国立能楽堂 普及公演  昆布売 蝉丸

解説・能楽あんない 童どもは何を笑ふぞ  馬場あき子(歌人
狂言 昆布売(こぶうり) 石田幸雄(和泉流
能  蝉丸(せみまる) 山本順之(観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2494.html


解説・能楽あんない 童どもは何を笑ふぞ  馬場あき子

馬場さんのお話で興味深かったのは、日本人は「A、実ハB」というのが好きだということ。このこと自体はよく言われることだが、何故、「実ハ」が好きなのか、今までイマイチ分からなかった。しかし、馬場さんによれば、「実ハ」ということで、位がぐーんと上がることが日本人は好きなのだという。この説明で深く納得。確かドナルド・キーンが彼の著書「能・文楽・歌舞伎」の中で、日本人は横の関係より縦(主従、親子)の関係を重要視する、というようなことを言っていたような記憶があるが、その話とも関連することだと思う。つまり、「実ハ」で、本当の姿を見顕すことによって位(縦の上下)が急に上がるというところが縦の関係を重視する日本人にとっては、魅力的に感じるのだろう。


狂言 昆布売(こぶうり) 石田幸雄(和泉流

大名何某(高野和憲師)は、家の使用人を様々な用事で使いにやってしまったので、出掛けるのに、太刀持ちになる者がいない。そこに小浜の昆布売り(石田幸雄師)が現れたので、昆布を買ってやるから太刀を持ってほしいと持ちかける。昆布売りは同意するものの、太刀の持ち方一つにも一々注文があり、威張られ面白くない。そこで、昆布売りは、自分が太刀を持っていることをいいことに、あることを思いつく…というお話。


狂言自体も面白かったが、大名に昆布売りの売り文句を謡や浄瑠璃、踊りでやらせるのが面白い。謡は謡っぽいの節付けで昆布売りの売り文句を言うというのは大体想像できたのだが、浄瑠璃でってどいうことだろうと思ったら、本当に口三味線と扇拍子で三味線の伴奏を入れて、音を謡よりずっと長くとり音程も謡より高低の差が大きく、聞いてみればなるほど、浄瑠璃っぽいのだった。浄瑠璃語りに三味線を加えるというのは、コロンビアミュージックのWebサイトによれば文禄年間(1592〜96)に、傀儡師によって新機軸として考案されたらしい。結構、三味線+浄瑠璃の組み合わせというのは歴史が長いようだ。また、踊りは、念仏踊りのように手を左右に振り、振るたびに振った方向の足を上げるというもの。狂言の出来た時代(多分江戸時代より前)にどんな謡があって、どんな踊りをしたのか、興味深い狂言だった。もちろん、話も面白かったです。



蝉丸(せみまる) 山本順之(観世流


蝉丸という名前ではあるけれども、シテは蝉丸の姉、逆髪(山本順之師)。だが、ツレの蝉丸(浅見真州師)にも重きが置かれていて、両シテといってもいいくらいの重い役だった。さらに江戸時代初期まで謡専門だったそうだが、あの綱吉が復活させたらしい。きっと綱吉が会の無茶苦茶直前にリクエストしたのだろう、一応、登場人物は出てくるのだけど、あまり動きがない。後場のクライマックスでも居グセ!(じーっとただ座っているだけ)これを観た綱吉は文句を言わなかったのだろうか。他人事ながら心配です。


けれども、その代わり、謡専門だっただけあって、謡がなかなか素敵だった。今回の舞台では、梅若玄祥師が地頭で、とても楽しめた。もし、居グセだわ地謡が貧弱だわという状況だったら、絶対に起きていられなかったでしょう。そういう意味では、シテ、ツレ、地謡、アイ(野村万之丞師、アイとしては博雅三位という位の高い役)の全てが揃っていなければ上演できない、難しい曲だなーと思ったことでした。


ちなみに、逆髪は「逆髪」という若女風の専用面、茶色の地に秋草や月、流水の文様が配された唐織着流しを片肌脱いで、白地で袖に秋草のワンポイントがある摺箔だった。後場しか出ないので、このまま。パンフレットの写真や他のサイトを見たりすると逆髪は紅の大口袴を着ることもあるようだ。今回は、もう、皇女という過去をかなぐり捨てた逆髪という設定なのかしらん?
一方の蝉丸は、最初は、「弱法師」の面に萌黄に白抜きの鳥の文様の仮衣、白の大口(?)。出家して物着後は、黒の水衣に角帽子だった。