国立能楽堂 企画公演 弓神楽 葵上

◎特集 梓弓
解説  鈴木正崇(慶應義塾大学大学院教授)
弓神楽(ゆみかぐら)「手草祭文」(たくささいもん) 田中重雄(広島県府中市上下町)
能  葵上(あおいのうえ)梓之出(あずさので) 梅若玄祥観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2476.html

普段、弓など全く見ることも無い日常を過ごしているので、古人が頻繁に使った梓弓という枕詞を見ると、時代を超えたカルチャーギャップを感じてしまう。弓神楽と聞いて、何か弓というものが持つ意味が少し分かるんじゃないかと、楽しみにしていた公演。


弓神楽 「手草祭文」

弓を利用した珍しい神楽。


まず、舞台の飾り自体が面白くて、能舞台に注連縄を張り巡らせた上に、更に目付柱、シテ柱、ワキ柱を三角に縄で囲んで、半紙に切り絵をしたような紙垂(しで)と縦に吊り下げられたモビールの変形版のような紙垂が釣り下がっている。目付柱のところには、白木に紙垂をつけたものがおいてある。

これに似た紙垂のようなものを世田谷美術館の「平泉 特別展」の毛越寺の神楽の展示で見た。違うところは、こちらの広島県比婆郡の弓神楽では半紙そのまま使っているようだが、毛越寺の方は正方形の紙を使用していたところ。それから、紙垂の切り絵のモチーフが比婆郡の方は、鏡餅、伊勢海老、魚、馬などのシルエットを切り抜いたものだったが、毛越寺の方は私の汚いメモを判読したところによれば、桐、丸に三つ引き、大根、菊、扇、蕪などで、地域性から来るのか、両者のモチーフに共通性は特に無いようだ。


祭文を誦み囃す三人の人が出てくる。一人の方は、お年を召した方で、烏帽子に素襖のような装束(宮司さんの格好)をしていて、太鼓を打ち、弓を打ちながら、長い長い祭文を誦む男性。向かって右手の女性は、チャイナシンバルのような手平金というものだろうか?を摺るようにくわんくわん鳴らし続ける。向かって左の男性は、笛を吹く。


当然のことながら、この神楽の中心人物は、真ん中のお年を召した方で、長い祭文を一定の抑揚とリズムで作業歌のように誦みながら、目の前にある逆さにした桶(共鳴箱の役目を果たす)に白い紐で上弦の形に括りつけられた弓を叩く。弓の音はコントラバスでピチカートをしたような音で、ヴオンヴオンヴオンヴオンと四分音符で一定のリズムで鳴らされる。解説の鈴木先生によれば、弓を鳴らすのは大変難しいそうで、これを鳴らせる人が法者(ほうじゃ)という神霊とコミュニケーションをとることができる特別な者とされたのだそう。

この弓を鳴らすという行為によって霊を引き寄せて託宣を得たり祈念を行ったりすることが広く行われていたのだという。したがって、お能の「葵上」に出てくる照日の前は、そのようなことを行うことができる神子(みこ)という設定なのだそうだ。

また、手平金を八分音符でひたすら鳴らし続ける人は女性なのだが、女性と男性が組になって祈祷を行うというのは、神楽の一形式であって、「葵上」に横川の小聖が出てくるのも、それに呼応しているものなのだという。

そうすると、残った笛を吹いている人は何なのだ、ということになるが、実際、笛の男性は、その笛をどう考えても祭文とは無関係に奏じている。しかし、男女の組だけよりもその笛の人がいることにより圧倒的にアンバランスなバランスとしかいいようのない均衡が成り立っており、なんとも不思議な感じだった。


主となる祭文が一通り終わると、弓上行事というものになる。祭文を誦んでいた男性は、今度は弓上行事の祭文を誦みながら、おもむろに弓を桶に括り付けていた白い紐を解いて(これが、かなり頑丈に括り付けられていたはずなのに魔法のように片手ですっと解けるのだ)、桶をひっくり返して底を下にすると、そこに白い紐、イグサのような草を一掴み、それから弓で引き落とした紙垂等を入れる。そして、矢を持って弓を張ると桶の中に弓を放って(本当は四方に矢を放つらしい)、神楽を終えた。


祭文の内容は、山の神と龍女の婚姻譚らしいのだが、どうも、難しすぎて読み取れない。実際、手草祭文は、幕末の国学や明治の神仏分離の影響を受けて大きく変わったそうで、イザナギイザナミの国産みの話、蛭子の話、天岩屋の話についての話が中心のよう。

仏教のお寺や仏事はわりに輪郭がはっきりしているが、神道は、神社も神様も神事も茫洋としてつかみどころがなく、あまり意識していなかったけれども、鈴木先生の解説を聞いていたら、なかなか面白そうな気がしてきた。

とにかく、このような貴重な神楽を聞くことが出来てよかった。


最後に梓弓の梓とは何かについてだが、日本語の「あづさ」と中国語の「梓」は異なるものなのだとか。そして、日本のあづさでは弓は作ることはできなくて、ヨグソミネバリという桜の一種を使ったのだという。またヨグソミネバリを梓と呼ぶ地方もあったとか。さらに、病人向けには桑を使ったということだ。樒(しきみ)を使うこともあるとおっしゃっていた気がする。

…私はこれを書いていて、梓弓について何か分かったと言えるのか?

