宝生能楽堂 銕仙会定期公演
銕仙会定期公演 10月9日(金)6時 於 宝生能楽堂
能 鳥追舟大返 TORIOIBUNE
狂言 子盗人 KONUSUBITO
能 邯鄲 KANTAN
http://www.jade.dti.ne.jp/~tessen/
銕仙会のWebをチェックしたら大槻文蔵師の公演があったので、コレハコレハとはせ参じた。しかし、やはり6:00pm開演in水道橋に間に合おうというのは若干無謀だった。反省。
鳥追舟(とりおいぶね) 大返
ほとんどこのままTVの時代劇に出来るのではと思うような作品。シテのみならず、子方、ワキそれぞれの事情があり、見せ場があり、なかなか興味深かった。作者不詳ということだが、これを作った人は浄瑠璃を良く知っている人な気がする。親子&主従という主題や、ところどころの詞章の言葉選びが何となく浄瑠璃的。
所は、九州薩摩の日暮の里というところで、領主の日暮殿(宝生閑師)は訴訟のため十年以上都に行ったまま。
そのため、日暮殿の北ノ方(大槻文蔵師)と子供の花若(小早川康充くん)は、家臣の左近尉(宝生欣也師)の扶持を受けながら生活している状態。
ある日、左近尉は、田の面にいる鳥を追い出すために、この地方の名物の鳥追舟を出し、花若に鳥追いをさせようと思い付き、日暮殿の北ノ方のところに頼みに行く。以前観た狂言の「狐塚」では、鳴子で鳥追いを頼まれた太郎冠者が「鳥追いは子供の仕事だ」と反論するところがあるが、そういう理由で花若に鳥追いをさせることを思いついたのだろうか。宝生欣哉師といえば、先日「盛久」を観たとき、欣也師の心優しい土屋殿を観て感動したけど、今回の左近尉はかなりセコい奴。ちゃんと役作りしていて面白い。
文蔵師の日暮殿の北ノ方は、若々しいママという感じで、納戸色と金の段替に秋草の唐折着流しのシックな装束。突然屋敷を訪れた左近尉から「花若殿御出あつて鳥を追うて御遊び候へ」と、ごくごく丁寧な言葉遣いな割にはとんでもないことを言われ動揺するが、左近尉から鳥追いをしないなら出ていけと言われ、仕方なく北ノ方と花若で鳥追い舟を出すことになり、中入りとなる。
そうこうするうち、場面が転換して、宝生閑師の日暮殿が訴訟に勝利して、都から連れてきた供人(深田博治師)と一緒に故郷の日暮の里近くまで帰って来る。日暮殿は、この辺りでは鳥追舟が見ものなので見物しようと提案する。
一方、花若と北ノ方は鳴子と羯鼓を飾った作り物の舟に乗って鳥追いをしながら、花若の果報の拙さを嘆く。北ノ方は、萌葱の水衣を着てちょうど隅田川のシテのように女笠を被っている。足下に見える縫箔は萌葱地に金色の稲穂が風に靡いた様子が一面に描かれており、紫か茶で鳴子も描かれていている。まるで琳派の絵を見るようで素敵。けれども、面の表情は照明の当たり具合からか悲し気。花若は前場は稚児袴だったけれども、舟の上では大口袴になっていた。
この様子を偶然見つけた日暮殿は花若が自分の子供で花若の母が自分の北ノ方であることを突き止める。事の成り行きに大いに驚いた日暮殿は、左近尉を切りつけようとする。しかし、北ノ方は「唯久々に捨ておきたる花若が父の咎ぞよ」と指摘し、左近尉を許すように懇願する。そこで、日暮殿は左近尉を許すこととし、めでたしめでたしで一家揃って家路へと向かうのでした。
最後、花若と北ノ方が橋掛リから幕に入る際、日暮殿が一人舞台に残り、多分ユウケンと呼ばれる扇を使った喜びを表す所作をした。私はその所作を見ながら心の中で「喜んでる場合じゃないかもよ。10年間も音信不通にしてほったらかしにしてなのなら、これから家では針の筵だったりして!」と、現代人の英知をもって日暮殿にこっそり忠告してあげたのでした。
ところで、今回の「鳥追舟」は「大返」という小書が付いているのだが、どのあたりが「大返」なのかはよく分からなかった。以前「融」を観たとき「舞返」という小書が付いていてそれは囃子が三段増えるというものだったので、「大返」というのも段が常のものより増えるというようなことかな?
