国立能楽堂 素の魅力 花筐 無布施経 藤戸

◎素の魅力
仕舞 花筐(はながたみ)クセ 大槻文藏(観世流
狂言 無布施経(ふせないきょう) 茂山千作大蔵流
袴能  藤戸(ふじと) 近藤乾之助(宝生流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3224.html

私の好きな素晴らしい能楽師の方ばかり出てるので楽しみにしていた。当然のことながら期待は裏切られず、今年観たお能の公演のなかでは、最も面白い公演だった。
特に近藤乾之助師の袴能「藤戸」は、私にとっては、今まで観たお能の公演のなかで一番感銘を受けたもののひとつになった。もっともっと乾之助師のお能を観たくなったのだけど、今年はあと何回、おシテを勤められるのかしらん。そういえば、前から今井康雄師の演能も観たいと思っていたし、たまには宝生流の公演に行ってみようかな。


仕舞 花筐(はながたみ)クセ 大槻文藏(観世流

「花筐」は過去に国立能楽堂の公演で観ていると思っていたのだけど、非常に断片的な印象しかなく、本当に観たのか我ながら怪しい。たぶん、公演中、ほとんど気を失っていたに違いない。

今回は「花筐」のクセの部分で、観阿弥作の「李夫人の曲舞」を世阿弥が「花筐」に借用したという部分。武帝が李夫人を亡くした悲しみに暮れる様子と亡くなった李夫人を偲んで武帝が炊いたという反魂香のエピソードが謡われる。

花筐のこのクセの部分はとてもロマンティックで悲痛なお話だ。文蔵師の気品のある、もの悲しい舞姿がすてきだった。大好きな文蔵師を観るべく速攻でオフィスを出た甲斐があったというものでした。


狂言 無布施経(ふせないきょう) 茂山千作大蔵流

茂山家の中で最も好きなお二人の掛け合いを見ることが出来て大満足。そういえば、以前、野村万之介師と万作師の「無布施経」を見たけど、万之介師の僧と千作師の僧では、万之介師の方が比較的素朴で子供っぽい部分がある人物であるのに比べて、千作師の僧の方は口が上手く役者が一枚上手で(芸の話ではなく、役作りとして、です)、さすがお寺が群雄割拠する京の都でイメージされる僧は、そつがないなあと感心してしまった。


袴能  藤戸(ふじと) 近藤乾之助(宝生流

「藤戸」は鬱々とした話だと思っていたのに、実は、今まで思っていた以上にずっと深く大きな世界を詞章の背後に持っていたということを教えてもらったような公演だった。

乾之助師の舞は、折り目正しい楷書の舞で、その所作は様式的なのに、演劇性とか写実とかそういったものを越えて、その舞によって「藤戸」の詞章の背後に隠された意味が目の前に立ち現れるのを観るような気がした。ひょっとしたら、舞台上の乾之助師が意図したものと見所で私が感じたものは違うものだったかもしれないけれども、私にとっては、今まで分からなかった箇所の意味を知り、不連続な部分と思われていた箇所に意味を持ったひと続きの大きな流れを感じ、素晴らしい演能を観る喜びに浸ることができたのでした。


最も面白く思ったのは、シテが前場後場で違うことについての疑問が、今回の「藤戸」を観て氷解したこと。

ご存じの通り、「藤戸」のシテは、前場が漁師(後シテ)の母で後場が漁師となっている。今までは、そのせいで前場後場の主人公が違う不連続な話になってしまっていて、それがこの曲の小さな瑕疵となっていると思っていた。けれども乾之助師の「藤戸」を観ると、実は前場のシテが母で後場のシテが漁師であることには意味があることで、シテが前場後場で違っていても、一本筋の通ったひとつづきの物語だと思えた。

何故そう感じたかというと、まず、乾之助師の前シテの、思慮深く気高く、息子を深く愛する母という様子が、ここで母が主人公として出てくる必然性を感じさせたからだ。彼女は身分は低いかもしれないが、まるで文楽に出てくる武家の婆のように、自分の意志をしっかりと持ち、何が重要なのかを良く分かっている人なのである。そのような母を観ていると、詞章に描かれている様々なことに諒解がいくのだった。

たとえば、聡明な息子を持つことの説得性がある。息子の漁師が口封じのために盛綱に殺されたのは、彼しか馬を渡せる河瀬のようなところが月頭には東に、月末には西に出来るという自然現象を知らなかったからだろう(地元の漁師が皆知っているようなことであれば、この青年一人を殺すのは無駄なことだ)。この母の息子は、二十歳そこそこにして既に他の漁師が知らないような自然現象も知り尽くしていた、優秀な漁師だったのだ。

また、「いまは何をかつつむべき」といって漁師を殺した時の様子を語る盛綱の言葉を、母は小さな体を中正方向に向けて下居し、俯きながら静かに一言一言吟味して、やはり盛綱が殺したのだと確かめると、堰を切ったように盛綱に飛び掛かり、盛綱に制止される。しかし、彼女は息子を殺された故に盲目的になった母ではなく、盛綱の知に偏って人の情を勘案しない冷酷さをも見透かした怒りを盛綱にぶつけたのだった。その母は人間的な高潔さでは、決して盛綱にひけを取るものではなく、むしろ、盛綱に自責の念を沸かせる程のものだった。そして七五三師も、母の思いを掬いとるように、きっぱりと管弦講を勧めた。それゆえ、いつもは管弦講をする時、自分の罪を悔いているというよりは、母親への同情から回向しているように思える盛綱は、今回は、自分の罪に初めて思い至り悔いているのではないかと思えた。


そして、後シテが出てきた時、後シテの漁師は前シテの母と一心同体のようなものなのだと感じた。前場の母は確かに自分で盛綱のところに行ったかも知れないが、同時に後シテの息子の漁師の霊に導かれて来たのだったのではないかと思われた。母は息子の漁師をこの世で最も愛していた人であり、本能的に息子の漁師の思いを汲み取って盛綱のところに行ったと考えてもいいように思えた。だから、ある意味、前シテの母は後シテの漁師の代弁者でもあったのだ。だからこの二人は、同一人物によって演じられるのがふさわしいように思えて来るのだった。


さらに、彼が成仏出来なかったのは、盛綱と漁師がこの児島で再会するという運命があったからのように思われた。漁師が自身が殺された時の感情や苦しみを盛綱の前で再現し、その苦しみを盛綱と共有し、自分を殺したことを悔いる盛綱の回向によって成仏することのだった。――多くのお能ではシテはワキの僧の回向によって成仏するけれども、このお能では、殺した本人である盛綱が漁師の回向をして漁師は成仏得脱の身となる。そこに、このお能が偶然の出来事の連鎖ではない、眼に見えない必然の連鎖のような、中世の理解で言えば、仏様のお導きで綴られたような、ひとつづきの物語であるのだ、ということを感じさせられた、乾之助師の「藤戸」だった。