国立能楽堂 普及公演 蚊相撲 夕顔

解説・能楽あんない 夕顔の時間  三田村 雅子
狂言 蚊相撲(かずもう) 三宅右近和泉流
能  夕顔(ゆうがお)山端之出(やまのはので) 角当行雄(観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3222.html

解説・能楽あんない 夕顔の時間  三田村 雅子

三田村先生のお話で面白かったのは、まず、朝顔と夕顔の意味するものの違い。夕顔が貧しい家に咲いているという話は源氏物語の夕顔の巻の中でも源氏の随身の惟光が言っている。一方の朝顔については、当時は、高貴な人の家にあるものだという認識があったのだという。だから、夕顔の巻では、源氏が六条御息所侍従の中将の君に、庭の朝顔を見てそれを詠み込んだ歌(「さく花にうつるてふ名はうつめども をらで過ぎうきけさの朝がほ」)を詠っている。
また、朝顔といえば、七夕伝説の織女の別名の一つに「朝顔姫」というのがあるけど、それはこの当時から既にあった別名なのだろうか。もしそうだとしたら、源氏の来訪が離れがれとなってしまった六条御息所を暗示しているような気もしてしまう。
どちらにしても、今まで朝顔には「きれいだな」というぐらいの印象しかなかったけれども、その艶やかでありながら儚げな花の様子や紫という高貴な色が、六条御息所によく似合っている気がしてきた。


それから、お能というのは、事件を描くものではなく、感情・心理を描くものというような指摘も非常に興味深かった。

舞台芸術なんて大体そんなものだろうと思いそうになるが、よくよく考えてみると私自身の情けない経験からも思い当たることがある。というのも、一年ぐらい前までは、先に公演前に詞章を読み(とりあえず詞章を読みたいので)、その後、入門書のようなものであらすじを確認すると、「そ、そんな話だったっけ…?」というくらい自分が思っていた筋と違うことがよくあったから。今はそのようなことはあまり起こらないのだけど、それは単にお能の約束事に関して知っていることが増えたからだと思う。古文の読解力は残念ながらいつまでたっても初歩の初歩で足踏み状態なので、もしお能の約束事を知らなかったら、やっぱり今でも「そんな話だったとは」と思うことが多いに違いない。

どうして、そんな風にあらすじが捉え難いかというと、やはり先生のおっしゃるように、お能が本質的に感情や心理等の内面を扱ったものが多いからだろう。詞章の上には、一見、感情表現はほとんどないけれども、和歌で花鳥風月等に寄せて自分の内面を吐露するのと同じように、お能でも歌詞(うたことば)や花鳥風月に託して、シテの内面が語られている。それが分かっていないと、私のようにお能の筋を取り違えるということになる。けれども、詞章の表面的な言葉の裏にこそシテの心情が表されているのだということが分かってくると、そのような表現は直接的に感情を書き連ねるよりずっと色彩豊かで奥深い表現になっているから、観る者の内的世界と響きあい、観る都度に様々な世界を垣間見せてくれる。…ああ、お能って面白い。


狂言 蚊相撲(かずもう) 三宅右近和泉流

大名(三宅右近師)が家来を新しく持つことになり、太郎冠者(三宅近成師)に往来のあるところに行って、新しい家来をスカウトしてくるように言う。太郎冠者は運良く新しい家来候補を見つけるが、それは何と蚊の精(三宅右矩師)なのだった…というお話。

主人が新しい家来が蚊の精だと気が付くのは、その家来が江州(ごうしゅう;滋賀県のあたり)守山出身だと聞いた瞬間。そんなに蚊で有名だったんだ。パンフレットの解説によれば、守山は湿地帯で蚊が沢山いて、蚊帳の一大産地でもあったとか。
歌枕として守山が出てくる和歌が結構あるけど、そこには蚊がぶーーーんと飛んでいる気配も背後に感じとらなければいけないのかも(?)。


能  夕顔(ゆうがお)山端之出(やまのはので) 角当行雄(観世流

「夕顔」の特徴は、何といっても詞章が「源氏物語」の「夕顔」の巻の文章のコラージュのようになっているところではないだろうか。源氏物語の夕顔の巻を読み返して(昔の人は読み返す必要さえ無かったでしょうけど)、元の文章の表現がお能の詞章にさりげなく、あるいは、思いもよらない形で組み込まれているのを見付けるだけでも、とても楽しく、このお能の楽しみの半分はそこにあるのではないかという気すらする。紫式部も「源氏物語」からこれだけ素敵な曲を作ってくれたのなら、喜ぶに違いない。
ただ、舞台を拝見するという点からいうと、舞台上の動きというのはあまり無いので、今回、「山端之出」の小書で夕顔が美しく巻き付いた藁屋が出てきたりしたように、何かしら観る者を楽しませる演出がないと、地味な印象に終わってしまう曲なのかも。


最初に紺色の引廻で覆われた藁屋が後見によって大小前に運び込まれると、[名ノリ笛]となる。

囃子と共にワキの旅僧(森常善師)と従僧(舘田義博師、森常太郎師)が現れ、旅僧は舞台中央、従僧は一ノ松、二ノ松にそれぞれ位置すると、旅僧が、自分は九州豊後(ぶんご)の国出身の僧で、名高き男山に参ろうと思い、洛陽の名所旧跡を見て歩いていることを告げる。この後、道行きは紫野、賀茂から糺の森を通って五条に至るのだけど、これは、九州から海路で能登辺りに着いて南下してきたということなのかしらん。。

