万葉集の隅田川

万葉集を眺めていたら、弁基という人の歌(298)にこんなものがあった。

亦打山(まつちやま)夕越行きて廬前(いほざき)の角田河原(すみたかはら)に独りかも寝む
― 真土山を夕暮れに越えて行って角田の河原に妻もなく寝ることか―
講談社文庫「万葉集―全訳注原文付(一)」中西進

むむむ?待乳山隅田川とは、既に万葉集の時代に隅田川の風景が詠まれていたということ…?と思ったが、この真土山というのは、奈良県和歌山県の県境にある山のことで、角田というのは、和歌山県橋本市隅田(すだ)町のことだという。そして角田河原というのは、隅田の紀ノ川が流れているあたりの河原をそう呼んだのだろうか。今の和歌山県の真土山と東京の待乳山あたりの隅田川の風景は随分と違うけど、ひょっとしたらその昔は、隅田川の風景が和歌山県の真土山の風景に似ていたから、紀伊国の人が故郷の風景を偲んで「すみだがわ」と名付けたのだろうか。

今であれば、地名をつけるのに他の場所の名前を真似るなんてとんでもない、というようなことになりそうだ。けどども、古人はむしろ同じ名前を付けることでその土地に風情と愛情を感じたのだろう。現代は、アイデンティティや個性によって他者と差別化することを良しとする。私はそういう時代に生まれて良かったと思うが、その一方で、差別化の強迫観念に対する反動なのか、古の人々の集団の記憶を大事にする習い、「ことのは」の持つ力への信頼にも、少しだけ憧れたりもしないでもない。だから私にとって古典は魅力的なのかもしれない。


今年も沢山のものを観て、読んで、沢山の感動を貰った。私が今年一年、遅々とした歩みながら元気でやっていけたのは、まったくもってこの一年の間、観たり読んだりしてきたものから貰った元気のお陰だった。誰かにお礼を言いたい気分なので、とりあえず、インターネット空間に向かって、ありがとう!と叫んでおこう。

来年もまた、時間と体力の許す限り沢山のものを観てくつもり。
来たる年が皆様と私にとって良い年でありますように。