歌舞伎座 さよなら公演 九月大歌舞伎 昼の部

歌舞伎座さよなら公演 九月大歌舞伎 昼の部
一、竜馬がゆく(りょうまがゆく)
  最後の一日
二、秀山を偲ぶ所縁の狂言
  時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)
  饗応の場
  本能寺馬盥の場
  愛宕山連歌の場
三、名残惜木挽の賑
  お祭り(おまつり)
四、天衣紛上野初花
  河内山(こうちやま)
  松江邸広間より玄関先まで
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2009/09/post_44.html

一、竜馬がゆく(りょうまがゆく) 最後の一日

平成19年の秀山祭から始まった三年シリーズの最終回。
前回は私の記憶が正しければ下座音楽というかバックグラウンド・ミュージックに尺八が多用されていて、「いかにも尺八っぽい音色」アレルギーぎみの私は、こっぱずかしくなって背筋がゾワゾワすること限りなし、だったのだが、今回は違った。音楽はあまりなく、清元等を効果的に使ったりして、尺八はラストシーン、最後の最後に「竜馬がゆくのテーマ曲」(※勝手に命名)で使われたのみだった。しかも昨年の尺八の音とは音色が違い、十分に管を鳴らした音だったので、安心して聞くことが出来た。
この「竜馬がゆく」が歌舞伎の範疇に入るのか否か私には良く分からないが、歌舞伎座の本公演でやる以上、下座音楽は重要だと痛感した。
お芝居そのものも面白かった。第一回では若干力み過ぎに見えた染五郎丈が三年間の間に竜馬を消化して自分のものにしていく様子にちょっと感動してしまった。


二、時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)

観ているうちに、実はこの演目が好きでないことを思い出した。さすが大南北、陰湿ないじめにリアリティがある。ただ今回は役者が揃っていて、役者ぶりを観るという意味では大変面白かった。吉右衛門丈の武智光秀は言わずもがなだし、富十郎丈の春永の怒りが募る様子が良く分かった。また、魁春丈の妻、皐月は立派だったし、桔梗の芝雀丈や園生の局の吉之丞丈も良かった。
また、最後の光秀と但馬守(幸四郎丈)の顔合わせは圧巻。「錦絵の如し」とは正にこのこと。歌舞伎らしい歌舞伎を見たという満足感に浸ることができた。


三、お祭り(おまつり)

私が観た日は、芝翫丈が休演。残念。福助丈が代演。相変わらず美しい福助丈だけど、若干、観客にサービスしすぎな気も。おえい姐さんはクールビューティでいてほしい。


四、天衣紛上野初花 河内山(こうちやま)
  松江邸広間より玄関先まで

「質見世」も結構好きなので、無かったのが残念。しかし、これだけ演目が詰め込んであるので致し方なしか。
梅玉丈の松江出雲守は、さすが。やはり出雲守にこのくらいの格がないと、河内山が大博打をうったという感じがしない。
それから、河内山が「山吹色のお茶」を所望して、その中身を観ようとする仕草が気になった。かなり露骨であまり品が無く見えた。「ここで露骨に見るのは寛永寺の使僧に似つかわしくない」というような口伝があったと思うのだが、あえて幸四郎丈が露骨な仕草をしたということはどういうことなのだろうか。所詮河内山はゆすりたかりをする茶坊主で、品は無いはず、という考えなのかもしれない。それも一理ある気もするけれども、やっぱりここは松江守に対して大博打を打っている訳でこんなところでは気を抜かない気もするし、また、ここで品無くやってしまうと、この後の玄関先での北村大膳とのやり取りでの豹変の効果が薄くなる気がしてしまうが。。

ところで、外題の「天衣紛上野初花」にある初花は万葉集では梅のこと。そして、万葉集では「わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」(大伴旅人、巻五、821)等の歌に代表されるように梅の散る様子は雪の舞う様子は見紛うというイメージがあったらしい。また、雪と恋も切っても切れない関係にあり、「天衣紛上野初花」外題はどちらかというと直侍の方のストーリーを暗示しているように思える。けれども、直侍のストーリーには「雪夕暮入谷畦道」という外題がついている。なぜそういうことになっているのか、なかなか興味深いことだ。