国立能楽堂 企画公演 素の魅力

◎素の魅力
舞囃子 養老(ようろう) 水波之伝(すいはのでん) 梅若玄祥観世流
小舞 海人(あま) 野村万作和泉流
狂言語 枕物狂(まくらものぐるい) 茂山千作大蔵流
小舞 通円(つうえん) 野村萬斎和泉流
素謡 檜垣(ひがき) 近藤乾之助(宝生流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2492.html

舞囃子、小舞、素謡の公演。豪華出演者で「素の魅力」というよりは芸の力に魅了されて楽しい公演だった。


舞囃子 養老(ようろう) 水波之伝(すいはのでん) 梅若玄祥観世流

お能を観始めたばかりの頃は、脇能というのは、キホン《神様等が出てきて寿ぐ》という以上のストーリーもなく、いかにもつまらなそうと思っていた。がしかし、実際に観てみると能の魅力の一つといってもよいと思える。あまり難しいことを考える必要もなく、詞章を理解できるか否かに拘わらず、きらびやかな舞台と囃子のもたらす高揚感とを満喫することができる。この「養老」の舞囃子もそういう脇能の一番オイシイところのダイジェスト版。
ちなみに「水波之伝」という小書では、楊柳観音とみなされる天女がツレとして登場し天女の舞を舞うとか。が、この舞囃子では玄祥師しか舞わないので小書無しとどう違うかは?

玄祥師の舞を観られて大満足。観る度毎に玄祥師の舞が好きになる。


小舞 海人(あま) 野村万作和泉流

先日観たお能の「海人」の小舞版の玉之段。「玉之段」は実は藤原房前の母であった海人が、房前を淡海公の世継ぎとするために後に興福寺の三つのお宝の一つとなった竜宮に珠を取りに行くというお話。同じ部分なのに、お能とはまた違っていて、とても面白かった。お能よりももっときびきびとして所作も分かりやすく緊迫感があって、また別の良さがあるのだった。


狂言語 枕物狂(まくらものぐるい) 茂山千作大蔵流

面白いというよりは、趣き深い種類の狂言。若者のするような恋なんかするはずない、という老人が、昔の人の歌を引いているうちに自分の恋心を吐露してしまうというお話。まるでいつの間にか夢の世界で霊を見る夢幻能のワキのように、惹き込まれて聞いているうちにいつのまにやら当人の恋の話になってしまったのだった。でも、こんな素敵なおじいさまだったら、応援したくなる。


小舞 通円(つうえん) 野村萬斎和泉流

これがサイコーに傑作。

私はまだ観たことがないが「頼政」というお能のパロディ。源頼政に関するお能では以前、頼政が鵺退治をする「鵺」を観た。「頼政」の方は、以仁王を担いで平家に反旗を翻して反乱を起こした頼政が、宇治川を渡った先にある平等院で敗けを悟り、自害するところをお能にしたものだそうだ。嗚呼、この時はまだ平家でも坂東武者が大活躍で、勇猛果敢に急な流れの宇治川を渡っていったのだった。

で、「通円」に話を戻すと、宇治川を渡る平家の軍勢と頼政が自害する場面の詞章をパロっているのだが、もうナンセンスすぎて笑ってしまう。こーゆーの、大好き。これ考えた人、天才。

…と思って、ふとWebで確認してみると、通円というのは今も宇治川近くで営業を続けている実在のお茶屋さんだそうだ。そういえば、何かの名所図屏風で「つうゑん」という但書を見た記憶がある気がするが、何だったか思い出せない。。。そしてホームページによれば、初代通円は頼政の家臣で主君頼政平等院で自害したというのだ。なるほど、「頼政」の宇治川の下りから自刀するところまでのパロディというのも故無きことではないのであった。
http://www.tsuentea.com/

是非、狂言で改めて観てみたい。


素謡 檜垣(ひがき) 近藤乾之助(宝生流

三老女物の一つといわれるくらいの曲なので、そんな曲を素謡で聴いて果たして私に分かるのか心配だったが、さすがに乾之助師と宝生閑師の手にかかると私のような初心者にもとても面白かった。

お能の方も面白いのだろうけど(とはいえ宝生流では演能は久しく絶えているのだそうだけど)、素謡だと詞章に集中するので、ひとつひとつの言葉の面白さが粒立って感じられる。実際、「檜垣」の詞章の美しさは、乏しい観賞歴ではあるけれど観賞した曲の中では際だっている。その詞章のうちの何カ所かの聞き所は古の漢詩を引いているようなのだけど、典拠不明だそうで、残念。


シテである檜垣の女というのは、実在のモデルがいたようだ。「檜垣」の典拠として「大和物語」が挙げられていたので読んでみると、第百二十六段から第百二十八段に純友の乱で落ちぶれてしまった檜垣の御という媼の話がある。第百二十六段は、檜垣の御が筑紫の山里に風流に住みなしていたところに、その老女の噂を聞きつけた小野好古(本当は恐らく藤原興範[おきのり])が名を呼んだが恥ずかしがって「むば玉の我黒髪は白川の みずはくむまでおいぞしにける」という歌を一首作ったというお話。第百二十七段は、その媼に興範が紅葉の歌を詠ませたところ、「鹿の音はいくらばかりのくれなゐぞ ふりつるからに山の染むらん」と詠んだという話。第百二十八段は、檜垣の御の噂を聞きつけた風流者達が「わたつみ(=海)の中にぞ立てるさを鹿は」という下の句を付けにくい上の句を作って檜垣の御に下の句を詠むよう所望したところ、「秋の山辺やそこに見ゆらん」という下の句を付けた(巧い!)という三つの話が載っている。

どれもお能の「檜垣」とは違って軽いお話でそれほど悲壮感もなく、平安時代室町時代の価値観の違いが感じられて面白い。


<おまけ>
あまりに面白かったので、小舞「通円」の詞章を以下に。

シテ さても宇治橋の供養、今を半ばと見えし所に、都道者とおぼしくていざ、通円が茶を呑み干さんと、名乗りもあへず三百人

地謡 名乗りもあへず三百人、口わきを広げ茶を呑まんと、群れ居る旅人に大茶をたてんと茶杓を追つ取り簸屑(ひくず)どもを、茶々と打ち入れて浮きぬ沈みう点てかけたり

シテ 通円下部(しもべ)を下知していはく

地謡 水の逆巻く所をば、砂ありと知るべし、弱き者には柄杓を持たせ、強きに水をになはせよ、流れん者には茶筅を持たせて互ひにい力を合わすべしと、ただ一人の下知によつて、茶ばかりの大場なれども一騎も残らず点てかけ点てかけ、ほさきを揃へてここを最後と点てかけたり。さる程に入り乱れ、我も我もと呑む程に

シテ 通円が茶呑みつる

地謡 茶碗柄杓も打ち破れば

シテ これまでと思ひて

地謡 これまでと思ひて、平等院の縁の下、これなる砂の上に、団扇を打ち敷き衣脱ぎ捨て座を組みて、茶筅を持ちながら、流石名を得し通円が

シテ 埋火(うずみび)の、燃えたつ事のなかりせば、湯の無き時は、泡も立てられず

地謡 跡弔(と)ひ給へ御聖、仮初めながらこれとても、茶しょうの種の縁に今、団扇の砂の草の陰に、ちやち隠れうせにけり、後ちやち隠れ失せにけり。