歌舞伎座 十二月大歌舞伎 昼の部

歌舞伎座百二十年 十二月大歌舞伎 昼の部
一、新歌舞伎十八番の内 高時(たかとき)
二、京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)
三、東山桜荘子 佐倉義民伝(さくらぎみんでん)

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2008/10/post_31.html

三津五郎丈の道成寺を見ずして年を越せないので、行って参りました。


高時


朝っぱらから梅玉丈の奮闘ぶり。拍手!


イヤホンガイドの小山観翁さんによれば、この高時が作られた明治時代は演劇改良運動の影響で実録物を良しとする風潮があり、この高時も九代目團十郎にあてて書かれたものであり、その傾向が免れないとのこと。


一幕目、高時がお犬様大事とばかり、犬を御輿に乗せたり放し飼いしたりする様子は、つい酷いなーと思ってしまうけど、考えてみれば、鎌倉時代は犬は放し飼いだったはず(反対に猫がリードでつながれていた)。「世界」は太平記だけど時代設定は江戸時代という、歌舞伎のお約束からこういう話になっているのだろうか。(追記:と思ったのだけど、十三世紀頃の成立という静嘉堂文庫蔵の住吉物語絵巻<中央公論社、日本絵巻大成>を見ていたら、住吉の姫君の御殿の襖に白い洋犬が赤い紐で繋がれている絵があった。貴族の間で犬を飼う習慣があったとあるので、貴族は紐で繋いで飼っていたのかも)今日も地元の駅前では、お犬様はどの子もリードこそ付けていたけれど温かな服を着て、飼主に抱かれていた。お犬様にとっては、高時、綱吉時代に次ぐ、黄金時代かも。


二幕目の天狗が出て以降、俄然面白くなる。天狗は実録物に出てきていいのか。天狗はぴょんぴょん飛び跳ねて面白いのだけど、その天狗が踊る田楽も興味深かった。この物語の初演は明治で、振り付けも田楽の心得がある人が行っており、ある程度、田楽の要素を残しているのでは、というのが小山観翁さの解説だった。確かに、歌舞伎の舞踊ともお能とも盆踊りとも違う独特のステップだ。

最初は天狗たちで踊っていたのに、次第に高時を巻き込んで踊り、さらには高時を右に左に翻弄する。芸術院会員をこんなに酷使していいんでしょーか。しかし、さすが、梅玉丈はちゃんと付いていっていました。


京鹿子娘道成寺

二年前の年末だったか、金沢かどこかで一日限りの道成寺三津五郎丈が演じているのをTVで観た。楽しみにしていたけど、意外にもそれほどいい感じではなくて、さすが、お家元でも道成寺ともなるとなかなか大変なのだろうか、というのが感想だった。しかし、今回は、思い描いたとおりの、楷書で端正な道成寺。一度しか観れないことが、残念!


それにしても、何故、道成寺を観ると幸せな気分になれるんだろう。


以下、私のメモ。

  • 道成寺のオープニング(聞いたか聞いたかのところ)、間奏曲(総踊り前の中入り(?))の笛と大鼓又は大太鼓は、何をイメージしたものかと思っていたが、神楽的な演出なのかも。
  • 木戸を挟んだ花子と所化の問答は、何か原典がありそうだけど、何だろう。
  • 三津五郎道成寺では、中啓は紅地に牡丹ではなく、五色(?)の幔幕と火炎太鼓のようだった。

http://www1.odn.ne.jp/~cdb41490/maku.htm

  • 花笠踊りは初演の際は、所化の持つ花笠を持って踊っていたためにそのまま残った名前なのだそうだ。そして、花笠というのは、阿国の歌舞伎踊りの時代には重要なアイテムだったとか。
  • そういえば、手ぬぐい撒きはやってなかった。


三、東山桜荘子 佐倉義民伝(さくらぎみんでん

朝一番の高時も暴君の話なら、こっちも暴君の圧政に苦しむ人々のお話。松竹の無言の麻生批判?または麻生不人気に当て込んだ演目?主役が幸四郎丈のせいか、歌舞伎というよりは現代劇を観ている気分だったが、初演は江戸末期(嘉永4年(1851年))らしい。どの幕も感動ものだけど、如何せん、暗い。世界同時不況とかいって、暗いニュースばかり流れるこのご時勢に、くらーい芝居で締めくくるのはいやだなーと思っていたら、最後は、上野寛永寺将軍様への直訴に成功するというお話で、ちょっとは明るい気分で終わって、良かった良かった。しかし、実はこの後もこの物語は続いていて最後は悲惨らしい。


ところで上野寛永寺の舞台装置と書割はとても興味深かった。ちょうど上野公園の噴水のあるところあたりに根本中堂があって、そこの渡り廊下らしい。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/edo5_2.htm