国立能楽堂 普及公演 縄綯 西王母

解説・能楽あんない  
西王母の周辺  増田正造 
狂言 縄綯(なわない) 三宅右近和泉流
能  西王母(せいおうぼ) 大坪喜美雄(宝生流

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1811.html

能舞台に注連縄(多分、前垂注連<まえだれ>というのだ)が張り巡らされているのを見て、そういえば、まだ正月だったことを思い出しました。5日も働いたらすっかりお正月気分も抜けてしまった。もったいない、もっと出来るだけ長くお正月気分を楽しむことにしよう。


解説・能楽あんない  西王母の周辺  増田正造 

資料プリントあり。至れり尽くせり。

増田正造先生の話によれば、お能の「西王母」の典拠は「唐物語」ということだった。今まで聞いたことはあったものの、何故か書店で売っているという発想が無くて、読んだことも無かったけど、講談社教養文庫に入っているというので、早速、帰りに買ってみた。


「唐物語」は中国故事を翻訳(超訳?)した「歌物語集」だ。パラパラとめくってみると、お能浄瑠璃、詩歌に取り入れられて知っている物語がいくつかある。例えば、反魂香の話、長恨歌、上陽人の話(楊貴妃に疎まれて上陽宮に幽閉された美女の話)、王昭君の話(後宮髄一の美女だったのに醜く絵に描かれたため、帝がそれを信じて地方長官にやってしまったという話)…、そして、もちろん、西王母の話。それから、話は私は知らないけど登場人物は知っている話、例えば、白楽天則天武后等。

今まで、古典芸能や文学などで典拠が「白氏文集」とか「後漢書」等と書いてあると、それ以上、調べる気も起こらなかったが、この唐物語はその点、中国の古典文学に触れる足がかりとなってくれそう。実際、この本の解説によれば、和歌の教養を持つが、漢籍を読みこなすことのできない女性をターゲット読者層とした読み物と考えられているらしい。

著者は藤原成範(信西の息子)と見られており、十二世紀後半頃の成立という。藤原成範は、屋敷のある一画に桜の木を多く植えて桜町中納言といわれた、と、学生時代に習った気がする。調べてみると、その屋敷跡には後水尾天皇の仙洞御所が出来たのらしい。そういえば、去年見た泰山府君のワキが桜町中納言だったのだった。唐物語の写本はいくつかの系統があるが、西行の写本したものを底本としたものも流布しているらしい。西行漢籍に優れていたというが、唐物語を写本しながら、原典と異なる部分などについてはどう思ったのだろうか。彼の和歌との関連も指摘されているそうで、こちらも調べたら面白そう(唐物語、第十八話の「すがたこそはかなき世々にかはるとも ちぎりはくちぬものとこそきけ」と西行の歌「今宵こそ思ひ知るらめ」)。


さて、西王母は、西の崑崙山に住んでおり(東には蓬莱山があり東王父が住んでいる)、元は鬼神だったらしいが、道教では、不老不死の薬と3600本の蟠桃(はんとう)の園を持つ最高の仙女となったという。西遊記では、孫悟空は元々、蟠桃園の番人だった。西王母が、ある年の蟠桃勝会(桃の節句)を催して、観音菩薩、天帝、太上老君等を招待して桃を蟠桃を振舞おうとすると、孫悟空が食べ尽くしてしまったのだった。

蟠桃の花は三千年(みちとせ)に一度咲くという。三千歳といえば…直侍に出てくる直次郎の恋人の遊女だが、その名前は西王母からの連想なのだろうか。


狂言 縄綯(なわない) 三宅右近和泉流

太郎冠者の主人は、博打に大負して太郎冠者も博打の相手の何某に取られてしまう。しかし、太郎冠者にそうとは言えず、文を何某に届けよ、と言いつける。太郎冠者は何某のところに文を持って行って、初めて自分が何某に引き渡されたことを知る。何某は様々な用事を言いつけるが、太郎冠者は、拒否する。そこで、何某と主人は一計を案じて、太郎冠者を元の主人のところに返すことにする。うれしや、元の主人の元に戻った太郎冠者は、主人に文句を言いながらも早速、喜々として主人に頼まれた縄を綯う。太郎冠者は縄を綯いながら、何某の家での出来事を面白おかしく主人に話しているつもりが…という、お話。

太郎冠者のマイペースぶりが面白いお話。狂言を見ていると、大体、逞しい生活力のある登場人物が多い。私もこんな風にしっかりしないといけないなあ、と感心してしまう。文楽に出てくる爺婆も人生を良く生き抜く知恵を持つ好人物が多いけど、それとはまたちょっと違う。もう一方のお能に出てくる人物は大抵、悲観主義者だ。大体、化けて出てくるくらいだから。その点、もし能狂言から人生を学ぼうとするなら、精神衛生上は、狂言の登場人物を見習うのが良い。

ところで、こういった狂言に出てくる主人とか太郎冠者いう立場の人は実際にはどういう人達なのだろう。よく、狂言の解説には、江戸時代の大名とは異なり、小さな領地を持つ地方武士というようなことが書かれているが、それでは、太郎冠者というのは、どういう人なのか。主人は代々同じ家につくのか、それとも自分で勝手に選べるのか(この狂言では、太郎冠者が何某に渡されてしまうのだから、少なくとも主人の方には、ある程度、家来の人事権?を持っているのだろう。西洋の封建制度のように太郎冠者にも主人の選択権はあるのだろうか?)。…こういうところで、ちゃんと日本史を勉強しなかった報いを今受けているわけです。うーん。

タイトルにもなっている太郎冠者の縄綯いの動作は興味深かった。もっと三つ編みっぽく編むのかと思いきや、手で揉みこみながら編んでいっていた。あーゆー現代人には慣れないことをしながら台詞をしゃべるというのは、大変そう。


能  西王母(せいおうぼ) 大坪喜美雄(宝生流

冒頭に狂言風の唐人装束をしたアイが、帝の御幸があると宣言する。するといかにも高貴な人が出てきそうな囃子が始まる(真之来序)。

一畳台に穆王(野口敦弘師)が鎮座すると、その治世を称える謡が詠われる。そこへ、帝の元に、三千年に一度咲く花が咲いたがこれは平和な帝の御代のご威光のお陰であるといって美しい女性(大坪喜美雄師)が花を持って現れる。

帝は「そも三千年に花咲くとは、さてはいかさま聞き及べる、その西王母の園の桃か」と尋ねるが、少女は「なかなかに、それとも今はもの言わじ」というと去ってしまう。その後、孔雀や鳳凰迦陵頻伽(がりょうびんが)といった鳥が舞い、そこに蟠桃を持った侍女(子方)と天の羽衣をまとった西王母が現れる。中之舞は華やかで、お正月からお目出度いものを見せてもらって満足。

ところで、詞章の中で、西王母の姿は「光庭宇を輝かし、紅錦のぎよ衣を着し、剱を腰に下げ」とある。実際に、後シテの装束も、泣増の面を付けて、天冠、紫の長絹に金で藤の花?と流水の文様と紅の大口袴で脇差を差していた。何故、剱を腰に刺していたのかは、不思議。何か、中国の習慣に関するものなのだろうか。