横浜能楽堂 企画公演「英雄伝説 義経」 正尊

第2回「頼朝の追及に見事!逆襲」
  平成21年10月12日(月・祝) 14:00開演 13:00開場
解説 三宅晶子
琵琶・語り 上原まり
能「正尊」(金剛流
http://www.yaf.or.jp/nohgaku/

解説 三宅 晶子

三宅先生のお話でおもしろかったのは、義経記の構成について。

実は、「平家物語」と「義経記」はほとんど被っておらず唯一、正尊(土佐坊正敏)の話だけが被っているのだという。岩波文庫の「平家物語」では巻十二の「土佐坊被斬」、同じく岩波文庫の「義経記」では「四、土佐坊義経の討手に上る事」が正尊のお話に当たる。どおりで!義経記を読んでいると、義経が活躍するところは本当に少なくて、苦労を重ねた幼少期を経て兄頼朝と涙の面会、と思いきや、すぐに何故か追われる身となっている義経で、大体、落人になっている義経の話が半分以上を占めているくらいなのだ。想像するに、「平家物語」に書かれていない時代の義経を知りたいという読者ニーズを汲み取って、日本人好みの敗者の美学という味付けで料理して、大ベストセラーになったのが、「義経記」だったのかも。

実は、現在、義経記を読んでいる途中なのだけど、もうとっくに読み終わる筈が、なかなか手を着けられず。今は、静が鎌倉に連行された後、義経との子供が殺され、さらに頼朝の臣下達が静の舞が観たいと頼朝にリクエストしているところです。

それから、もう一つ、興味深かったのは、起請文のこと。正式には七枚書くとか、牛王宝印の裏に書かなければならないとか、色々とお作法があるらしい。また起請文の文面も難しく正尊のように自分で書ける人というのは限られていたとか。それから先生が忠臣蔵では表に書いているといっていたが、忠臣蔵に出てくる起請文って何だろう。血判状のことだろうか。


「正尊」は、「平家物語」および「義経記」、それから幸若舞の「堀川夜討」が元になっているという(幸若舞の「堀川夜討」とお能の「正尊」のどっちが先かは不明なのだとか)。「正尊」のシテは流儀によって弁慶だったり正尊だったりするとか。金剛流は弁慶がシテ。また、三読物というのがあって、「安宅」(勧進帳)、「木曽」(願文)、「正尊」(起請文)がそれに当たるのだとそうだ。


琵琶、語り(『平家物語』巻十二より)上原まり

前回は浄瑠璃っぽいと思ったのだが、今回はずいぶんと感じがちがった。

前回は元々語りものでない「義経記」を語ったのでちょっと変わった感じになったが、今回は覚一系という語り物系の「平家物語」なので、いわゆる平曲らしい。ぜんぜん違うことを承知でいうと、今回は、詩吟と講談を合わせたような感じだった。今回も大変おもしろかった。

普段、あまり琵琶を聞く機会というのは無いけど、こういう機会があるのはうれしい。ふと気になったことがあって、詞章と詞章の合間に「ソ♯ファ♭ラ」という様なあいの手が入るのだけど、これが気になるのだ。よく聞くメロディなのだけど、琵琶法師の時代からあるのだろうか。
西洋音楽では、基本的にオリジナリティを重視するので(過去の偉大な作家のオマージュ的に有名なフレーズをさりげなく使ったりすることもあるけど)、同じメロディを使い回すということはありえない。一方、日本の伝統音楽では、使い回しが沢山ある。

以前は、「日本の音楽は、何故、新しくより良いメロディを追求する方向に進化しなかったのだろう」と不思議だったけど、今はその使い回しが考古学における骨とかお茶碗の欠片みたいに、脈々と連なる音楽の歴史を探るヒントみたいに思えて、なかなか興味深いのだ。


正尊 金剛流

金剛流の謡は、他の流派より音程が低い気がする。バスの歌声(謡声?)という感じなのだ。たまたまかしらん?前々日の綾鼓でもそうだったし、と思って番組を見比べたら、かなりの方々が国立能楽堂とこちらの横浜能楽堂の両方に出ていた。京都からご苦労様です!

金剛流宗家の金剛永謹師は弁慶にぴったり。弁慶役者という言葉が能楽界にあるかどうか知らないけど、もしあるとすれば、きっと梅若玄祥師と共に能楽界で、一、二を争う弁慶役者なんじゃないでしょうか。

「正尊」は、全員直面(!)だし、舞台上の人数も多いし、いつも観る能と風景が違っていて、面白かった。

<番組>

シテ(武蔵坊弁慶)金剛永謹、ツレ(土佐坊正尊)豊嶋三千春、
ツレ(源義経)金剛龍謹 ツレ(姉和の光景)廣田幸稔
ツレ(立衆)元吉正巳、工藤寛、遠藤勝實、熊谷伸一、
子方(静御前)山根あおい、アイ(婢)石田幸雄
笛:竹市学、小鼓:鵜澤洋太郎、大鼓:國川純、太鼓:観世元伯
後見:豊嶋訓三、片山峯秀、豊嶋幸洋
地謡今井清隆、宇障汳ハ成、田中敏文、山田純夫、坂本立津朗、
地謡:見越文夫、榎本健、田村修