東京国立博物館 平常展

暑く、晴れ渡り、強い風が吹いた日。東京を覆う排ガスもどこかに吹っ飛んでって、空気が光っていた。夏が苦手な私だけれども、こんな日は、夏も良いなと思う。


5室 武士の装い ―平安〜江戸

太刀 大和物(号 獅子王) (重文、平安時代、12世紀)

源頼政が鵺退治をした際に天皇から賜った太刀だという。びっくり。鵺退治の話自体創作かと思っていたけれども、何か当時は知られていない生物を本当に退治したのかも。 この太刀の来歴自体が作り話という可能性もあるかと思ったが、これだけの名品に作り話の来歴が付くというのも理解しにくい。うーむ。謎。


7室 屏風と襖絵 ―安土桃山、江戸

柳橋水車図屏風(重美、筆者不詳、安土桃山時代、16世紀)

いつみても素晴らしい柳橋水車図屏風。柳の幹のこげ茶と葉の緑以外は、全て金で塗り込められていて、しかも、その金の色がどこも微妙に違う。例えば、橋の欄干は銀に近い金、橋板は滑らかなグラデーション、網代や水車は立体的で硬い感触の金、それらにかかる素麺のような波は暗いブロンズ色、さらにすべてを包み込む柔らかい金粉の霞には金箔を散らして王朝好みのアクセントを付けている。そして、爽やかで柔らかな芽吹いたばかりの柳の葉と枝。屏風の視界の端にちらと映るのは、夏の柳。


9室 能と歌舞伎  特集陳列 狂言の面、装束


狂言面 祖父(満茂作、江戸時代、18世紀)
狂言面 舌切姫(栄満作、江戸時代、17世紀)

共に、未だ見たことはない。祖父(おおじ)は、「祖父」という狂言に出てくるものらしい。ゆがんだ表情で今にも泣き出しそう。東博のwebでは泣尼祖父と書いてあるが…。舌切姫は、乙が舌を出した顔。


重文 千手観音菩薩立像(493号)(院承作、鎌倉時代、建長3〜正元元年(1251〜59))
重文 千手観音菩薩立像(504号)(隆円作、鎌倉時代、建長3〜文永3年(1251〜66))
重文 千手観音菩薩立像(40号)(湛慶作、鎌倉時代、建長3〜8年(1251〜56))

千手観音が三つ並んで壮観!だれがこんな素晴らしい展示を考えたんだろう。作者が三つとも異なるので微妙に味わいが違うが、それぞれ素晴らしく、三体揃って一セットと看做したくなる感じ。末永くこうして安置しておいて欲しい。また、千手観音の手の位置や持ち物が厳密に決まっていることが見比べると分かる。


13室 陶磁

銹絵染付芦白鷺文徳利(京焼、御菩薩池、江戸時代、17〜18世紀)

白い釉薬の鷺に銹絵で描いた葦などが朝鮮磁器のよう。御菩薩池(みぞろがいけ)というのは、京焼の一種だそうだ。

色絵三壺文皿(鍋島、江戸時代、17世紀)

へんに立体感を無くした三つの壷の絵が描かれたお皿。お馴染みの文様だけど、ふとそれぞれの壷に描かれた文様を改めてよくみてみると、左から紗綾形、貫入、牡丹のような花。特に、貫入の文様が、さすがに磁器の絵師だけあって何とも絶妙。感心してしまいました。


13室 漆工

虎渓三笑(蒔絵棚、伝幸阿弥長玄作、江戸時代、17世紀)

ここにもあった、虎渓三笑。お能で「三笑」をみて以来、気になっている。この棚は、一番上の棚板に三笑図が描いてある。この絵では、山を出ない戒律を守ってきた慧遠が禁をおかして三人の先頭に立って橋を渡り、後からついてきた陶淵明と陸修静に「禁を破られたまふか」と指摘しれ、慧遠法師が思わず二人を振り返る、という絵。笑っている絵なのか、笑う直前なのかは、展示の位置が高過ぎて私の背の高さでは確認できず、残念。
webで確認してみたら、石川県立美術館にも同じものがあるそうだ。伝作者の幸阿弥長玄(1572年〜1607年)は蒔絵の流派、幸阿弥派の蒔絵師で、この棚は古田織部好みで、織部棚というらしい。
http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/syozou/sakuhin_detail.php?SakuNo=02002800

芦舟蒔絵硯箱(伝本阿弥光悦作、江戸時代、17世紀)


16室 歴史資料  シリーズ「歴史を伝える」 特集陳列「年中行事」

蹴鞠之条々(室町時代、16世紀)

蹴鞠の飛鳥流の家元、飛鳥井家が門弟に与えた伝書の写本。すごい!

鞠装束 紅遠菱文(江戸時代、19世紀)
蹴鞠用葛袴 白地ハツ藤模様摺絵(江戸時代、19世紀)
鞠靴(江戸時代、19世紀)
蹴鞠(江戸時代、19世紀)

蹴鞠道具一式。鞠靴は茶の革靴。蹴鞠は鹿の皮を円形にくりぬいたもの二枚を縫い合わせたものに、大麦が入れてあるとか。大きさはハンドボールぐらい。

年中恒例御儀式 正月元日(明治時代、19世紀)

元旦に紫宸殿で行われることが描かれている。朝の天皇による四方拝、朝餉に始まり様々な行事の後、南庭にて雅楽が催される。右が萬斎楽と雅殿、左が地久と延喜楽。

踊彩客見立五節句(歌川豊国筆、江戸時代、安政元年(1854) )

浮世絵のところに役者絵がひとつも無くて、つまらん!!…と思ったら、こちらに歌舞伎の登場人物の絵が出てきてうれしくなる。五節句を歌舞伎の登場人物で表したもの。

睦月は、おなじみの曽我五郎。弥生は何故か曽我十郎(09/09/01追記:ばかみたい。助六の白酒売だから弥生なんじゃない)、皐月は矢の根の鎌倉権五郎景政、七夕は前髪の青年が赤い糸の糸車を持っているので妹背山女庭訓の求女だろうか、そして重陽が分かりにくかった。重陽といえば菊だから鬼一法眼三略巻、菊畑に出てくる色奴、知恵内かと思ったが、どう見ても仁木弾正に似ている。よくよく考えてみると、仁木弾正が出てくる「伽羅先代萩」は秋草の「萩」という字が入っているからこれかも。