永青文庫 冬季展 「源氏千年と物語絵」

■ 冬季展 「源氏千年と物語絵」
1月10日(土)〜3月15日(日)
http://www.eiseibunko.com/exhibition.html

長谷雄草紙が見たくて来てしまいました。

北野天神縁起絵巻(室町時代

一体、世の中に北野天神縁起絵巻はいくつあるのじゃ!開いてあったのは、3箇所で、まず一つは、二人の貴族と一人の僧侶が部屋で鼎談している様子。菅原道真と思しき貴族が左手にとった和歌にサラサラと何かを書き付けている様子。それから、二つ目は、牛車が立ち往生していて、その牛の足元辺りを僧侶と思しき人たちが掘っている様子。更に周りに松明を持った、あるいは足元に落とした武士が数人、泣くかの如く袖で目を覆っている。三つ目は、建物を建築中の大工仕事の風景。牛が角材を載せた車を引こうとしているのだが、角材は車から崩れ落ちているのだろうか。


小松公諫言図(渕上誠方筆、江戸時代後期〜明治時代)

鹿ケ谷の謀議が発覚し、相国入道(平清盛)の怒りは一通りではなく、俊寛たちが鬼界ヶ島に流されただけでなく、後白河法皇も幽閉されそうになっていた。それで、小松殿(平重盛)が平清盛に諫言して後白河法皇の幽閉を思いとどまらせようとしている図。平家物語を読む限り、小松殿はその人徳で人々の尊敬を集めていたのに、特に物語になったりしていない。こんなテーマの絵は珍しいなと思ったら、江戸後期〜明治時代にかけてのものだった。そして、菱田春草が同じテーマの「平重盛六波羅諫言図」を描いたものが第三展示室にあった。ひょっとして細川家の人は、この話が好きだったのだろうか。はたまた、二人にこのテーマの絵を描かせたということも考えられる。それとも、この時期、この逸話が流行ったのだろうか。どちらにしても、何故この二つの絵が所蔵されているかにも興味がそそられる。


長谷雄草紙

平安時代を代表する文人の一人、紀長谷雄を主人公とした、おとぎ話。
この時の展示は、「見知らぬ男、長谷尾を案内して街をいく」という場面。確か、長谷雄は正に内裏に出仕しようとしていたのに、見知らぬ男が双六(今のすごろくではなくて、バックギャモンのようなゲーム)をしに来るよう呼びに来る。それで、内裏に出仕する束帯姿そのままに、後ろに長く引きずる裾(きょ)と呼ばれる孔雀の尾みたいな布を帯にたくし込んで歩いている。普通、束帯姿で街を歩くなんてことはありえないんだとか。と、これは、年末年始に眺めた「長谷雄草紙」(日本絵巻大成11、中央公論社)の受け売り。
この日本絵巻大成シリーズは、小松茂美氏の解説が無茶苦茶、面白い。特に、絵巻の図にキャプションをつけているのだが、例えば、画面のはじっこに座り込んでいる男達のうちの一人が酒の入った徳利を傾け、もう一人の男が土器(かわらけ)を差し出しているシーンには、目ざとく、「まあ、貴殿も一杯いかが」「これはかたじけない」的会話が添えられていて、思わず笑ってしまう。長谷雄草紙全編どころか、この「日本の絵巻」全集全般に亘って小松氏の関わった巻はこの調子なので、絵巻そのものより、次は小松氏がどういうキャプションを入れているのかの方が興味深くて、どんどん頁をめくってしまう。もし図書館か何かで見かけたら、是非、眺めてみてください。


秋夜長物語(室町時代

桂海(瞻西上人)が比叡山延暦寺で修行していた時、夢に美しい稚児を見たが、後日、その稚児が現れる。彼は名を梅若といい、花園左大臣の息子で三井寺の稚児あった。桂海は忽ち梅若と恋に落ちるが、それが山門と寺門の争いに発展する。命からがら梅若は逃げ出すが、三井寺は既に無く、梅若は自責の念から入水し、、というお話。開いていたところはどんな場面か分からないが、お座敷で三人の僧侶がそれぞれお気に入りの稚児と楽しく話に花を咲かせ、お菓子があり、尺八を吹く僧がおり、という図。

で、これを読んで、はたと思い出したのは、隅田川の梅若伝説。現存する三種の木母寺縁起の絵巻のうち、「梅若権現御縁起」は、梅若のせいで山門(延暦寺)と寺門(三井寺)の争いが起こるという箇所が秋夜長物語と共通している。謡曲の「隅田川」と木母寺縁起の絵巻はどちらが先に成立したか不明だというが、このようなパターン化された話の複合となっているということは、梅若伝説は実話というよりは、こういったいくつかの物語が混ざって出来上がった物語なのだろう。


絵入伊勢物語 江戸時代

れっきとした手書きの本文と絵が記された本なのだが、嵯峨本の影響を受けているという。木版印刷の影響を受けているなんて、面白いではないか。…と思った時、私の頭の中には、墨のみの白黒印刷の嵯峨本を思い描いていたのだが、Webを散策していたら彩色した嵯峨本を見つけた。
http://www.kansai-u.ac.jp/library/etenji/isemonogatari/ise-top.html

慶長13年〜15年(1608〜1610年)に出版された「嵯峨本伊勢物語」の模倣覆刻版と思われる版本に、手書きで彩色をほどこした本です。2点めは、西川祐信の絵を添えて延享4年(1747)に刊行された「改正伊勢物語」です。

この改正伊勢物語と絵入伊勢物語はどういう関係にあるのだろう。考えてみると、私は何となく、嵯峨本?ああ、嵯峨本ね、などと分かった気になっているけれど、実際には嵯峨本の定義や全容をよく分かっていない。調べてみたら面白いかも。