歌舞伎座さよなら公演 九月大歌舞伎 夜の部
歌舞伎座さよなら公演 九月大歌舞伎
夜の部
一、浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)
鞘當
鈴ヶ森
二、七代目松本幸四郎没後六十年
歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
三、松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)
吉祥院お土砂
櫓のお七
一、浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)
鞘當
鈴ヶ森
以前、確か梅玉丈が紫綬褒章を受賞した時、「いつまでも前髪が似合う役者でいたい」という主旨のことを話されていたが、白井権八が本当にお似合い。
二、七代目松本幸四郎没後六十年
歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
都合により拝見できず。残念無念。
三、松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)
吉祥院お土砂
たまにはこういうのも楽しい。確か法界坊も初代吉右衛門の当たり役だったと思うが、初代は相当幅の広い役者だったのだろう。
櫓のお七
福助丈のお七、人形振りがイマイチ。そこまで不自然な遣い方をする人形遣いは文楽にはいないぞよ。文楽の真似ではなく「歌舞伎の人形振り」ということなのかと思い直して見てみたが、やっぱり、踊りを見ている楽しさに欠けていた気が。以前観た藤十郎丈の人形振りは良かったな。さすが、文雀師匠のお友達だけのことはある。
何故、八百屋お七とお土砂が一緒に上演されているのかと思ったが、日本古典文学大系の「浄瑠璃集 上」をパラパラとめくってみると、 紀海音の「八百屋お七」には既に紅長が出てくる。筋書によれば、黙阿弥が「其往昔恋江戸染(そのむかしこいのえどぞめ)」(1809年3月、江戸森田座初演)の「吉祥院の場」と文楽、歌舞伎で人気があった「伊達娘恋緋鹿子」の「火の見櫓の場」をつなぎ合わせて、安政3年(1856)、江戸市村座で初演した、とある。お七吉三郎という主題は浮世絵にもよくあるようなのだし、二人を登場人物にした歌舞伎作品や浄瑠璃もいくつもある。お七吉三郎の話がどのように変遷していったのかを調べてみるのも面白いかも。