サントリー美術館 天地人―直江兼続とその時代

サントリー美術館 NHK大河ドラマ特別展「天地人」―直江兼続とその時代
2009年5月30日(土)〜7月12日(日)
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/09vol03/index.html

NHK大河ドラマ特別展などと言うので、パブリシティ中心か思いきや、そのようなものは、入り口で掛かっているオープニング・ミュージックだけで、意外や意外、見応えのある展示でした。


私のようにまじめに日本史を勉強してこなかった者にとっては戦国時代と聞くとそれだけで頭が痛くなる。しかし、文化史の側面から桃山時代をみれば、秀吉をはじめとした有力武士達の庇護を得て、絢爛豪華な文化が花開いた時代として、俄然、興味が沸いてくる。


この展覧会では、書状や当時の資料等の展示を中心として、直江兼続の生涯を見ていくような流れがメインをなしてはいるのであるが、そういったなかでも、武具や献上品、城跡から出土した陶磁器等々が展示されていて、兼続や影勝、秀吉、家康などがどのような日常を送っていたのかが分かる。例えば、蒔絵や漆絵の食器、中国から輸入した青花の器(日本の染付の磁器にあたる。この当時、日本は秀吉の朝鮮出兵後に朝鮮の磁器職人を鍋島藩が日本に連れ帰って染付の生産が始まった)等々。


そんな中でも、どうしても気になってしまうのが、秀吉。


おかしかったのが彼の武具の具足。金糸をたっぷり使った紅色の地に唐草牡丹模様のように見える金欄の裂が地になっていて、彼の派手好きがよく分かる。これを着て戦に行ったとは、とても思えない。すぐに金糸が擦れて無くなってしまうだろう。


それから、聚楽第大阪城の瓦。金箔が施されているのだ。そこまで派手にしたかったのか。


彼のMy能面入箱(「菊桐紋蒔絵面箪笥」)も申楽(能楽)好きを彷彿とさせて、興味深かった。三段の引出しつきの箱が二つ、角を蝶番で合わせてあり、都合六つの面を入れられるようになっている。一番上には「翁」、他に「飛出」、「黒い尉」(三番叟)などと貼紙がしてある(他は字が崩れすぎて判別できず…)。能装束や面もあったが、東博のものなので、多分金春家伝来で秀吉と直接関係は無いのだろう。しかし、本当に美しい装束。東博には一体どのくらいの能装束があるのだろう。


他には、上杉が上洛したときの秀吉の饗応の様子も興味深い。まず、宗易に茶の湯を点てさせたが、その時、名物の「初花(肩衝)」、「蕪無の花(花入)」を出したという記述が複数の資料にある。それから、どうも申楽も演じられたようだ。役者の名前として、(何某の)高安という人と、観世小二郎という人の名前が挙がっていた。茶の湯といえば、「山上宗二」があった。学生時代は単に機械的に書名を暗記しただけだけで全然興味が沸かなかったけれど、今は、この本の中身が分かったら、さぞ面白かろうにと思う。ちなみに、他にも聚楽第後陽成天皇行幸した時の次第(「聚楽行幸記」)とか、北野大茶会とか、秀吉の文化面に興味ある人には楽しい資料がいくつかある。


秀吉関連以外の書状の方の展示も大変面白く、例えば、「直江状」があり(今は写本しか現存していないらしいが)、懇切丁寧に解説がついていて、良く分かった。また、上杉謙信が影勝に手紙の中で習字が上達したことを褒め、新しい手本を送ることを約束する消息とか(上杉謙信は達筆)、秀吉が武士達に秀次への忠誠を尽くすよう求めた血判状とか、話として知ってはいたが、本物の書状をみると、ぐっと真実味が増す。


他に、永徳の「二十四孝図扇面流し屏風」や洛中洛外図等。永徳の「二十四孝扇面流し屏風」はさすが。扇に描かれた二十四孝図もいいけど、扇面が流れる波や波頭が素晴らしい。図にある州信という印は永徳のものなのだそうだ。「洛中洛外図帖」は元信のものだが、永徳と良く似ている(永徳が似ていると言うべきだけど)。目の保養。私が観たのは、清水寺と五条橋の図。五条橋は、中洲がある。古い絵だと五条橋のところには中洲があって、これもその様子を示しているのだろう。興味深いのは中州に建物があり、そこで人が拝んでいるのだ。何なのだろうと思って調べてみると、法城寺(現在の心光寺)というのがあったらしい。
http://na.jkn21.com/contents/journal/interest_chimei/chimei_25_1.html


というようなわけで、大変楽しく拝見したのでした。

戦国時代は絢爛豪華な文化が花咲いた桃山時代と考えれば、戦国武将達の茶の湯や申楽、美術を介した権謀術数も、なかなか面白いのだった。