国立能楽堂 特別展「細見コレクション―琳派にみる能―」

国立能楽堂 特別展「細見コレクション―琳派にみる能―」

財団法人細見美術財団の協力により、大阪の実業家、細見家三代が収集した「細見コレクション」の中から、俵屋宗達尾形光琳らの流れを汲む琳派作品に反映した能の意匠を紹介する。
平成21年12月23日(水・祝)〜平成22年2月21日(日)
http://www.ntj.jac.go.jp/exhibition/index.html#nnt

かなり前から楽しみにしていた展示で、展示が始まってからは能楽堂に行く度にうっとりしている。現在は後期展示。2月21日迄なので、あと三回は見られるかしらん。


宇治橋図団扇 尾形光琳

琳派に見る能」という展示で光琳の作品を出さなかったら化けて出てくるんじゃないだろうか。彼はそのくらい能が好きだったはず。しかも、化けて出るなら喜々としてお気に入りの能装束に身を包んで一声(能で主に幽霊である主人公が出てくる時の出囃子)と共にで出てくるに違いない。光琳くん、もし化けて出ることがあったら私も色々聞いてみたいコトがあるので、ぜひ私のところにも寄ってね。

団扇の構図は右上から左下に橋が掛かり、右中央は流れる川の水が二つのゆったりとした渦を作っている。光琳らしいさらっとした筆さばき。右中程に川の水の渦を描くことで、橋の右上から左下の対角線と対角線の下と上の重心のバランスを取っているのは、水墨画を学んだ影響なのだろうか。この宇治橋の図は志野茶碗の橋姫を思い出させるようなイコンとしての宇治橋で、源氏物語の宇治十帖や橋姫伝説等を暗示しているのだろう。類似の構図の桃山風の団扇を白洲正子展で見たことがあるので、昔からある団扇の画題の一つなのかもしれない。

私自身は能狂言宇治橋に関係するものは、先日見た狂言小舞の「通円」(宇治橋付近にあるお茶屋さんの名前。「頼政」というお能のパロディになっている)ぐらいであまり縁がない。けれども他に、「浮舟」(源氏物語の宇治十帖の浮舟が主人公らしい)、「頼政」(平家物語に取材した曲で源氏ながら平家に仕えた頼政以仁王を立ててクーデタを起こし、平等院で自害するというお話)等があるそう。


月梅下絵和歌書扇面(本阿弥光悦書、俵屋宗達下絵、紙本墨書、金銀泥下絵)

扇面の下絵は、右上から左下に曲線で区切り、右下に銀泥、左上に金泥を一面に塗っている。さらに右下の銀泥には朧な月が浮かび、垂らし込みによる梅の枝に白梅が咲く。光悦による詞書は光悦が好きな新古今和歌集より「曇れかしながむるからに悲しきは 月におぼゆる人のおもかげ」(どうか雲よ月を隠しておくれ。月夜を見ていると物思いに耽って昔の恋人の面影を見てしまうから)という八条院高倉の代表作。

下絵を月梅図にしたのは、おそらくこの歌が踏まえているであろう伊勢物語在原業平の下記の歌(梅の花ざかりに前の年の春の二条后との恋を思い出し涙するという歌)を暗示しているのでしょう。

又の年のむ月に、梅の花ざかりに、去年を恋ひて、行きて、立ちて見、居て見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に月のかたぶくまでふせりて、去年を思ひいでてよめる、

 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

とよみて、夜のほのぼのとあくるに、泣く泣く帰りにけり。

講談社教養文庫伊勢物語」第四段

この月梅下絵和歌扇面と関連のある曲は何だろう?楽人だった亡き夫を妻が雅楽「越天楽に歌詞をつけた「越天楽 今様」の「梅枝」を歌い弔うという「梅枝」だろうか。また、広く捉えて在原業平の二条后との恋と考えれば「雲林院」等があるかも。


俊寛図(岩佐又兵衛

平家物語に取材した「俊寛」図。俊寛が一人配流先の鬼界ヶ島に取り残され足をバタバタさせながら泣き叫び、赦免船(御座船)は鬼界ヶ島の海岸を離れ去っていこうとしているところ。文楽や歌舞伎だったら

思い切っても凡夫心、岸の高見に駆け上り、爪立て打ち招き、浜の真砂に伏し転び。焦がれても叫びても、哀れ訪らふ人とても、鳴く音は鴎天津雁、誘ふは己が友千鳥、一人を捨てゝ沖津波、幾重の袖や濡らすらん。

となるところ。

お能の「俊寛」はまだ観たことがないけど、詞章を読むと「力及ばず俊寛は。もとの渚にひれふして。松浦佐用姫も。我が身にはよも増さじと。声も惜まず泣き居たり。」と、浄瑠璃よりは上品な印象。この足摺して泣き叫ぶ又兵衛の俊寛図は、どちらかというと平家物語の原典に近い様子。こんな感じ↓

僧都俊寛)せん方なさに、渚にあがりたふれ臥し、をさなき者の、乳母や母なンどを慕ふやうに足摺をして、「是乗せてゆけ、具してゆけ」と、をめきさけべ共、漕行く舟の習にて、跡は白波ばかり也

岩波文庫平家物語 巻第三 足摺」


四条河原図巻

四条河原で行われる能、狂言、歌舞伎の様子を描いたもの。興味深いのは、女歌舞伎の様子を描いていて、「松風村雨」を演じている様子が描かれているというのだ。確かに舞台上に汐汲の田子があり、二人の女性がいる。今現在伝わっている歌舞伎舞踊の「汐汲」は、女歌舞伎よりずっと後の作品だし、女歌舞伎から伝承されている演目があるのかどうかは私は不勉強で分からないけれども、それにしても昔からこの松風村雨姉妹の伝説というのは人気があったのだろう。囃子方は、小鼓(?)に三味線。能、狂言、歌舞伎の中で三味線があるのは、歌舞伎だけ。こう考えると、歌舞伎では早くから旋律のある音楽が大きな役割を果たしていたんだろうなと思う。

他に、若衆歌舞伎の様子が面白い。若い前髪の少年が三人ずつ二手に別れて踊っているのだ。まさに江戸時代のジャニーズ。とはいえ、観客は今のジャニーズとは違い大人ばかり。しかも人数的には男性の方が多い。尼さんも二人ほどいるのだけど、尼さんが若衆歌舞伎を見に行くんかいな。まあ、瀬戸内寂聴さんだって、たまに歌舞伎座でお見かけするか。人の顔を覚えるのが大の苦手な私が自力で判別できる数少ない有名人の一人が寂聴さん。