国立能楽堂 九皐会百周年記念特別公演 三山 関寺小町(その1)

観世九皐会百周年記念特別公演 先代二世観世喜之三十三回忌追善
能   三山  観世 喜正
狂言  泣尼  山本 東次郎
能   関寺小町 観世 喜之

関寺小町を観たくてお伺いしました。期待を裏切らず楽しい会でした。


三山 観世 喜正

以前、国立能楽堂の普及公演で「浮舟」を観た時、その解説で、萬葉集の昔には、二人の男性に好かれると入水自殺をするということになっていた(?)というお話を聞いたが、この三山は男性一人に女性二人なのに、そのうちのフラれた方の女性が入水してしまうというバリエーション。

パンフレットの表章先生の解説によれば、室町時代(寛正6年(1465))に四世観世太夫又三郎によって演じられた記録はあるものの、江戸初期には廃曲となったそうだ。その後、元禄3年11月に金春流の田中源之丞が舞ったのが最も早い記録で、その後源之丞の子が宝生に転じたことも関係してか、珍曲・稀曲好みの将軍綱吉対策で宝生流のレパートリーとなり、その後も宝生流でのみ演じられて来たのだという。そういえば、2009年3月に国立能楽堂定例公演で観た「三山」は宝生流でした。観世流では、昭和60年12月13日の銕仙会例会で、横道萬里雄先生の協力により観世銕之丞(静夫)で演じられたのが、観世流の最初の復曲上演なのだそうだ。



ヒシギが入ると、次第の囃子が始まり、ワキの良忍上人(森常好師)、ワキツレ(舘田善博師、森常太郎師)が橋掛リを歩いてくる。ワキは舞台に入るとワキ座近くに、ワキツレは脇正に平行にならび、次第「法の心も三の名の。法の心も三の名の。大和路いざや尋ねん」を謡う。続けて地謡によって地取が謡われると、その間にワキツレは下居し、良忍上人は正面を向き、名ノリをする。

それを受けて道行となり、ワキツレは再び立って良忍上人と向かい合い、共に道行を謡う。「住み馴れし大原の里を立ち出て。大原の里をうち過ぎて」まではワキツレのみが謡い、「猶行く末は深草山木幡の関をうち過ぎて」はワキ・ワキツレの連吟となる。「宇治の中宿井出の里。」で良忍上人は正面を向くと「過ぐればこれぞ足引の。」で良忍上人は前にすすみ、「大和の国に着きにけり」で後ろに数歩行ってまた正面を向いて、大和に着いた体となる。

ワキは三山は名所なので、この辺りの人に案内をお願いしようと言い、常座に歩いていく。その間にワキツレは地謡前に着座する。ワキは一ノ松のところに控えているアイの所の者に三山の名前の由来を教えて欲しいと頼む。すると、所の者は、「(橋掛リ方向を見て)北に見えたるは耳成山、(ワキ柱方向を見て)南に見えたるは香久山、(中正方向を見て)西に見えたるは畝傍山で、これが三山」だという。ワキは心静かにしばらく山を眺めることにする。

すると、幕の中から「いかにあれなる御僧」と声がかかり、前シテの里の女(観世喜正師)が出てくる。面は曲見風で、草花文様の紅白(金?)の段替の唐織着流姿。歩きながらこの三山の由来を詳しく知っている人は少ないでしょうと三ノ松の辺りで立ち止まり前置きすると、「総じてこの山は。萬葉集第一に出だされたる三山の一つなり」と言いながら、また歩き出す。「語るによりて妄執の。由ある昔の物語」、耳成山に沈んだ人の物語であると言うと二ノ松あたりで止まって正面を向き、「よくよく問わせ給へとよ」でワキの方を向く。

ワキ座にいるワキも呼応して、確かに萬葉集に香久山は夫、畝傍山耳成山は女でこの三山が争ったとありますが、その詳細について語って下さい、という。その間にシテは舞台に歩いていき、常座に立つ。

