国立能楽堂 定例公演 土筆 西行桜(その1)

狂言 土筆(つくづくし) 大藏吉次郎(大蔵流
能  西行桜(さいぎょうざくら) 片山幽雪(観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2526.html

狂言 土筆(つくづくし) 大藏吉次郎(大蔵流

都合により拝見できず。残念無念。


能  西行桜(さいぎょうざくら) 片山幽雪(観世流

とっても素敵なお能でした。西行と桜の精が二重写しとなり、様々な桜、月夜、鐘の音、曙、春の大気といったものを感じる、いつまでも観ていたい曲でした。片山優雪師と宝生閑師のお二人で観られて本当によかった。その代わり、一噌仙幸師が休演で藤田六郎兵衛師が代演。早く回復されると良いのですが。


まず、桜の木を象徴する作り物(引き回し幕の上に緑の葉と桜の花が挿してあるもの)が後見によって大小前に運ばれる。次にワキの西行(宝生閑師)とアイの西行庵の能力(山本東次郎師)が舞台に出てきて、西行はワキ座で床几に座る。西行は角帽子に水衣、白の大口。西行は能力を呼ぶと、子細があるため、「花見禁制とあひ触れ候へ」と言う。能力は不審に思いながらも、花見禁制の旨を告げる。

花見人(ワキツレ)が5人も(森常好師、宝生欣哉師、則久英志師、大日方寛師、殿田謙吉師)出て来る。二列で向い合って、次第「頃待ち得たる花見月、頃待ち得たる花見月、都の花ぞのどけき」を謡うと、常好師が、自分は上京辺に住む者であるが、そこかしこに花を眺めに行っているという。昨日は東山の地主の桜を見、今日は西行の庵室が花の盛りと聞いたので、同好の士を誘って西行の庵室へと急ぐのだ、という。

そして素敵な道行「百千鳥、囀(さえず)る春は物毎に、囀る春は物毎に、新(あらた)まり行く日数経て、頃も弥生の空なれや、やよ留まりて花の友、知らぬも押しなへて、誰も花なる心かな、誰も花なる心かな」を謡いながら、常好師だけが、正面方向に小さく行って帰って西行の庵室に着いた様子を示す。そして常好師が「それがし案内を申さうずるにて候」というのを合図に一同は一列になって橋掛リに行き、常好師が一ノ松のところに舞台方向を向いて立ち、それ以外の花見人達もその後ろに続く。

花見人は能力に案内を乞う。シテ柱のあたりに来た能力は一度は花見禁制と断る。しかし、再度花見人が頼むと、能力は、京都からはるばる来たのだからと西行にとりなそうと言う。

その時、西行はワキ座で床几に腰掛けたまま、サシ「それ春の華は上求(じょうぐ)本来の梢に現れ、秋の月は下化冥闇(げけめいあん)の水に宿る、誰か知る行く水に三伏の夏もなく、澗底(かんてい)の松の風、一声の秋を催す事、人間万事自づから、見仏聞法の結縁たり」を謡う。ここのところの閑師の謡は、一音一音、表情が変わり、まるで雲母や螺鈿を見るような、キラキラとした謡で感動してしまった。

その様子を見た能力は、よいタイミングと察して、都の人々が花見に来たことを告げる。西行はしぶしぶ「この山陰まで花見に来たりたる志を、いかで見せではあるべき、あの柴垣の戸を開いて内へ入れ申せ」という。能力はシテ柱のところに戻って「さらさらさら」と扇で戸を開ける所作をすると、花見人を中に招き入れる。

花見人が二人目付柱の近くまで来ると、西行と花見人の掛け合い、ついで地謡の上歌となる。西行は、ここまではるばる来られたのは返す返すも優しい心持ちだと存じますが、世捨て人には待っているわけでもない花の友が来るのは少し心外なのです、と言い、「花見にと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜のとがにはありける」という山家集の歌を詠う。その後、地謡が引き継いで「今宵は花の下(した)臥(ふ)して、夜と共に眺めあかさん」となるが、その間に、花見人達は最後尾から次々と切戸口に吸い込まれていなくなる。

それと同時に引き回し幕が外され、床几に座ったシテ(片山幽雪師)が現れて西行の歌を繰り返す。シテは皺尉(伝福来作)の面に、烏帽子、茶色の狩衣に、淡い萌黄の大口。皺尉は、白と砥粉を混ぜたような卵色をしていて、人間とは違う、上品な感じの面。狩衣と大口の色は普段見る能装束のようにきらびやかではなく、草木染めのように味わいのある色合い。ほんのり染むらか光の加減による陰影があり、水彩画のよう。桜の精なのに桜色は使われておらず、茶と淡い萌黄のたった二色だけれども、老木を表現することで見る者に桜の花を想像させるような素敵な装束なのでした。


