国立能楽堂 定例公演  箕被 敦盛

狂言 箕被(みかずき) 佐藤友彦(和泉流
能  敦盛(あつもり) 粟谷能夫(喜多流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2491.html


箕被(みのかづき)

連歌の下手の横好きな夫(佐藤友彦師)とその妻(佐藤融師)は、連歌のことでいつものごとく喧嘩をはじめる。愛想を尽かした妻は、とうとう夫に連歌を止めてくれなければ離縁してくれという。夫は到底連歌は止められないと言うと、妻はそれでは実家に帰るので去り状を出すか、離縁の証拠の品を欲しいという。証拠の品に出来るようなものもなく、困った夫は、箕(ザル)を妻に渡す。あきれた妻は箕のをかづいて家を出ていこうとするが、その姿を見た夫が連歌の発句を思いつき、それを舅に伝えてくれるよう、妻に頼む(という話だったような?)。承った妻は…というお話。


どうも連歌好きの夫とやりくりに困る妻の喧嘩、というテーマの狂言はいくつもあるらしい。以前見た蜘盗人もそういったお話だった。似たようなパターンの話に闘茶のお話もある。そんなにのめり込むほど面白いのだろうか。何だかいつも気になる。


敦盛(あつもり)

歌舞伎の「熊谷陣屋」の最後、剃髪し僧衣となった熊谷が一人花道を去っていくとき、「ああ、熊谷はこの後どうなってしまうのだろう」と胸が締め付けられる思いがする。ところがその熊谷の後日談がお能の「敦盛」として浄瑠璃ができる前に存在していたのでした(まあ、歌舞伎の方は「実ハ…」のどんでん返しがあって完全なる続編とはなりませんが)。

というわけで、楽しみにしていた「敦盛」。期待通り、面白かった。


このお能では熊谷は既に法然上人の下で蓮生という法師になっていて(殿田謙吉師)、敦盛の菩提を弔いに一谷を訪れるところから始まる。

すると草刈男達が現れ、そのうちの一人の三光尉の老人(粟谷能夫師)が実は敦盛なのだ。何で老人なのかよくわからないけど(お能のパターンに当てはめられてしまったから?)、とにかくその老人は、草刈男達の代表として、ワキの蓮生法師の「ただいまの笛はかたがたの中に吹き候ふか」との問いに答える。その後、笛に関する連想ゲームみたいなやりとりをしている間に、ツレの草刈男達はさりげなく消えてしまう。そこでさらに蓮生法師が「不思議やな余の草刈りたちは皆々帰り給ふに、おん身一人留まり給ふこと、なにのゆゑにあるやらん」と問うと、その老人は、自分は敦盛であることをほのめかして消えていってしまう。


狂言では、アイの里の男(井上靖浩師)によって色々と興味深いことが語られていた。まず、敦盛が一人御座船に乗り遅れたのは青葉の笛を城に忘れ、源氏の武士共に敦盛が慌てふためいて逃れたと思われたくないので城に笛を取りに帰ったということ。手持ちの岩波文庫の「平家物語」の中にはないエピソードだ。第二に、敦盛が熊谷に名を名乗ったということ。岩波文庫版「平家物語」では敦盛はその場では自分のことを「さては、なんぢにあうては、なのるまじいぞ。なんぢがためにはよい敵ぞ。頸をとッて人にとへ」としか言わず、後に実検で知れる。ちなみに、浄瑠璃の「一嫩軍記 組打の段」ではしっかりと「無冠の大夫敦盛」と名乗っている(これは後のどんでん返しの伏線でもあるのだけど)。

どちらにしても、蓮生法師の身になって聞けば傷に塩する話で、蓮生法師も里の男に言うだけ言わせて後から「自分は実は直実」と名乗るのは少しずるい気もするけど、里の男もそれほど動じた様子は無く、「これはこれは失礼つかまつりました」とばかりに堂々と応じるのが面白かった。

ところで今回、この井上師のお父上の井上菊次郎師が出ていないので、どうされているのだろうと思ってホームページを見たところ、倒れられて現在リハビリ中というお知らせが書かれていてびっくりした。私は菊次郎師のほんわかした感じが大好きなので、一日も早く回復され舞台で拝見出来る日が来るのを心待ちにしています。


後場では、「忠度」の後シテのような典型的な平家の公達の装束。蜀江文様の厚板に、紺地に帆立舟と唐草、流水の文様の長絹、それから半切は白地に青海波の文様が織り込まれたもの。面は、十六という敦盛専用の面という。ちょっとふっくらとした顔立ちだった。

敦盛は、蓮生法師に熊谷に討たれる前夜からの話をしはじめる。颯爽とした舞があり、面白い笛もあり(松田弘之師、「敦盛」に限っては笛がよろしくないと話にならない!)それ自体楽しいのだが、彼の亡くなった年齢(十六、七)を思うと哀れに思われ、またその話を聞く蓮生法師の気持ちも察してあまりある。そのため、最後に敦盛の言う「仇をば恩にて、法事の念仏して弔はるれば、終には共に生まるべき、同じ蓮の蓮生法師、敵にてはなかりけり、跡弔ひて賜(た)び給へ、跡弔ひて賜び給へ」という言葉に救われる思いがする。お能ではワキの僧の回向によってシテが救済されるというパターンが多いけど、この「敦盛」においては、シテの敦盛も、ワキの僧の蓮生法師も、ある意味、共に救い救われるのだった。


ところで、お能とは話が離れてしまうけど、今回、色々気になって改めて浄瑠璃の「一嫩軍記 組打の段」(敦盛を熊谷が組み打つ場面)を読んで見たところ、謡曲「敦盛」の詞章が何カ所も組み込まれているということが分かった。浄瑠璃が盛んだった江戸時代、浄瑠璃のメインターゲットである町人がお能を観る機会は勧進能等の限られた機会しかなかったようだけど、どうも寺小屋では謡曲が教材として使われることが多々あったようだ。それで、町人の人々のそのような教養を背景に、こういった浄瑠璃の中に謡曲のテーマや詞章の一部を入れるというようなことが行われたのだろう。謡曲を知らなくても十分楽しめるけど、特に初期の時代物の浄瑠璃は、謡曲を知っているともっと立体的なイメージの広がりがあり、深く楽しめそう。また、謡曲謡曲で、和歌や古典の知識があれば、また重層的な面白味を感じることができる。今はそのような教養の伝統を振り切ることにより発展した訳だが、その断絶によって文化、芸術に関しては一面的な理解しか出来なくなってしまったことも多々あり残念だ。私もその古典の世界の迷子の一人で、地道に手探りで昔の人々のたどった道を探っていくしかない。それが面白いのだけれども。