国立能楽堂 能楽基礎講座「能の歴史―演目の変遷を手掛りに―(III)」―江戸時代から明治維新まで―

いつも国立能楽堂の講座は聞いてみたかったのだけど、雇われ人には無理な時間帯。ところがある日、パンフレットを隈なく眺めていると、この講座は土曜日になっている。しかも表章先生(岩波講座「能狂言」は表先生の「I. 能楽の歴史」の途中で無期中断中だけど、非常に面白い!)。というわけで、楽しみにしていました。

思ったとおり、無茶苦茶、面白い講座でした。

この日のテーマは、(1) 徳川綱吉(&家宣)が能界に起こした混乱、(2) 吉宗の能界制度改革、(3) 観世元章の明和改正の功罪。とにかく盛り沢山だったので、とてもまとめきれないけど、簡単にまとめると以下通り:


(1) 徳川綱吉(&家宣)が能界に起こした混乱

稀代の能好きの将軍で、能役者を次々と武士に「取立て」たことは知られているけど、それ以外にも色々なことをしているらしい。

まず、大きいのは、稀曲、廃絶曲の復活。

これにより、やってみたら面白かった曲が結構あったそうで、今に残る曲も多いようだ。例えば、弱法師なども、それに当たるとか。以前、歌舞伎風で不思議に思った三山も綱吉時代復活組らしい。そうやって江戸時代に復活したものというのは、各流儀で少しずつ工夫しているため、各流儀で異なるところが多いのだとか。例えば、弱法師などはかなり違うのだそう。

さらに、綱吉の困ったところは、自分はオーソドックスなものしか舞わないくせして、能役者には、稀曲を10日前とかに急に舞えとか言うのだとか。で、資料には、自分はオーソドックスなものしか舞わない証拠の番組とか、観世三郎次郎(重賢)が喜多七大夫(宗能)に「流儀に無い『竜虎』を舞えと言われて難儀していますが、そちらに衣装付け、仕舞などあれば相伝したい」云々等といっている手紙があったり。

それから、能楽師の武士への「取立て」や追放など。

これもかなり影響があったそうだ。というのも、家元を次々と武士にしてしまうため(事実上の廃業)、家が続かず断絶してしまった家もあるとか。さらに、観世流の小鼓の観世新九郎が、宝生流道成寺の小鼓を打つよう言われたとき、観世流以外は打たないことが決まっているといったら追放になってしまったとか。さらに、その新九郎は許されるのだけれども、宝生と苗字を改名させられるとか。


加えて、武士にも、能を舞うことを強要し、自分や近臣が能を舞うのを見せるのを極度に好む。

加賀藩といえば、沢山の能楽関係の旧蔵品から能楽が盛んというイメージがあるが、実は最初はそうではなかったらしい。最初は、前田綱紀が綱吉に1週間とか10日程度前にいきなり能を舞えといわれてあわてて練習したのが始まりなのだそう。ちなみに、かつては加賀藩観世流だったのに、綱吉のために宝生流になったとか。そういえば、本阿弥光悦(1558年〜1637年)は加賀藩にも伺候していてそこで観世流の謡を習ったとどこかで読んだ気がする。その当時は観世流だったんだ、きっと。

また、綱吉は自分の舞う能を無理矢理見せるというようなことも多かったらしい。迷惑この上ない上司ですな。居眠りしていた能楽師を罰したこともあるとか。


(2) 吉宗の能界制度改革

吉宗の改革というと更に新しいことをしたようだが、要は、綱吉、家綱時代に混乱した能界を再整理した。具体的には、各家に家の由緒、能の作者、演じない能などの書上(レポート)を提出させ、それにより、混乱が是正されたらしい。この書上は「享保六年書上」と呼ばれ、全例の無い広範な能楽の資料となっているとか。これにより家元格も定まったそうだ。


(3) 観世元章の明和改正の功罪

せっかく落ち着いた能界も、観世流は観世元章のお陰で大混乱。

元章は、元々160番だった所演曲を内100番、外100番、習10番の計210番に増やした上に、詞章も大きく変えたのだそう。たとえば、高砂の「とうとうたらり」は、元は「どうどう〜」だったのを、元章が「とうとう」に変えたそう。さらに、お磯様という親王がいたせいで、ワキの着き台詞「急ぎ候ほどに早○○に着きて候」という決まり文句の「急ぎ候ほどに」という台詞を削ったとか、色々やったのだとか。

ただ、良いこともやっていて、アイ狂言はそれまで居語りがデフォルトだったのを、ワキとの問答に書き直したり(間狂言シテ方が書いていたとは知らなかった)、習物にして授業料を増やすために、小書を一杯作ったが、そのお陰で観世流は演出が豊かになったとか。。。

いやはや、江戸時代は能楽の最も華やかなりし時代かと思いきや、色々と受難があったわけです。

他にも、宝生大夫ピンハネ事件とか、江戸末期まで翁専門の申楽師が春日大社の近くで農業をしながら翁舞をしていたとか、水戸光圀公は綱吉にお能を舞わされた挙句、喜多流から宝生に変更させられたとか、紀州は以前は能楽が盛んで、今の石橋の小書、「大獅子」は紀州能楽の演出だとか(そういえばこの前みた関根祥六家三代の石橋は大獅子の小書だった)、色々、エピソード満載。


…といったところで時間が尽きて、表先生のお話は、「慶応4年、幕府お抱えの能役者全員、『銘々進退勘弁致』べき由(解雇)を言い渡される」で終わってしまった。嗚呼、先生、その先は…!

うーむ、ここから先は、横浜能楽堂編の「能楽史事件簿」で読んだ気がするぞ。さあ、思い出せ。それより、また岩波講座を読み始めるべきか?