国立能楽堂 普及公演 千切木 浮舟

解説・能楽あんない なげきわび―入水する女たち―  久冨木原玲(愛知県立大学教授)
狂言 千切木(ちぎりき) 茂山千五郎大蔵流
能  浮舟(うきふね) 関根祥人(観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2517.html

解説・能楽あんない なげきわび―入水する女たち―  久冨木原玲(愛知県立大学教授)

興味深いお話だった。

久冨木先生によれば、昔は二人の男性に好かれた女性は水に身投げするのが相場だったそう。例えば、お能の「求塚」の元となった万葉集の菟原処女(うないおとめ)の話、同じ万葉集葛飾の真間手児奈の話、それからお能の「采女」の元となった猿沢の池に身投げした采女等々。

今まで浮舟の顛末についてそれほど斬新な印象は持っていなかったけど、源氏物語が書かれた時代の常識から考えると、相当斬新で劇的な身の振り方だったのかも。入水してしかも助かって出家し、さらには薫大将が彼女を探して小野に尋ねてきても、もう心を動かさなかった。源氏物語に登場する他の多くの女性達が宿世に身を任せているのと比べると、源氏物語のなかで自分で新しい生き方を見つけその道を歩んだのは彼女のみといってもいいような気もする。

また、「なげきわび」という言葉は「思いつめて思いあまった女の苦しみを象徴しており、源氏物語の中では六条御息所の歌(なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま)と浮舟の歌(なげきわび身をば棄つとも亡き影にうき名流さむことをこそ思へ)しかないという。 


狂言 千切木(ちぎりき) 茂山千五郎大蔵流

何某(茂山七五三師)は連歌の会を催すので太郎冠者(茂山千三郎師)にご近所に声を掛けてくるよう言いつけるが、何かとやかましい太郎(茂山千五郎師)には声を掛けないよう念を押す。しかし、その甲斐もなく噂を聞きつけ連歌の会にやってきてしまう太郎。またしもやかましく言い立てる太郎を人々は打擲する。その噂を聞きつけた太郎の嫁(茂山あきら師)は千切木を持って威勢よく駆けつけ、太郎に仕返しに行こうと言い出すが…というお話。


本筋と全然関係ないけど、今まで観た狂言では連歌の会の話題は出てきたが連歌の会の様子というのは初めてなので興味津々。連歌を始めるときに誰が発句を作るかを譲り合う場面があって、結局、最初に一句できた人のものを発句にしようということになり皆で呻吟する。この場面、発句候補の句ぐらい皆、事前に準備しとけば?等と思ってしまった。それとも発句でさえも即興性が大事なのかしらん。それから、太郎が集まった人に掛け軸について問いただす場面があったけど、まるで茶道みたい。他にも細々とした式目(ルール)があるらしい。そんなルールを守りながら歌が作れるのだから、お能なんかも分かって当然だったんだろう。昔の人はすごい。



能  浮舟(うきふね) 関根祥人(観世流

こういう曲を素敵というのは的外れかもしれないけれど、関根祥人師の浮舟が美しく繊細な感じで、短調ショパンピアノ曲みたいな感じだった。印象的だったのは、面と後シテの立姿。面は前場では割に若く見える曲見で、後場では憔悴した感じの十寸髪だった。この二つの面は似ているので、後場で浮舟が出てきた時、十寸髪の面と左側だけ一筋垂らした髪で、苦悩を一層深めた浮舟で登場したという感じが印象的だった。その後シテは、カケリの部分以外はそれ程動きがないのだけど、足は常に膝を矯めて手は常に握りこぶしをぐっと握っていて、執心の強さが迫ってくる感じだった。


諸国一見の僧(福王茂十郎師)が初瀬から宇治の里に着くと、浅葱の水衣に深緑地に観世水の文様の唐織着流に曲見の面の里の女が現れる。僧が宇治にかつてどのような人が住んでいたのか尋ねると、女は、賤しい身なのでよくは知らないが、浮舟が住んでいたと答える。僧はその言葉を聞くと、源氏物語の話であれば、源氏物語の言葉も添えて聞きたいくらいなのですから、すっかり話して下さいと頼む。すると、里の女は、小島が崎を見渡したあたりの夕暮れの風景について語りだす。「川より遠(おち)の夕煙立つ川風に行く雲の」で常座から前に進み出てきて、「山は鏡をかけまくも」で橋掛リの方を見る。僧が「なほなほ浮舟の御事委しく語り候へ」というと、里の女は舞台中央に出てきて座り、扇を出す。女は兵部卿の歌と薫中将の歌をそれぞれ引きながら、二人の間で浮舟は思い侘び跡をくらましてしまったことを話す。

僧が里の女にどこに住む人なのか尋ねると、女は少しにじり出て「小野の者」といい、「隠れはあらじ大比叡の、杉の標はなけれども、横川の水のすむ方を、比叡坂と尋ね給ふべし」というと、「法力を頼み給ひつつ」で立ち上がり、物怪に取り付かれていることを告げると、「浮き立つ雲の跡もなく行く方知らずなりけり」で常座でくるっと回り、橋掛リを憔悴した様子でゆっくり歩いて行くのだった。


狂言では、所の者(茂山正邦師)がやって来る。僧は所の者にも浮舟のことを尋ねると、大体、源氏物語の浮舟のエピソードのダイジェストのようなことを語る。僧が今起こったことを話すと、所の者は僧に小野へ行って弔うよう勧める。


後場では、小野に来た僧が読経をしていると、浮舟が思い詰めた様子で宇治川に身投げする時のことを謡いつつ橋掛リを歩いて来る。面は十寸髪で髪を左側だけ一筋垂らし、クリーム色地(?)の唐織に牡丹の花のような草花の文様で裳着胴姿。「心も空になりはてて」の後から<カケリ>となり、「浅ましや浅ましやな」で足拍子を踏み、囃子も入って緊迫感のあるカケリ。浮舟は自分が観音の慈悲で助かったことを語ると僧に得稿を頼む。ここのも素敵だったように思うのだが、舞台に釘付けになってしまって結局具体的な舞の所作は全然思い出せず…。

そして「思いのままに執心晴れて、兜率に生まれる嬉しきと」と言うと消えてしまい、杉の嵐だけが残るのだった。


最後、何故兜率天に往生するかというと、パンフレットの村上湛氏の解説によれば「中世当時、長谷寺=兜卒浄土と考えられていたことが背景となっているのです」とのこと。なるほど、確かに入水したけれども、初瀬詣りの帰りに宇治で体調を崩した母尼を迎えに行った横川の僧都に発見され、このことを詞章では初瀬の観音の慈悲で助かったとしている。また、ワキの僧も冒頭で初瀬から宇治の里に来て前場の里の女に会い、さらに小野の浮舟のもとを訪れて回向するということになっていて、作者は明らかに浮舟と初瀬との縁を意識していることが分かる。そういえば、源氏物語は宇治十帖以前は初瀬詣といえばせいぜい玉鬘が行ったぐらいしかなかった気がするが(それを調べるために全部ひっくり返す気は毛頭なし)、宇治十帖に限って初瀬詣が何度も出て来る。まあ姫君達のいる宇治に行くには初瀬詣が一番良い設定というだけかもしれないけど。この「浮舟」の作者も何か初瀬か兜率浄土かに強い関心があってその縁をこの能の根底に流れるテーマにしたかったのかも。