畠山記念館 平成21年 夏季展

平成21年 夏季展
知られざる畠山コレクション
ー唐三彩から秀吉像までー
http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/display/2009/summer.html

どうしても観に行きたかったので最終週にお伺いしました。

字号「豊国大明神」(豊臣秀頼筆、桃山時代(17世紀))

「八才」と書き添えられてあるのだが、かなり大人びた立派な字だ。彼の父の秀吉が亡くなったのは慶長三年(1598年)なので、数えで八歳といえば秀吉の死後2年、この「豊国大明神」というのは、亡き父のことを偲んで書いたということになる。ちょっと泣けるお話だ。

豊臣秀吉画像(重要文化財、伝、狩野山楽筆、近衛信尹賛、桃山時代(17世紀))

有名な豊臣秀吉画像。慶長三年八月(秀吉が亡くなった月)との年記がある。意外と小さかった。

明恵上人夢之記切(重要美術品、鎌倉時代(13世紀))

田安家伝来。以前、東博の陽明文庫展で明恵上人の夢記を見たが、私の記憶が正しければそれより大分大きい気がする(縦50cm近く)。上人の諱の「高弁」という署名がある。建保六年(1218年)六月十二日の年記があり、夢で、神主の傍らに在す一院(後白河院?)より「持宝樹を明神前に移せ」との仰せがあったという内容で、その持宝樹と覚しき二股に分かれた立派な柳の絵が記されている。誰かに持宝樹を(明恵上人なので恐らく)春日明神前に植えてもらうよう、依頼する消息なのだろうか。

建保六年六月十二日六月十一日夜
夢云一院傍在神主
告予云持宝樹是ヲ
可奉移明神前ト
仰去ル其図此也
同十二日望燈下記之
高弁

印籠箪笥(柴田是真作、江戸〜明治時代(19世紀))

印籠というのは17世紀以降に普及したのだそう。中に入っていた印籠も展示してあった。光悦の鹿の高蒔絵の印籠に樵夫の根付、原羊遊斎の高砂(男女、箒&松)の印籠に蝙蝠の根付等。それから長野横笛の作で杉に糸巻の文様に根付は唐獅子など。杉と糸巻とゆーか苧環といえば三輪神社(杉は三輪神社の御神木とお能の「龍田」でも言っていた)。三輪山苧環伝説、お能の三輪あたりにちなんだ文様ってことでしょうか。

唐三彩美人俑(唐時代(8世紀))

唐三彩と聞いて誰もが最初にイメージする、正倉院の鳥毛立女屏風に出てくるような女性の立像。この手のものは一体いくつあるのだろうか。なかなか良い具合の釉薬の景色。

能装束等(江戸時代)

前田家伝来。
一番気に入ったのは、「薄紅地二重格子雙鳳丸紋厚板唐織」。「薄紅地」が色褪せているけれども、もしそのままの色だったら、薄紅色と金銀で、とても上品な良い色合わせだろう。厚板といっても今の厚板よりは若干薄めでしなやかな生地のよう。
ほかに、華麗で秋の曲にふさわしそうな「紅入石畳鳳凰笹竜胆模様唐織」、涼しげで「海女」などに使えそうな「浅葱地貝尽模様鬘帯」(海松、巻貝、しじみ風の貝等、裏は熨斗目文様)など。
金地藍霞昼朝模様中啓」は紅白の朝顔風の花。解説では昼顔とあったが、白い昼顔というのもあまり聞かないので、朝顔とするかいっそ万葉集風に貌花(かおばな、朝顔、昼顔等を一緒くたにした名前だそうた)といっておくとか…。
それから「金地朱松に桜模様中啓」は松に桜の組み合わせ。つい長唄で「花のほかには松ばかり〜」と歌いたくなってしまうが、「道成寺」用替扇だろうか(前田家は宝生流だけれども、宝生流は本来、「道成寺」には龍の文様を用いるらしい)。
ああ、色々お能を見ていくと(まだまだ見始めたばかりだけど)、能装束を見ているだけでどんな曲で使うのだろうと想像が広がって楽しい。なるほど、こうやって加速度的に面白くなるわけなのだ。