シテはワキ柱の辺りを見て「まず南に見えたるは香久山」と言い、中正方向を見て「西に見えたるは畝傍山」という。さらに橋掛リ方向を見ながら「この耳成山までは三つの山」といい、ワキの方を向いて、「一男二女の山ともいへり」という。

ワキが改めて何故香久山を夫と定めたのかを問うと、シテは香久山に住んでいた男が畝傍山耳成山の二つの里に住む女に二道かけて通ったからだ、と説明する。また、畝傍山の女は櫻子といい美しい女で、耳成山の女は桂子といい優しい女だったという。この辺りから囃子が入り地謡が引き継ぎ、「一つ世に二道かけて三山の」で一歩出た女はワキと見つめ合い、二度目の「二道かけ三山の」で正面を向く。「争ひかねて池水に捨てし桂の身のはてを」で小さく一周し、「弔ひ給へ上人よ」でワキの方を向いて一歩前に出る。

ワキが尚も三山の謂れを語るように言うと、シテは中央に出てきて、「そもそも大和の国三山の物語」で着座する。シテが語るには、かしはでの公成と契りを川下二人の女性の住家は畝傍山耳成山だという。そして二人の采女は花よ月よと争ったが、男の心が櫻子になびき、耳成山の桂子の所には訪れなくなり、桂子は恨みわびた。「忘れ忍ぶの軒の草 はやかれがれになりぬるぞや」というとワキの方を見つめる。

そして、「桂子思ふやう」で再度正面を向くと、どちらにしても二道をかけるような人は元々頼むことは出来ないのであって、いつか果てることだと思うべきだったのだ。その上、春は盛りの櫻子と花のない桂子では、春の無い桂子のことなど秋(飽き)となっても仕方ない、と自分に言い聞かせるように言う。寝ることも出来ずに夜半(よわ)を明かしては、春のものの長雨(物思い)が降る。夕暮に立ち出でて、入相もつくづくと「南は香久山や」で少し身を乗り出してワキ方向を見、「西は畝傍山に咲く櫻子の里見れば」で中正方向を見、「よそ目も華やかに羨ましくぞ思(おぼ)ゆる」でがっくりと座り込む。

シテは「生きてよも明日まで人のつらからじ この夕ぐれを限りぞと」でワキを見ると、「思ひ定めて」で立ち上がり、「耳成山の池水の淵に臨みて」で中正方向の下の方を見、「影うつる名も月の桂の緑の髪もさながらに」の「月」の辺りで少し上を見ると、脇正方向を見ながら数歩歩き、「池の玉藻の濡衣。身を投げ」の「身を投げ」で膝を矯めると身を投げる体で後ろ向きになり常座方向に行って正面に向き直り、「池水の底に」で数歩下がって「入にけり」で下居する。ここで笛が入り、里の女は橋掛リを去っていって中入りとなる。


狂言では、
所の者がワキの良忍上人の様子を見に来て未だ良忍上人がここに居るのを見つける。良忍上人が尋ねたいことがあると言うと、所の者は「心得申し候」と請け負うと、舞台中央に出てくる。良忍上人は、「先程女人が一人来て、櫻子桂子という二人の女がかしわでの公成を中に置いて争ったことを懇ろに語った。そしてそのまま姿を見失ってしまった。何か思し示し合わすことが無いか尋ねたい」という。所の者は、桂子櫻子のことが人の名であると初めて承ったという。さらに所の者が語るところによると、三山には様々な謂れがあるが、神代には草木の妻争いがあった。また、萬葉集第一の天智天皇の御製「香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき」(万葉集巻一、13番)というのがあり、畝傍山こそがいとおしけれと歌にある。香久山は男山で耳成山女山で二つの山は夫婦の契りを交わしたが、畝傍山女山で見目形が麗しいため、香久山は心を移して耳成山と夫婦(めおと)争いに及んだ。その他、木々にも心があるのだろうか、住吉では松が夫婦の契りを結んだといわれている。しかし、神代の時代のことなので、詳しくはよく分からない、と言う。そして、桂子の妄執を晴らし、仏果に至らすため、しばらくここに逗留して、回向をしてあげて欲しいという。ワキは同意する。