旅僧と従僧は、道行の最後に「帰る宿りは在原の、月やあらぬとかこちける。五条わたりの破屋(あばらや)の」で中正方向を見、「主も知らぬ所まで、尋ね訪(と)ひてぞ暮らしける」と謡いながら、宿を見つけようとする五条辺りに到着する。すると、藁屋の引廻の中より「山の端の」という声が聞こえてくる。旅僧と従僧は顔を見合わせて、不思議なことだ、ここで待って、委しい事を尋ねたいものです、という。

すると再び、藁屋から「山の端の」という謡いが聞こえ、続けて「心も知らで行く月は、上(うわ)の空にて影や絶えなん」という源氏物語に出てくる六条の何某院に夕顔が連れて行かれる時の夕顔の歌を謡うと共に、引廻の幕が外され、夕顔の花の絡まる藁屋の中に美しい里の女(角当行雄師)が床几に座っているのだった。里の女は、多分、若女の面に、紅白の段替に菊の花の文様の入った唐織だった。

里の女は、なにがしの院とはここなのですと言いつつ、中国の故事を引きながら、残る執心のために心も晴れないことを匂わせる。

旅僧が、ここはどこなのでしゅうか、と問うと、里の女は、なにがしの院でございます、と答える。旅僧は、「なにがし」という言葉は仮初めの言葉であって、それを名前に定めるとは、どういうことなのかお聞きしたいものです」と言う。すると、里の女は「どおりで初めからうるさそうな旅人と見えました。紫式部が筆の跡になにがしの院と書いて名を詳らかにしませんでしたが、これは融の大臣が住んでいたのを、後に光源氏が住み、夕顔が露のように亡くなってしまった、鬼のように恐ろしいが、今は苔のむす河原院なのです」と答える。

旅僧は名高い場所に来たことを喜ぶと、「私達も玉鬘のゆかりの豊後の国のものです。その母の夕顔の露のように消え給うた時の物語を語っていただけないでしょうか。私も及びなき身ですが、御弔いをいたしましょう」という。

すると里の女は<クリ><サシ><クセ>で、源氏物語の夕顔の巻の、源氏が六条御息所のところに通う途中に夕顔の家を見つけ契を交わしたが、何某の院で、「宵の間過ぐうr古里の、松の響きも恐ろしく」で里の女は幕の方を見、「風に瞬く燈火(ともしび)の」の後を地謡が引き継ぎ「気ゆると思ふ心地して」で里の女は藁屋を出る。あたりを見れば烏羽玉の、闇の現(うつつ)の人もなく、いかにせんとか思ひ川」の後の「泡沫人(うたかたびと)は息絶えて」で常座に行き、「帰らぬ水の泡とのみ」で下を向いて水面を見る体となり、「散り果てし夕顔の、花は再び咲かめやと、夢に来りて申すとて」で、旅僧に向かって左手で祈る仕草をすると、「ありつる女もかき消すやうに失せにけり」でくるっと廻り、二度目の「かき消すやうに失せにけり」で後ろを向いて橋掛リの方に歩いて行き、中入りとなる。


狂言では、所の者(高津祐介師)が、最近出掛けていなかったので東山に行って心を慰めようといいながら現れ、見知らぬ旅僧を見ると、声をかける。旅僧は先に起こったことについて話し、夕顔について教えて欲しいと頼む。

所の者は、大方知っていることをお話しましょう、と請け負うと以下のようなことを語る。即ち、夕顔は一人娘を得てから行方不明となってしまった。源氏が五条の辺りに乳母を見舞いに行くと、あやしげなる小家に夕顔が今を盛りに咲いているのを見つける。御随身の惟光に夕顔を取ってこさせると、「しろき扇のいたうこがしたる」に夕顔の花を載せて女童が出すと、扇には「心あてにそれかとぞみる白露の 光そへたる夕がほの花」(存じ上げてはおりませんが、当て推量に光の君ではと思っております)という歌が書き散らしてあった。その後、光源氏は夕顔のもとに通うようになった。ところが五条のあたりはあばら家が多く、近いところに移ろうと、八月十五日、夕顔を伴ってなにがしの院に移った。しかし、定めなきこの世の習いかな、夕顔はほどなくしてなにがしの院で息絶えてしまった。

所の者はこのように語ると旅僧に回向を勧め、旅僧もしばらく逗留して有り難きお経を読誦することを請け負うのだった。こして間狂言が終わると、後見が藁屋を持ち去る。


後場は旅僧と従僧の待謡「いざさらば夜もすがら、いざさらば夜もすがら、月見がてらに明かしつつ、法華読誦の声絶えず、弔ふ法ぞ誠なる、弔う法ぞ誠なる」から始まり、ヒシギが入ると[一声]となり、後シテの夕顔の上が橋掛リに現れる。後シテは、紫地に秋草の長絹に白の大口袴という出立。夕顔の上は、「さなきだに女は五障の罪深きに、聞くも気疎き物怪の、人失ひし有様を、現はす今の夢人の」で常座に行き、「跡よく弔ひ給へとよ」で旅僧を扇でさしながら旅僧を見る。

地謡が「来(こ)ん世も深き、契り絶えすな、契り絶えすな」と謡うと、夕顔の上は後ろを向き、その後面白い笛の旋律が入り、そのまま[序ノ舞]となる。

地謡の「変成男子の願ひのままに」で袖を一度被いた後に戻し、「解脱の衣の、袖ながら今宵は」で袖を見、「何をかつつまんと言うかと思へば」で旅僧を見、「音羽山、嶺の松風通ひ来て」で中正方向を見ると、「明けわたる横雲の、迷ひもなしや」で舞台中央から常座に戻り更に橋掛リに行くと、「東雲の道より、法に出づるぞと」で一ノ松のあたりで右の袖を返して旅僧を見ると、「暁闇(あけくれ)の空かけて」で再度、二ノ松の辺りで旅僧の方を扇をさしながら見ると、「雲の紛れに、失せにけり」で袖を被いて留拍子となる。