西行は朽ちた空木(うつぎ)から白髪の老人が現れたことを不思議に思う。するとシテは、自分は夢中の翁であるが、今の詠歌「桜のとが」とは何かを尋ねるために出てきたのだという。西行は貴賎群集が厭わしい気持ちを少し詠じたのだと告白する。シテは、それこそ不審なのです。「浮世と見るも山と見るも、ただその人の心にあり、非情無心の草木の、花に浮世のとがはあらじ」という。ここの辺りで囃子も入って、印象的な場面となる。

西行は感じ入ってこれは道理と思い、シテに向かい、そのように尤もなことを仰るのあなたはひょっとして花木の精でしょうかと尋ねる。シテは花の精で本来は口を利かぬ草木だが、咎なき謂はれを聞いたので声をかけたのです、という。


シテの言葉を地謡が引き継ぎ「あたら桜の咎のなき由を」で老桜の精は立ち上がり作り物を出、「申し開く花の精にて候ふなり」でワキの方を向く。「およそ心なき草木も」で常座近くまで行き、「花実の折は忘れめや」で西行の方を見る。「草木国土皆 成仏の御法なるべし」で、西行は床几を降りて座ると老桜の精と西行は向かい合って合掌する。この辺りの二人の問答はどちらも素晴らしくて、わくわくするような問答だった。


老桜の精は、西行に感謝すると「鳥(とり)林下(りんか)に啼いて涙尽き難し」で舞台中央に出て、西行はワキ座に下が
る。この後は<クリ><サシ><クセ>と続き、桜の名所を次々と挙げて行く。

「初花を急ぐは近衛殿の桜」で西行の方に一歩近づく。地謡の「見渡せば、柳桜をこ交ぜて」で前を向き、「都は春の錦」で中正方向を向いて「爛漫たり」で足拍子。「千本の桜を植ゑ置きその色を、所の名に見する」で前に進み扇を持ってサシ、「千本の花盛り、雲路(うんろ)や雪に残るらん」で足拍子。「毘沙門堂の花盛り」で目付柱の方に行き、「四王天の栄華もこれにはいかで勝るべき」で舞台をゆっくりと一周する。「上なる黒谷下河原」で扇を前に出して、「むかし遍昭僧正の」で扇を開いて縦にかざして、「浮世を厭ひし華頂山(かちょうざん)」で扇を左右に向ける。

「鷲の御山(みやま)の花の色」で足拍子、「清水寺(せいすいじ)の地主の花」で後ろに行って、「松吹く風の音羽山」で常座で正面を向く。「ここはまた嵐山」で扇で前をさし、「戸無瀬に落つる、滝つ波までも」で扇を上から下ろし、「波までも」でくるっとまわり、「花の大堰川、井堰(いせき)に雪やかかるらん」で西行を見る。

すると太鼓が入り、老桜の精が「すはや数添う時の鼓」と謡い、地謡が「後夜の鐘の音、響きぞ添ふ」と続けると太鼓入の囃子となる。更に「名残り惜しの夜遊やな、惜しむべし惜しむべし、得難きは時、逢ひ難きは友なるべし、春宵一刻値千金、花に清香(せいきょう)月に陰」と素敵な詞章が続き、[太鼓序之舞]となる。六郎兵衛師の笛はかなりニュアンスを付けて吹いておられたように感じ、冒頭は微妙にシテの舞の呼吸と合っていないような気がしないでもなかったけど、さすが名人同士、途中からは絶妙の間合いで素晴らしい舞となったのでした。なんだか、舞っているのは老桜の精のようでもあり、花の好きな西行のようでもあり、老桜の精と西行が一体になったような気がするような舞だった。また、この序之舞は杖を使っていて、「杖舞」という小書のよう。

序之舞が終わると常座で扇を掲げて「(春の夜は)花の陰より、明け初めて」となり、地謡が「鐘をも待たぬ、別れこそあれ、別れこそあれ」と謡うと老桜の精は後ろに下がり、西行が床几から立って常座の方に行くと、「待て暫し待て暫し、夜はまだ深きぞ」と言う。最初、西行が早々と橋掛リに行ったように見えたので、西行、あれだけ桜が好きって言ってたのにもう帰っちゃうの?と思ったが、西行は去って行こうとする老桜の精に対して常座から「待て暫し」を言うために移動したようだ。「待て暫し」は詞章ではシテの台詞になっているが、実際には閑師が言った。西行がこの台詞を言うのはすごく納得。逆に本来は「別れこそあれ」とシテがワカで言っておきながら(←うそ。ワカではなくワカの後、地謡で歌われます。APR/6/10追記)「待て暫し」とシテが言うことになるが、これはどういう意味なのだろう?西行が帰ろうとしてそう言い掛けるのだろうか?

地謡の「白むは花の陰なり、外はまだ小倉の山陰に残る夜桜の」で老桜の精は座り、「陰に残る夜桜の、花の枕の」で袖を巻き上げ、「夢は覚めにけり」で立ち上がり、「嵐も雪も散り敷くや、花を踏んでは」で足拍子をし、「同じく惜しむ少年の、春の夜は明けにけりや」で作り物の中に入り座り込む。ワキは「翁さびて跡もなし」で常座で留拍子を踏む。