日本橋高島屋 細見美術館10周年記念展 日本の美と出会う

日本橋高島屋 細見美術館10周年記念展
日本の美と出会う
琳派、若沖、数寄の心―
http://www.mbs.jp/event/2009nihon/


遊びで関西に行くと、いつも逆上してしまって細見美術館などにはいつまで経っても行き着かないので、これ幸いと見に行った。


感想のまず最初に挙げるのが「表具」というのは変かもしれないけれども、対になっている絵を別として、ひとつとして同じ裂は無いのではないかと思うくらい様々な裂が使われていて、楽しかった。またそれが、どれもこれもセンスいいのだ。さすが京の美術館。


俵屋宗達本阿弥光悦「萩薄下絵和歌書扇面」


宗達の初期の作だという。確かに光悦が痛風になる前の筆蹟のようだし、画面も少し洗練が足らないというか整理が必要な感じ。一面銀色のこの扇は、渋いようでいて豪華絢爛。お能的センス。


白象図屏風 渡辺始興


源養院の宗達の白象図杉戸の象に似ている。それを模したものだろう。


紅梅図 酒井抱一


今回の展示の中で最も気に入った作品が、大好きな宗達や雁金屋Bros.の作品ではなく、抱一のものとは。


抱一は吉原の大文字楼から遊女を受け出し、結婚した。この絵は正月に抱一が描いたもので、妻となった小鶯が漢詩の賛を寄せている。その賛の内容は、「雪の中を二人で歩いている。雪は冷たいけれども、つらくはない。もう、どこからか梅の香が漂って来ている。」というような内容。
何だか近松門左衛門浄瑠璃、「冥途の飛脚」の「道行相合いかご」で主人公である恋人達、忠兵衛と梅川が雪の中を二人で歩いて行った様子を彷彿とさせる。小鶯は吉原にいた訳だから、きっと冥途の飛脚を知っていたはずで、そんな場面を連想したかもしれない。ただし、忠兵衛と梅川の方は悲劇の逃避行だったけど、抱一と小鶯はハッピーエンドだ。ああ、こう書いているうちに、抱一が忠兵衛、小鶯が梅川に思えて来た。

とにかく、このさりげない絵は、小鶯の愛情のこもった賛によって、私の最もお気に入りの抱一作品になった。


踏歌図 若沖


私にとって、若沖は過剰で、基本的に苦手。しかし、この絵は人々が踊っている様子を墨でさらさらとデッサンしたような、さっばりとした絵だ。このような絵であれば、良さが分かる。


江戸名所遊楽図屏風 江戸前


明暦の大火前の江戸の下町。能舞台で橋掛りを戻ってくる天女風のシテツレ(?)と本舞台で舞う神様風のシテ。何の曲だろう?それから人形浄瑠璃をやっているのだが、これもまた演目は不明。岩に紐が結び付けられていて、女性と男性がその紐を持って正面を向いている。


東山名所図屏風 桃山時代

現存しない秀吉の建立した大仏殿がある。六角形か八角形の建物。で何度も再建されたようだけどいつ頃のものなんだろう。
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi19.html


四条河原図巻 江戸前

一番最初に描かれているのは、おそらく、ところてん屋とところてんを食べる人達。昔のお豆腐屋さんみたいに、木製の大きな水の入った容器に、ところてんがいくつも浮んでいて、お店の人がそれをあのところてんを作る器具に入れて、お客さんの器に出してあげている。…と、思ったのだが、タレは酢醤油っぽくも辛子醤油っぽくもなく、実は葛切だったりして。さすがに絵では見分けが付かん!


他に犬の曲芸、鷲(だったかな?)の見世物が続き、最後は、お能道成寺。同列に並べるとはちょっとひどい…。それとも、その当時、人気のあったものを並べたんだろうか。


虎渓三笑図 仲安真康 室町時代

お能の「三笑」を見て以来、「虎渓三笑図」の方も見てみたいと思っていたがやっと遭遇した。慧遠と陶淵明、陸修静が肩を並べて笑っている様子。ああ、大槻文蔵師、梅若玄祥師、観世銕之丞師の「三笑」は、素敵だった。


会場では細見氏のインタビューのビデオが流れていたのだが、非常に興味深かったのは、「琳派は、美のイデアを描いている」という主旨の発言をされていたこと(感心した割には正確な言葉を覚えていないのが情けないけど)。今まで何故自分が琳派が好きなのか、言葉で上手く説明できなかったが、このインタビューですっきりした。もっといえば、「日本の美のイデア」ということだと思う。多分同じ理由で、私は和歌も好きなのだ。