奈良、行き当たりばったり:春日大社(2)


春日大社の参道は、細くて木が生い茂っていて、ながーいものだった。明治神宮みたいに広く明るくて(ひとごみさえなければ)すぐ拝殿についてしまうのとは、全然違う。
その参道の両脇に数限りなくあるのが、燈籠。以前、石燈籠には「春日燈籠」という種類の燈籠があると知って、かねて本場物の(?)春日燈籠を見たいと思っていたのだ。果たして、さすがに本場。すぐに見つかった。


気を良くして、さらにいろんなバリエーションの春日燈籠を見てみよう!と思ってキョロキョロしながら参道を歩いていたのだが、無いのである。何が無いのかというと、春日燈籠自体が無いのだ。代わりに、火を灯す部分と土台の間が砂時計のようになっているのかが圧倒的に多いのだ。


これが何という種類なのか知りたいけど、分からない。仕方が無いので、取り敢えず、分からなくてもやもやしていることを書き留めて置こう。心のどこかに引っ掛かっていたら、いつか、分かるかも。


参道には、あからさまな階段は少ないけれども、じわじわと御蓋山三笠山をこのように書くらしい)を登っていて、どんどん山深くなっていく。まるで高山寺の明惠上人の肖像の絵に出てくる森のよう。明惠上人は、春日権現験記に出てくるくらい、春日大社に深い縁を持つ御方で、肖像画の背景の森に春日大社の森の面影があっても、何となく納得してしまうのだった。


そのようにして参道を歩いて行くと、不思議なことに、何もないつきあたりとなってしまう。そして、向かって左に本殿の入口、右には更に細い参道が続いている。何故これだけ長々とした参道を設定しておきながら本殿をつきあたりに作らなかったのか、不思議でならなかったが、右に曲がった参道を歩いて行くと、理由が分かった。というわけで、まだまだつづきます。