ただ、面白いのは、ヨグソミネバリは桜の一種ということだが、桜は神霊の依代と考えられていたということ。確かに、桜の花には人の心を狂わせる力があるように思う。花びらの桜吹雪の中にいると、一瞬、場所も時間も何もかも忘れてしまうことがある。桑の木を使うということも面白い。中国大陸では、梓と桑は雷除けの効用があるとされていたのだそう。「桑原、桑原」というおまじないは、中国にもあるのだろうか。桑と雷と中国大陸といわれると、ミッシングリンクとして菅原道真の渡唐伝説を持ち出したくなる誘惑に駆られるが、まあ、これは違うのだろう。


葵上 梓之出 空之祈

そして、お待ちかねの玄祥師による葵上。玄祥師の力強く美しい謡と舞いに心酔しました。


「葵上」は、昨年観ているはずなのだが、体調が悪かったせいかほぼ全く覚えておらず、今回は、「へー」の連続で、実のところ、常の演出とどこが違うのか良く分からなかった。


今回、まず、照日の巫女(山本順之師、増髪の面)は、弓を持って祈祷を行っていた。前回も弓を持っていたか、全く記憶がないが、弓神楽を観た後にこの場面を見ると、どういう所作をするのか、興味深々で観てしまう。結局、弓をはじくような様子を数回すると、橋掛から後見の清水寛二師が破れ車を運んで来た。これも前回観た時、出たかどうか、全然覚えていない。

そして、照日の巫女の弓を使った祈祷に導かれるように出てきたのが、六条御息所。弓の音には、死霊や悪霊を呼び寄せる力があると信じられていたそうで、弓の音に六条御息所が引き出だされ来るのも納得が出来る。泥眼の面は、遠目には美しいところが、余計、おどろおどろしい。「思い知らずや」「思い知れ」という詞章が、こんなに恐ろしい文句だとは思わなかった。その後が<枕の段>というのだそうだ。実際、

昔語りになりぬれば、なほも懐(おもひ)は真澄鏡、その面影も恥かしや、枕に立てる破れ車、隠れ行かうよ、うち乗せ隠れ行かうよ。

などと言って、扇を投げた後に橋掛で袖を被いて消え入るところは、六条御息所の恨みや嫉妬、羞恥心が入り混じった複雑な感情が、詞章と所作によって表され、見どころになっている。


前回は、間狂言(ワキツレの臣下に言われて左大臣家の男である山本則重師がワキの横川の小聖を呼び出す)の後のノットが長く感じられた記憶があるが、今回はそんなことはなく、すぐ後シテが出てきた。


後シテは、白般若の面に紺地に金糸、銀糸の霞や花等の文様がある美しい舞衣(?)。平泉特別展で見た紺紙金銀字一切経のよう。

ここで六条御息所と横川の小聖(森常好師)のバトルが始まるが、ここはやはり森常好師ぐらいの体格の人でないと、玄祥師の六条御息所には迫力負けしそう。負けそうになりながらも、今回は何とか、六条御息所を調伏出来たようです。六条御息所は「あらあら恐ろしの、般若声や。これまでぞ怨霊、この後またも来るまじ」等と言って退散してしまうが、結局は、また、紫上のところに来たりする訳で、余程、恨みが深いということなのだろうか。


考えてみると、六条御息所は、自尊心が高いというよりは自尊心が傷つき易い人だったという気がする。元々東宮の北の方だった人だったのだから、源氏の心が離れたとしても、毅然としていれば、それはそれで立派な態度であったのに、嫉妬の泥沼に陥ることを自分で止めることが出来なかった。一見、愚かにも見えるが、源氏物語の登場人物の中では六条御息所は女性には人気があるそうだから、誰の心にも多かれ少なかれ存在する、もう一人の自分のように思えるのかもしれない。私自身はそもそも、そこまで思い詰めることの出来ない性質なので、残念ながらイマイチ実感を持って理解できないのだけど。それでも、ドラマティックな謡と舞は非常に面白かった。