国立能楽堂 普及公演 杭か人か 野守

解説・能楽あんない 能の鬼・世阿弥の鬼  増田正造(武蔵野大学名誉教授)
狂言 杭か人か(くいかひとか) 野村祐丞(和泉流
能  野守(のもり)白頭(はくとう) 小倉敏克(宝生流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2511.html

「寅」年に因んで「野守」。詞章に「寅」という言葉が出てきます。スカッとする、なかなか面白い曲だった。


解説・能楽あんない 能の鬼・世阿弥の鬼  増田正造(武蔵野大学名誉教授)

興味深かったのは、フランス人の著名な映画監督が日本の能楽の映像を海外に紹介しようとしたとき、「野守」が一番良いといったのだというお話。私も一瞬、その選択が意外な気がした。しかし、考えてみれば、お能の演目は日本文化の背景知識が無いとその意味がわかりにくいものがほとんどだ。その点、「野守」は詞章に含まれる情報だけでかなり理解できるという点が受けたのではないだろうか。また、後シテは彼らの日本趣味を満足させるもののように思える。


狂言 杭か人か(くいかひとか) 野村祐丞(和泉流

出かけようとする主人に留守番を言いつけられた太郎冠者。しかし、主人は太郎冠者がいつも主人の居ぬ間にさぼっていることはとっくにお見通し。今回は出かけるフリをして物陰に隠れ、尻尾を掴もうとする。一方、太郎冠者は今回は殊勝にもきちんと留守番の役を果たそうとするものの、その行動があだとなり…というお話。

途中、太郎冠者がごろっと横になって謡を謡うのだが、それは三井寺からの一節だそう。謡が上手くて聞きほれていたが、全然、気がつかなかった。意外に教養のある太郎冠者なのでした。


能  野守(のもり)白頭(はくとう) 小倉敏克(宝生流


出羽羽黒山の山伏(江崎金治郎師)は、大峯葛城に向かう途中、春日の里の飛火で由緒ありげな池を見つける。そこで、誰かに尋ねたいと思っていると、橋掛リから野守(小倉敏克師)が現れる。山伏が野守に池の由緒を尋ねると、野守は、自分達のような野守を映す鏡だから「野守の鏡」というが、真の「野守の鏡」は、昔、鬼神が持っていた鏡のことだという。

さらに詳細を語って聞かせようという野守に、山伏が、「さらば御物語候へ」と頼む。すると、野守の翁は舞台中央に立膝で座り、野守鏡の由来について山伏に説明を始める。昔、狩人(かりびと)が狩をしている際、鷹が行方不明になってしまった。いくら探しても見つからないので、野守の翁に尋ねてみると、翁は、この水の底にいるおいう。狩人が水の底を見てみると、水底にあるように見えて実は木居(こい)にあったのだった。「あるよと見えて白斑(しらふ)の鷹」というところからは地謡の上歌で囃子が入る。

そして山伏が「真(まこと)の野守の鏡見せ給へ」というと、野守は驚いて「鬼神の鏡なれば如何にして見すべき」と答える。さらに、「真の鏡を見ん事は叶うまじろの鷹を見し」といいながら、立ち上がってワキ座にいる山伏の方に歩んでいくと、振り返って橋掛リの方に向かい、常座でくるっと一回転し、「鷹の影の映った水鏡の方をご覧なさいまし」と言い残し、塚に入って消えてしまうのだった。…といっても、「白頭」の小書付きなので、小書無しの時は出てくるという塚の作り物は出ず、橋掛リを歩いて中入りをするのでした。


その間、所の者(吉住講師)が現れ、前シテと全く同じような内容の話をする。そして、所の者は、その野守の老人は鬼神が現れたのかもしれないので、しばらく逗留して有難いお経を読誦すれば、真の野守の鏡を見られるかもしれないと言って去る。


そこで山伏(とそのツレ)は、塚の前(橋掛リの一ノ松)に行って手を合わせ、日頃の修行の功徳を頼りに祈祷を行おうと言う。そして、山伏達が片膝を付いて数珠を揉んで祈祷を行っていると、太鼓が入って出端の囃子が始まり、どうも鬼神が出てきそうな雰囲気。早速、山伏はスタンバって、ワキ座に戻って鬼神の出を待つ。幕が上がると、法味に引かれて鬼神が現れて一の松のところまで来て鏡を見る。鬼神は、面は髯べしみに唐冠に小書通りの白頭。装束は白地に金の繊細な刺繍の入った法被、紺地に金の菱つなぎ文様と唐花(?)の半切という出立。白と紺と金という取り合わせで霊験あらたかな感じ。山伏はその様子を見て、「恐ろしや打火輝く鏡の面に、映る鬼神の眼の光、面をむくべきやうぞなき」と呟く。これを聞いた鬼神は、きびすを返して後向きになって幕の方を見ながら「恐れ給はば帰らん」と塚に入ろうとすると、山伏が急いで呼び止める。鬼神は正面を向き足拍子を踏む。山伏は引き続き、数珠を揉んで祈祷を行うと、鬼神は更に近づいて舞台に入り、働になって舞う。

舞は、「映す」という詞章のところでは鏡を見、「天を映す」というところでは、舞台正面先でお盆を持つように天を映す型をし、「大地をかがみ見れば」のところでは、片膝を付く。さらに、「罪の軽重、罪人の呵責」のところで、くるっと回ってひざまずき、「打つや鉄杖の数々」と扇で打ち、「明鏡の宝なれ」というと、山伏に鏡を手渡して見せ、「すはや地獄に帰るぞ」というと、一ノ松に戻り、「大地をかつぱと踏み鳴らし」で足拍子をし、「奈落の底にぞ、入りにける」で、一度山伏を後姿で振り返ると、膝をついて、奈落の底に消えてしまったのでした。


鬼神は色々もったいぶっていたけど、本当はご自慢の「真の野守の鏡」を誰かに見てもらいたかったのだったりして。ちょっと可愛い一面のある鬼神なのでした。


ちなみにどこに寅が出てくるかというと、冒頭のワキの道行の謡に「子に伏し寅に起き馴れし床の眠りも今更に、仮寝の月の影とともに、西へ行方か…」(子の刻[午後十二時頃]に寝て寅の刻[午前四時]に起きるという生活に馴れて、今更家の床に寝たいという気持ちも起こらず、野宿での仮寝で済ませて、月と共に西に行きます…)という句がありました。

<面>
前シテ:三光尉
後シテ:髯べし見

<装束>
前シテ:尉髪、茶の水衣、納戸色の着付
後シテ:白頭、唐冠、白地に金の繊細な刺繍の入った法被、紺地に金の菱つなぎ文様と唐花(?)の半切<<*