遊行寺(清浄光寺)


先日、お能の「誓願寺」を観たが、ワキの一遍上人が始めた時宗の総本山、遊行寺に行ってみたくなって、行ってきました。


なぜ、藤沢に時宗の総本山を、と思ったが、一遍上人を継いで諸国漫遊する上人(を「遊行上人」という)の四代目の呑海上人が、鎌倉時代の正中二年(1325年)に、寺を建てたのが始まりという。おそらく、その当時は鎌倉の郊外で布教にも便利なロケーションだったのかも。


お寺は、割に大きかったけど、あまり観光客もいなくて、いかにも地元のお寺という感じ。本堂には、観音様がおわしましました。「南無阿弥陀仏」と唱えろというからには、阿弥陀如来か何かがあるかと思ったら、違った。やっぱ、現世利益重視の観音様の方が民衆のウケが良いからかしらん。ま、私は阿弥陀如来観音菩薩のどこがどう違うのかちっともわからないので、なにが安置されていたとてありがたみにあまり変わりはないのだが。
ちなみに、お能誓願寺」にて、和泉式部が「先着六十万名様しか極楽往生できませんの?」と鋭く指摘した、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」のお札が、下記の遊行寺のホームページにあった。
http://www.jishu.or.jp/yugyouji_jishu_shounin.htm


観音様を前にした私は、お財布を開けて、「お賽銭は10円で手を打つか…」などと思いながら10円玉を投げた。がしかし、10円玉と思って投げた硬貨は実は500円玉で、500円玉がお賽銭箱に当たる重い音を聞きながら一瞬あせってしまいました。心がけが良くなかったか。しかし、ものは考えよう。お賽銭をはずんだので、是非、観音様の現世利益にあやかりたいものです。ねっ、観音様?



本堂の手前の植え込みには、一遍上人銅像があった。以前、この銅像の写真を見たとき、「一遍聖絵」などにみられる一遍上人の顔の絵にそっくりなので、是非、見てみたいと思っていた。今回、私が撮った写真ではあまりはっきりしないけれども、実際、似ているのです。多分、一遍上人の肖像や絵巻を参考にして作った銅像なのだろうから、似てるのは当たり前といえば当たり前か。


それから、遊行寺の本堂の裏手に小栗判官をまつるお堂があるというので、行ってみた。長生院というところで、遊行寺の境内にある。何でここに小栗判官をまつるお堂があるかというと、小栗判官の娘の照手姫がここで小栗判官の菩提を弔ったということになっているそうだ。小栗判官の物語はもちろん、脚色されたお話だけど、それを時宗の念仏聖がこの物語を得意として各地に広めたという側面があるらしい。実はこの長生院の裏手に小栗判官のお墓があったらしいのだが、見逃した。残念。とはいえ、正直言うと、小栗判官については、良く知らない。説教節では長大で波乱万乗な物語になっているらしい。中世から近世のある時期に長いこと一世を風靡した物語であるわけで、いつか改めて調べてみたいなあと思っておりまする。


というわけで、遊行寺を後にしたのでした。実はこの後、藤沢から江ノ電に乗り込んだ。江ノ電由比ヶ浜駅の近くに、盛久が打ち首になりそうになった史跡という「盛久頸座」というところがあるらしいので、ついでに行ってみようかと思ったのだ。ところが、夏休みに入ったせいか、ものすごい人出で由比ヶ浜の駅に着いても降りられず、訪問は断念。行くならもっと寒くなってからだなあ。。