三井記念美術館 道教の美術

三井記念美術館
特別展 知られざるタオの世界
道教の美術 TAOISM ART」
道教の神々と星の信仰−
http://www.mitsui-museum.jp/

私にとって道教というと、一番印象的なのは、米国などに行った時にギフトショップや本屋さんのヒーリングのコーナーで見かける、Tao(道教)、Ying Yang(陰陽)という言葉、二つ巴のマーク、オリエンタルなかおりのお香。それから、「目を閉じて大海原の魚になったと想像してみなさい」的なフレーズが一ページにひとつづつ載っているヒーリング系の絵本。アメリカ人は道教とはヒーリングのことと信じてるんじゃないだろうか?とはいえ、私も道教といって思い出すのは、老子、陰陽五行説ぐらい。それからお茶の水湯島聖堂?ってあれは儒教か。


神道以上に曖昧模糊とした道教は、実は中国古代のアニミズムであり、日本の文化にも想像以上に大きな影響を与えているのだ。たとえば、神仙思想(仙人とか)、閻魔大王、竜、泰山府君西王母、蓬莱山、修験道陰陽道北極星と北斗七星信仰、午頭天王(ごずてんのう)、恵方、長寿、福禄寿、そして七夕!思いもしないもの同士が道教というキーワードで実は繋がっていたとは。やっと判ったよ!と叫びたいところだが、なんせアニミスティックな自然宗教なので、やっぱり曖昧模糊としてよくつかめないことには変わりないのだった。でも、非常に面白い展示だった。面白すぎて、二回も観に行ってしまった。


山海経広注(方従義筆、一幅、元時代、至正20年(1360年)、大阪市立美術館

中国古代の異生物などについてまとめた本。竜などは奈良時代にはすでに伝来していたという。ということは、文字で記録を作るようになった頃から既に日本の竜は中国の竜の影響を受けているということだ。


老子像(牧谿(もっけい)筆、南宋時代、12世紀、岡山県立美術館蔵)

老子さん、鼻毛が沢山出てますよ。。。

十王図(4幅の内3幅、明時代、14世紀、鎌倉国宝館)
閻魔王図(1幅、鎌倉時代、13世紀、大阪 長泉寺)

以前から、閻魔大王というのは何故かインド風でなくて中国風だなあ、と気になっていたのだが、実は彼は道教の十王と呼ばれるもののNO.5らしい。そしてあのコスチュームは道教の道士のコスチュームなんだとか。また、以前お能で観た「泰山府君」は、人間の寿命を司る十王の内の泰山王に由来し、で閻魔大王に眷属するのだそうだ。おお、だから閻魔大王風(道士風)の装束だったのか。

李鐵拐図、蝦蟇仙人図(重文、顔輝筆、元時代、13世紀、京都 知恩寺

中国で広く信仰された仙人とか。李鐵拐はどうみても黒人、蝦蟇仙人は中東だ。道教は何となく中国は中国でも漢民族が住む東の方で信仰されてそうなイメージがあるが、もっとシルクロードの西の方でも信仰されていたのだろうか。

新羅明神像(1幅、南北朝時代、14世紀、大津歴史博物館)
摩多羅神像(1幅、江戸時代、元和3年(1617年)、栃木 輪王寺

新羅明神は、三井寺円珍が唐に渡る際に感得したといいい、この前のサントリー美術館三井寺展でもそのちょっと異様な束帯姿を観たが、道教の神とは知らなかった。仏教の修行と教典を求めて旅だった円珍道教の神を見いだしたとは何とも興味深い。
一方の摩多羅神は、同じく三井寺を確立した慈覚円仁が唐に行く際に感得した神だという。二人とも道教の神なのだ。不思議。

浦島絵巻(2巻、室町時代、16世紀、東京 日本民藝館

今の浦島太郎のお話の結末は、玉手箱を開けたら玉手箱から煙がもうもうと出てきて「太郎はたちまちお爺さん」ということで相場が決まっているが、昔はいくつかの系統があり、ハッピーエンドのものもあるのだという。浦島太郎の歌が有名になって、この系統が定着してしまったとか。で、ハッピーエンドの方は「長寿」を授かったという道教らしいお話なのだそうだ。

妙見菩薩立像[伊勢常明寺伝来](院命作、1躯、鎌倉時代、正安3年(1301年)、読売新聞社

伊勢常明寺というのは伊勢外宮の禰宣、度会氏の氏寺。度会氏といえば、お能「歌占」のシテの度会某ではありませんか。彼は神官だったけど、実は伊勢神宮の禰宣だったのだ。で、そこに妙見菩薩立像というのがあったというのだが、これは道教に関係するのか。堂々とした体躯だけど、髪を両耳のところで「みずら」に結っていて、子供だということがわかる。妙見菩薩は、確か、この前観た伊勢神宮展でも出てきた。
伊勢神宮に仏教関連のものがあるというのも、何となく興味深い。なぜなら、西行の有名な歌「なにごとのおわしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」は、伊勢神宮に参拝した西行がその感慨を詠った歌だけれども、この時、西行仏教徒であったため、内宮までは入れずにこの歌を詠んだとされているから。仏教徒伊勢神宮に立ち入れなかったけれども、度会氏などの禰宣は氏寺をちゃんと持っていたりして、歴史的に仏教を受容していった過程でそのようなことが起こったのか、それとも何か別の論理でどちらもありということになっているのか、おもしろいなあと思う。

大将軍神立像[第44号](1躯、平安時代、10世紀、京都大将軍八神社)

大将軍八神社道教の神社なんだそうである。Webページを見ても特に道教の神社とは書いていないけれども、道教的には道教の神社ということなんだろうか。他にも、道教の易学的には、加茂氏が暦、安倍氏(土御門家)が陰陽道というようなことになるらしい。

織女と牽牛図(堤秋栄筆、1幅、江戸時代、19世紀、たばこと塩の博物館

今回一番驚いたのが、七夕は道教に由来するという解説。西王母道教の神なんだそうだが、実は両性具有だそうで、彼女(?)から分離したいくつかの男女のペアのうちの一組が織女と牽牛で、年に一度出会うというのは、再生の意味がこめられているとか(私が正しく解説を理解したのなら)。知らなかった!西王母が両性具有で男女のペアを次々うみだせるとなると、西王母の旦那様の東王父は存在感ゼロってことになってしまいますな。東王父にちょっと悲哀を感じてしまった夏の午後でした。