狂言 子盗人(こぬすびと)
博奕打(石田幸雄師)が博打のし過ぎで立ちゆかなくなり、とうとうある家に盗みに入ろうと決心する。家の裏手に回るとあっさり忍び入ることができたのだが、そこのお座敷で見つけたのは、ぐっすり眠った赤ちゃん。赤ちゃん好きの博奕打はすっかり可愛い赤ちゃんに魅了され、あやしはじめるが…というお話。
以前、野村万作師がシテを演じたのを拝見したはずが、ほぼ全編にわたって気を失ってしまい、赤ん坊の人形を万作師があやしていたこと以外は全く思い出せなかった。計らずしも、同じ和泉流の野村家の役者さんでリベンジ。
赤ちゃんを見つけた博奕打が自分のことを「おじ」というのにちょっと感動。多分、網野善彦氏の本のどれかで読んだのだと思うけど、昔は「叔父」「伯父」「小父」という言葉は全て区別無く同じ共同体(村など)に住む父親や祖父以外の大人の男性は全て「おじ」と言ったのではないか、という話を読んだので、その例を見つけたと思ったから(「おば」も同様)。という訳で、ここで博奕打が「おじ」といったのは、同じ地域に住んでいるおじさんぐらいの意味で言っているのだと思う。
それから、赤ちゃんのあやし方も興味深かった。最初、だっこして「しおのめ」をしてごらん、というのだが、結局、「しおのめ」とは何なのじゃ?それから「かむりかむり」というものもあって、これは、ただ単に頭を振るというもの。「いないいないばあ」は、ひょっとすると「かむりかむり」の進化系?
邯鄲(かんたん)
邯鄲を観るのは二度目。シテの鵜飼久師に関しては、観ている時は、「誰だったっけ?」と思いながら観ていたのだが、後から、以前、長山桂三師の「道成寺」の時に仕舞をされた女性であることを思い出し、心底びっくりした。ちょっと声が高くて背が小さめの男性の能楽師かと思ってた。今までの数少ない女性能楽師を観た経験から、何となく女性能楽師と男性能楽師は別物で別の尺度で観る方がよさそうな気がしていたのだけど、鵜飼久師に限っては、そんなことはちっともなかった。
以前観た「邯鄲」は、角寛次朗師のもので、廬生はインテリっぽくて繊細でちょっと神経質そうな感じだったけど、久師の廬生は、もうちょっとさばさばしていて何事も突き詰めて考えないと気が済まないこだわり派の青年という感じ。邯鄲枕の両端にストッパーのような突起があったのも、さすがさりげないこだわり派の廬生クンという感じ(もちろん、邯鄲枕は本来宿の備品なんですが)。
それから、寛次朗師の廬生は最後、目が覚めた時に枕を観て「ああ、これか…!」という表情をしたのが目にも鮮やかに残ってて印象的だった(私にとっては、能面が傾け方によって思いも寄らない表情をみせるということを知った一瞬だった)。一方の久師の廬生は、目が覚めても特に枕を見たりせず、頭がグルグルしたままぼーっと座り込んでいるような感じで、この大事な一瞬は色々演じ方があることが分かり、興味深かった。
ところで、過去の寛次朗師の時の感想を読んだら、「仏門も願わずと言っておきながら袈裟をかけている」という主旨のことを書いていた。これは今回、全く同じことを思ったので、2年前から全く進歩のない自分がちょっぴり情けなかった。未だに私にとっては分からないことだらけの能楽です。
<番組>
能 鳥追舟大返 TORIOIBUNE
シテ 日暮殿北ノ方 大槻 文藏
子方 花若 小早川康充
ワキ 日暮殿 宝生 閑
〃 左近尉 宝生 欣哉
アイ 日暮殿ノ供人 深田 博治
笛 一噌 仙幸
小鼓 大倉源次郎
大鼓 亀井 忠雄
安藤 貴康 鵜澤 郁雄
谷本 健吾 若松 健史
地謡 浅見 慈一 浅見 真州
泉 雅一郎 阿部 信之
後見 野村 四郎、北浪 昭雄
狂言 子盗人 KONUSUBITO
シテ 博奕打 石田 幸雄
アド 乳母 月崎 晴夫
小アド 何某 深田 博治
能 邯鄲 KANTAN
シテ 廬生 鵜澤 久
子方 舞童 後藤 眞琴
ワキ 勅使 殿田 謙吉
ワキツレ 輿舁 宝生 欣哉
〃 〃 御厨 誠吾
〃 大臣 大日方 寛
〃 〃 野口 能弘
〃 〃 梅村 昌功
アイ 宿ノ女主 高野 和憲
笛 藤田六郎兵衛
小鼓 幸 正昭
大鼓 佃 良勝
太鼓 観世 元伯
観世 淳夫 西村 高夫
長山 桂三 浅井 文義
地謡 馬野 正基 山本 順之
小早川 修 清水 寛二
後見 観世銕之丞、永島 忠侈