国立劇場小劇場 舞 楽 −”常の目馴れぬ舞のさま”−

舞 楽 −”常の目馴れぬ舞のさま”−
おはなし
 東儀俊美(元宮内庁式部職楽部首席楽長)
 笠置侃一(南都楽所楽頭)
蘭陵王(らんりょうおう)」一具(「嗔序」「荒序」舞:復興初演)
小乱声・陵王乱序・囀・嗔序・沙陀調音取・荒序・当曲・安摩乱声
 舞人 岩波孝昌(陵王面)
 舞人 大窪康夫(荒序面)
大神流「落蹲(らくそん)」
小乱声・破・急
 舞人 南都楽所 笠置 慎一・光本 健吾
<管方>
東儀 俊美、芝  祐靖、岩波 滋、豊  英秋、安齋 省吾、大窪 永夫、池邊 五郎、東儀 博昭、東儀 雅季、上 研司、増山 誠一、大窪 貞夫、笠置 侃一

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2655.html



源氏物語を読んでいると、雅楽を演奏する場面、舞を舞う場面、宮中や六条院で楽人が楽を奏し舞人が舞を舞う様子が数多く描かれており、一度、観てみたいと思っていた。何の予備知識も持たず、観にいってしまったが、とても面白かった。ただ、ちゃんとパンフレットを熟読してから観れば、より楽しめたかも。


おはなし

演奏前に、元宮内庁式部職楽部首席楽長の東儀俊美さんのお話があった。

蘭陵王」というのは、「納曾利」の番舞(つがいまい)だそうだ。今は専ら一部しか演奏されておらず、残りを復曲、振付を復原したのが今回の演奏だとのこと。しかし、手がかりが非常に少ないため難儀したとか。また、面は、二種類使用していたが、後半では「荒序面」という絶えて久しい舞のための面を、住吉大社からお借りしているとのこと。青銅のような顔色で鼻が高く、すっとぼけた顔をしていた。

それから「落蹲」について、南都楽所楽頭の笠置侃一さんも加わってお話が続く。この落蹲というのは、奈良春日大社の春日若宮おん祭りの最後に舞われるものなのだそう。

他にも色々興味深いお話があった。

例えば、パンフレットの表紙は、「春日権現験記」絵巻(第七巻)の舞を舞っている絵の部分なのだけれども、その解説など。これは、舞が舞われていて、周りに顔に頭巾のような袈裟のようなものを被っている僧形の人たちが沢山いる場面だ。これについて、東儀俊美さんが「何故、春日大社に僧が見に来ているのですか」というような鋭い質問をされたところ(今まで何度か美術館や本でこの場面を見たけど気がつかなかった!)、笠置侃一さんによれば、春日大社藤原氏氏神を祀った神社、興福寺藤原氏の氏寺で、藤原氏にとって大変なことが起こった場合は、両者一丸となって祈祷を行うのだそう。したがって、絵巻のこの場面も、そのような重要な祈祷を行った場面なのだという。また、今でも春日大社では正月二日は興福寺貫首が祈祷に参加するとか。


また、雅楽は、三方楽所(さんぽうがくしょ)といって、大内(京都)、南都(奈良)、天王寺(大阪)でそれぞれ伝えられ、どこか一方が大変な時代も他の楽所が支えて永らえて来たのだそう。例えば、応仁の乱のときは奈良、大阪が、大阪夏の陣の時は、京都、奈良が、といった具合。またそれぞれ、特色があるとのことだたったが、これは忘れてしまった。大阪の天王寺が、場所が離れているせいか、独自のものが多いというような話だったかな?舞には左方、右方というのがあり、左方は中国、インド、東南アジア(ベトナム)のものがある。右方には、新羅百済、高麗、渤海のものがあるらしいのだが、京都は大内裏では右方が多く舞われるので、右方が多く、奈良から人を呼ぶ時は左方が多かったため、左方という印象があるらしい。加えて、明治維新で、三方楽所の人々が東京に呼ばれた時、南都の右方は呼ばれなかったので、廃絶してしまったとか。唯一、若宮おん祭りの舞は右方であるため、それのみ伝わっているそう。


他におはなしには出てこなかったがパンフレットに書いてあって面白かったのは、清少納言雅楽についてかなり豊富な知識を持っていたとの記述。雅楽と舞というと、源氏物語にかなり頻繁に出てくるので、紫式部という印象もある。こういった雅楽や舞を観ていると、平安時代の様子を少し彷彿と出来て楽しい。


蘭陵王(らんりょうおう)

活字で見たり伎楽面で見たりするけれど、実際のパフォーマンスははじめて観た。本来は一人の人で舞われるらしいが、面を二つ用いる関係で前半と後半、二人の人が舞った。ラジオ体操風というか、お能太極拳の中間というか、そのような感じだった。金の桴(ばち)を持って舞うのは不思議。


興味深かったのは、やっぱり楽器。例えば、笙。途中、ずっと手元でグルグル回しているので、パーカッション風に音を出すのかと思ったが、特に何も聞こえてこない。よくよく見ると、演奏者の手元に木製の箱があって、時々かざしていたので、炭火にかざして乾燥させていたのかも。それから、篳篥(ひちりき)。椅子の前の楽譜を置いた小机に替えのリードみたいなものが置いてあった。やはりオーボエみたいにリードに当たる部分は取り外しするのだ。それと、演奏者の方の音感やリズム感の良さも。歌舞伎や文楽能楽等だと、時々西洋楽器の奏法から考えると、ありえない音を出したり間で演奏する人または場合があるけれども(単にアクシデントに遭遇してしまった場合もあるんだろうが)、今回の雅楽は西洋楽器の奏法と照らし合わせても全く素晴らしかった。和楽器の演奏というものについて、だんだん、自分の中での鑑賞のための機軸というのは出来てきて、過去には不思議だったものが今は納得できる場合も多いものの、私にとっては、やはり未だ不可解。


落蹲(らくそん)

二人の舞人により舞われる。何度もひざまづいて桴(ばち)を持った手を高くかざし、その手をクルッと縦に縦方向に向けると、そのまま体ごと、桴を地面に突き刺すようにしてその手を下ろし、ぬかづくような型をする。この様子が、祈りのように見えて特徴となっているようだ。ところで、舞っていると、どうしても裾(きょ)と呼ばれる後に長く尾を引く布が足元にもたつくのであるが、よくよく見ると、上手い舞人はさり気なく裾を蹴って自分の背面に行くよう上手く処理している。色々目に付かない工夫があって、もっと知ったらもっと面白いだろう。

また、演奏者の方を見ると、蘭陵王の時には笙を吹いていたリーダー格の人が、落蹲の時は、竜笛?を吹いていた。パンフレットの出演者の紹介を見ると、どうも分業化されておらず、複数の楽器を担当し、時には舞まで舞うのが普通らしい。


というわけで、分からないながらも、楽しく拝見した。また機会があったら是非見てみたい。


帰り道、日枝神社のお祭りがあったようで、日枝神社の提灯が出ていました。時間があったら見てみたかったけど、残念。何故急いでいたかと言うと、国立能楽堂で表先生の講演を聞こうと思っていたから。