奈良、行き当たりばったり: 興福寺

興福寺
http://www.kohfukuji.com/

4月に文楽劇場文楽を見に行った際、翌日、奈良に遊びに行きました。


本当は、まだ桜が残っている季節だったので、俵屋宗達が伺候していた京都の醍醐寺に行って醍醐の桜を見ながら、宗達のことを考えようと思っていた。

ところが、当日の早朝、夢うつつに、以前国立能楽堂で観た大槻文蔵師の采女の後シテの出の場面が思い出され(あまりに美しく印象深かったからか、よく思い出すのだ)、急に、どうしても采女が入水した猿沢の池を見ないと気が済まなくなってしまった。普段、気軽に関西まで遊びに来られないので、いざ一日自由に使えるということになると、逆上して思わぬ方向に考えが行ってしまうらしい。

というわけで、行き当たりばったりだったけれど、近鉄大阪難波駅で、電車に飛び乗った。


近鉄奈良駅には、1時間弱で着いた。周辺の観光地図をゲットしようと駅構内をウロウロしたが見つからない。が、それほど複雑な地形というわけでもなし、記憶を頼りに猿沢の池に一番近い気がした興福寺に行ってみる。ところで、どうでもいいけど、駅前の商店街が一風変わった名前なのだ。手前にある「ひがしむき商店街」はまだしも、道を隔てた対面の「ひがしむき商店街きたがわ」って一体どっち方向なのじゃ!と、きっと何十年にもわたって、修学旅行中の中学生あたりにつっこまれ続けているに違いない。南無〜。


興福寺の境内に来て、まず驚いたのは、その「がらんどう」加減。東博興福寺展で上映していたバーチャルリアリティのビデオでも境内の真ん中ががらーんと空いていたが、実際に目にすると、まるでサッカー場かと思うほど広かった。これも、何度も炎上を繰り返したせいなんだろう(先日観た大槻文蔵師の「千手」に出てきた重衡も一役買ってる)。ここに金堂を再建したいという切実なる気持ちも、よーく分かった。そういえば、国立能楽堂で、興福寺勧進能というのを時々やってるけど、あれもチャリティの一種なのかあ。私もちょっと応援して勧進能を観たくなった。


空間を観にきた訳ではないので、どうもメインの建物らしくみえる東金堂に行ってみる。ここには、大きな薬師如来がいて、それがご本尊らしかった。平家物語には、仏法が伝来した時に一緒に新羅から来た釈迦如来像があるって書いてあるけど、それも焼けちゃったのだろうか。


仏前に供えられているテーブルの上の敷いたテーブルクロスのようなものの模様がちゃんと興福寺金襴という、興福寺由来の金襴だったので、ちょと感動。興福寺金襴というのは、紅色の地に、胡桃を縦に割った時のような文様が金糸で縫い込まれている文様です。どこかに画像がないかと思って確認したけど、どうも上手く見つからない。興福寺のWebサイトで使ってくれたらうれしいな。それにしても、すごくないですか。今のビジネス界の人達が"Corporate Identity"とかいってデザイン戦略を考えるのを重視する何百年も前に(いつからか正確には分からないから、文字通り、何百年前としか言えないけど)、こんな風にちゃんとお寺のシンボルになる一種のモノグラムを採用してしまうのだから。しかも、興福寺金欄はお茶の世界では名物裂として珍重されるし、ブランディングも大成功だ。


話を元に戻すと、ご本尊へのご挨拶をさっくり済ませて、興福寺金欄を満足するまで見てから、東金堂から出てきた。そのあとは宝物館に行くという選択肢もあったのだけど、何せ、めぼしいのは興福寺展で東博にあるし、今日は猿沢の池を見に来たのだし、と、興福寺を出た。


興福寺を出てすぐのところに、「猿沢の池」の道標があった。早速、道標の指す方角に、興福寺の敷地に沿って道なりに歩いてみたが、行き止まり。猿沢の池らしきものは、私の見渡す限りでは、見当たらない(本当は、そこから50m程のところにあったのだ!)。こういう時はケータイで地図を見ればよいのじゃ、とケータイで地図を見ようとしたが、日差しが強烈過ぎて、手で影を作っても液晶の地図はちっとも見えない。


困ったなと思ってウロウロしていると、春日大社の一ノ鳥居が見えた。こっちから先に見に行くかと、春日大社方面に歩いていきました。つづく。