな気がする。シュールなようなシュールでないような、非日常のようでありながら日常のようでもある、一言では言い尽くせない印象を残す狂言だ。


龍虎

11月、新橋の花形歌舞伎の夜の部で、この龍虎を八代目坂東三津五郎が振付した歌舞伎舞踊を観た。が、初日近かったせいか、内容がイマイチ良く分からず、「引き抜きってプロがやってもヨレヨレになる時があるんだー」という印象しか残らなかった。という訳で、本歌はどういう曲なのだろうと、ちょっと楽しみだったのである。


舞台は中国。なんと日本から唐に渡ってきた僧で、これから更に渡天(インド行き)するという人がワキ(工藤和哉師)。このワキはすごい人で、若い時から日本を残らず見て廻って、さらに仏法流布の跡を尋ねて、入唐渡天するという望みを持ち、九州博多から船に乗って渡唐してきたという。工藤師はちょっと宝生閑師に似てる感じがすると思ったら、同じ下掛宝生流だった。

美しい風景を目の当たりにして思わず漢詩を吟じている僧の前に、前シテである老人とツレの男(大島輝久師)が、風景を愛でながら登場する。そして、シテの老人はさりげなく渡天を押し止め(詞章があまりにさりげなさ過ぎてパンフレットを読むまで気付かなかった!)、「行く手の竹林の巌洞は虎の住処で、虎と龍が戦うことがある」という。ワキがもっと詳しく教えてくれと言うと、シテは、いわくありげに語った後、「詳しくは向こうの巌の陰に隠れて見てるといいよ!」と教えて、家路を急ぐ。


中入りで、アイ(小笠原匡師)が出てくる。仙人で、頭巾、脚絆という格好に、尉系の面を付けている。アイで面をしているのは、初めて見た…かと思ったが、そういえば「和布刈」のアイが魚鱗(うろ)の精で、飛出のような面をしていた気がする。仙人や妖精の役のように人間ではない役の時には面をするのかも。ここでは、アイが龍虎の戦いについて、もったいぶって話す。ジモティ風吹かせて地元の人間にしか分からない珍しい龍虎の戦いについて色々述べていくのであるが、あのー、日本人には龍や虎だけでなく、仙人自身も結構珍しいんですけど。。。


で、後場になって、龍と虎の戦いの始まり始まり!まずは、後シテツレの龍(狩野了一師)が龍戴に赤頭、黒髭(龍神の面らしい)で橋掛かりから出てきて、虎のいる一畳台の上の竹林の作り物と対面で座してガンを飛ばし、虎登場!と思ったら、なかなか引き回し幕がはずれない。どうも、竹林の作り物の竹の枝に幕が引っかかっている様子。そこに、さすがの後見、塩津哲生師、すーこーしーもーあーわーてーずー(ちょっとあわててた?)、一畳台に駆け上って引き回し幕をぐっと引きおろし、無事、虎が現れた。

龍と虎の戦いは歌舞伎みたいに派手ではないけど、キビキビした動きで迫力満点!と思ったら、すぐ引っ込んで終わってしまいました。もっと観たいとかいう以前に、「前場とアイであれだけ引っ張った挙句、そんだけ!?」と叫びそうになりましたとさ。


…という訳で、これが今年のお能の見納めでした。年の瀬ですなあ。