ちなみに、手元に「謡曲大観」の「三山」のページのコピーがあるのだけど、間狂言の内容は全然違うのだった。「謡曲大観」の間狂言の内容は、ほぼ前場と同内容で、引いている和歌も同じ天智天皇の御製でも「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香久山」の方なのだった。この「謡曲大観」の方の間狂言の出典は残念ながら今分からないのだけど、こちらにくらべると、今回の山本直重師のバージョンは中々面白かった。


後場では、まずワキ、ワキツレが待謡を謡うと、ヒシギが入り、一声の囃子となる。囃子は早いテンポになり、笛と共に肩脱ぎとなったツレの櫻子(長沼範夫師)が橋掛リに現れる。面は桂子より若い感じで髪を右側に一筋垂らしている。紅入の唐織着流しで白の縫箔、桜の枝を担いでいる。一ノ松のあたりに立つと、「なう上人、この耳成の山風に吹き誘われて来りたり」これこれ助けて給へ」という。そして、ワキの方を見ながら、自分は畝傍山に住む櫻子という女であるが、「因果の花につきたたる。嵐をのけてたび給へ」で常座まで進んでくる。

そこに、幕から後シテが出てきて「あらうらめしの櫻子や。又花の春になるよなう。忘れて年を経しものを。」と謡いながら橋掛リを歩いてくる。後シテは髪を右と左に一筋ずつ垂らしている。茶色地の唐織着流には宝尽くしの文様に青、紅、浅葱、金等の色が散らしてある。「見よかし顔に櫻子の。花のよそ目もねたましや」で二ノ松の辺りに来る。「光散る。月の桂も花ぞかし。たれ櫻子に」でツレは舞台中央に行き、「うつるらん」でシテはゆっくり橋掛リを更に歩いて行く。「争いかねて桂子が」で桂子は一ノ松のところでとまり、「恨みぞまさる。櫻子が」で櫻子を見る。櫻子は足拍子を踏み、桂子は幕の方を見ると、さ「などや桂を隔つらん」で囃子が入り、イロエとなる。櫻子がまず舞台を一周してくるっと回ると、桂子は舞台に来て憎々しげに足拍子をし、櫻子の方に向く。そして目付柱の方に行くと、櫻子の方に戻り、桂の枝で櫻子を叩き、櫻子の肩に手をかける。櫻子は下居してシオル。

ワキが思わず「いたわしや」というと、桂子は「あれ御覧ぜよ櫻子の。よそ目に余る花心(はなごころ)。理(ことわり)過ぐる景色かな」というと常座にさがる。櫻子は「もとより時ある春の花。策は僻事(ひがごと)なきものを」といいながら桂子を見る。

地謡の「また花のさくぞや」で桂子は腹立たしそうに足拍子をすると、「花のうはなり打たん」と目付柱付近で櫻子を打つ所作をする。「我も知れずねたさもねたしうはなりを。うち散らしうち散らす。」で桂子と櫻子の打ち合いとなり、桂子が膝をつく。「犬桜花に伏して吠え叫び悩み乱るる花心」で足拍子をし、「畝傍の病となりし。因果の焔の緋櫻子・さて懲りやさて懲りや」で櫻子はシオル。

「因果の報いはこれまでなり」で桂子は中正方向を向くと桂の枝を捨てると、「花の春一時(ひととき)の。恨みを晴れてすみやかに」で桂子は櫻子の後ろから肩に手をかけ、「月の桂子もろともに」で二人は和解すると、共に橋掛リを帰って行き、ワキは常座まであゆみ出て二人を見送るのだった。


他の演目は次の記事につづきます。